第21話 手を離さない
夜は、まだ少し続きます。
ホテルを出ると、空気はひんやりしていた。
湊と並ぶ。
そのまま、歩き出す。
しばらく、無言だった。
街の灯りが、少しずつ減っていく。
人通りも、減る。
足音だけが聞こえる。
湊が隣にいる。
近い。
けれど、触れない距離。
何故だか、少しだけ落ち着かない。
何かを話そうとも思うが
逡巡しているうちに、目的地に着いてしまった。
「ここだ」
咲也が立ち止まる。
マンション
中から柔らかい光が漏れている。
エントランスへ入る。
静かな空間。
鍵をかざす。
小さく、解錠音。
扉が開く。
少しだけ迷い、頬をかく。
背後を振り返り
「……よかったら上がっていかないか」
「送ってもらったしな」
「茶でも入れる」
湊が、わずかに目を見開く。
「……いいんですか」
「ああ」
短く返す。
湊は考えるように、沈黙しうなづいた。
「では、お言葉に甘えて。お邪魔します」
一緒に中へ入る。
エントランスを抜ける。
エレベーターに乗る。
数字がゆっくり上がっていく。
鍵を回し、部屋の中へ。
靴を揃える。
リビングへ。
そのとき。
湊の視線が、隅に向く。
ダンボール。
一箱だけ、未開封のまま置かれている。
ほんの一瞬。
すぐに離れる。
咲也は気づかないふりをした。
腕を捲ってキッチンに向かいながら思案する。
言葉通り、お茶を入れるだけと言うのも味気ない。
ちょうど腹も減ってきた。
湊も仕事終わりだ。
「……何か作るか。
お茶漬けとか」
軽く言う。
「……いいんですか?」
「ああ。俺も腹減ったしな」
咲也はキッチンに立つ。
対面のカウンター越し。
指差して
「蒼井くんはそこに座ってな」
「TVでも観てな」
湊はソファに座る。
距離はある。
だが、視界から外れない。
湊はTVを観ないでぼんやりとこちらを見ていた。
見られているのはなんだか落ち着かない。
極力気にしないようにする。
冷凍庫にご飯があったはずだ。1人暮らしだとご飯を炊いても余るので、こうやって残った分は冷凍保存している。
ちょうど2つある。
取り出したご飯をレンジで温める。
その間に
湯を沸かす。
梅干や鮭フレークがあると良いのだが、食べきれないのであいにく置いてない。
ここは、お茶漬けの素で勘弁してもらおう。
チンと乾いた音が鳴る。
レンジから熱々のご飯を取り出して、茶碗と丼によそう。
一人暮らしだから、食器も最低限だ。
お茶漬けの素を振りかける。
やかんの口から湯気が吹き出す。
火をとめ、湯を注ぐ。
海苔の香りが、静かに広がる。
「できた」
顔を上げる。
湊が、いつの間にかカウンターに来ている。
席に着く。
視線が合う。
「なんだかいつもと逆ですね」
湊が笑う。
キッチンカウンター越しのやりとりは確かにバーを連想させる。
「そうだな」
「まあ、出すのが有り合わせで悪いけどな」
苦笑する。
「ほら」
差し出す。
「……ありがとうございます」
コップに水を注いで渡す。
茶碗から湯気が上がる。
「梅干しでもあれば良かったんだが」
「いいえ。とても美味しそうです」
湊は箸を取り、
「いただきます」
静かに口をつける。
咲也も何も言わず、食べる。
「ご馳走様でした」
空のコップを置き
湊がほうっと息をつく。
腹は満ちたようだ。
なぜだか、咲也も少しほっとした。
「片付けるから、ソファで休んでな」
「手伝わず、すいません」
「俺が誘ったんだ。いいよ」
「……では、お言葉に甘えて」
湊はソファに身体を預ける。
咲也は食器を下げる。
水音。
拭く音。
静かな時間。
なんだか悪くない。
そんな事を思いながら
顔を上げると
湊が、俯いたまま動かない。
「……蒼井くん?」
返事はない。
近づく。
呼吸が深い。
寝ている。
穏やかな表情。
少し迷う。
起こすのも可哀想だ。
今日は色々あったし、咲也も助けてもらった。きっと疲れたのだろう。
このまま休んでもらおう。
決めたあとの行動は早い。
湊をソファから抱き上げる。
驚いた。
思ったよりも軽い。
ーー食事もインスタントばかりで
湊が以前言っていたことを思い出す。
ちゃんと食べてるのか。
心配になりつつも
起こさないように静かに、寝室へ。
そっとベッドに寝かせる。
布団をかける。
目にかかった前髪を払ってやる。
指先に、触れる柔らかさがくすぐったい。
あどけない寝顔に、頬が緩む。
小声で
「おやすみ」
囁き、ゆっくりと立ち上がる。
背を向けて開けたままの扉に向けて歩きだそうとすると
背後からぐい、と手が引かれる。
そのまま、ベッドへ引き込まれる。
驚いて振り返り、
瞬間
息が止まる。
湊の顔が近い。
湊の目が、わずかに開く。
焦点は合っていない。
「……よかった」
小さく、こぼれる。
そのまま、抱き寄せられる。
咲也は抵抗しなかった。
できなかった。
湊の胸から鼓動が伝わる。
「……こわかった……」
途切れ途切れの声。
「……傷ついて、ほしくない」
言葉が落ちる。
「……俺、」
少しだけ止まる。
「……親、いないんで」
「……小さい頃に」
それ以上は、続かない。
咲也は何も言わない。
手を伸ばす。
頭に触れる。
軽く、撫でる。
「……泣くな、蒼井くん」
「……泣いて、ない……」
少しだけ強く、抱き寄せられる。
「……でも」
息が揺れる。
「……お願い、だから」
「……ちゃんと……大事に、して」
咲也は、一瞬だけ目を見張り
そしてゆっくり閉じる。
「ああ」
短く答える。
背中に手を回す。
ゆっくり撫でる。
湊の呼吸が整っていく。
腰に回された腕の力が緩み、その瞳が閉じられる。
再び眠りに落ちたようだ。
けれど咲也は、その手を振り解かない。
約束。
できるかは、分からない。
性分だから。
それでも。
この手は、
離さないでいようと、
そう思った。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
静かな夜の中で、
少しだけ本音がこぼれた回でした。
感想など頂けると嬉しいです。




