第18話 同じ夜ではなかった
静かな夜の、少しだけ違う話です。
レオンが帰った後。
少しだけ、静けさが戻る。
咲也はグラスを置く。
湊を見上げて微笑む。
「……見習い卒業か」
「おめでとう」
湊はわずかに目を見開き、俯いた。
「……ありがとうございます」
顔を上げる。
少し照れたように笑った。
「でも、急なことで。
正直実感、ないですね」
その言い方が妙に初々しくて、知らず口元が緩む。
「そんなもんだよ」
軽く笑いながら言う。
「ところで。
祝いたいんだけど、
客から奢るのはルール違反かな?」
「いえ。
そんな事ないですよ。
ありがとうございます」
横から、マスターが口を挟む。
「じゃあ、高いのいく?」
「マッカラン18年とか」
「高宮さんと同じもので」
湊がキッパリとした口調で言う。
「ちぇ」
「“ちぇ”じゃありません。いい大人なんですから」
「え〜」
「なにが“え〜”ですか……
お客さんの前で失礼でしょう」
「だって、高宮さんだし良いじゃん」
「そう言う問題じゃありません。
大体あなたは普段からそんな感じじゃないですか」
「うわぁ。部下がいじめる。
助けてよぉ〜高宮さん」
よよよと泣きつくそぶりをするマスターに笑いが漏れる。
「嘘泣きはやめてください」
ぴしゃりと言う湊に、
マスターは不貞腐れたように口を尖らせて
「じゃあ、お祝いだけど、
無難なウィスキーで良いのね」
「だから、そう言うことは言わないでください。
他のお客さんにも失礼ですよ」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
ため息をつく湊。一体どちらが部下なのか分からない。
客たちも慣れたものだった。
誰も驚かない。
むしろ楽しんでいるように見える。
口では文句を言いながらも、
マスターは手早くウイスキーを注ぐ。
グラスが置かれる。
咲也の分も、隣に。
湊は、わずかに頭を下げる。
「いただきます」
小さく言う。
グラスに触れる。
咲也も、軽く持ち上げる。
乾杯、というほどでもない。
それでも。
小さく、音がひとつ鳴る。
そのとき。
扉が開く。
空気が、わずかに揺れる。
遅れて、足音。
少し重い。
一定ではない。
ふらついている。
咲也は、グラスを持ったまま視線を上げる。
男が一人。
足取りが重い。
カウンターへ近づいてくる。
空いている席はいくらでもある。
それなのに。
男は、
わざわざ咲也の隣で止まった。
酒の匂い。
近い。
淀んだ目が、
じっとこちらを見る。
咲也は、目を逸らさない。
それが癇に障ったのか。
男の顔が、引き攣る。
「……なんだぁ、その顔」
舌が回っていない。
「すましたツラ、しやがって」
咲也は動かない。
男の指先が伸びる。
襟元を掴まれる。
強く、引き上げられる。
「……やめろ」
低く言う。
男の顔が、さらに歪む。
「この、ヤロウ」
そのまま、
拳が振り上がる。
――避ける気はない。
この程度なら、問題ない。
むしろ、その暴力が他の者に向かう方が厄介だ。
迫りくる拳をしっかり見据えた。
その時。
白い手が視界に翻る。
男の手首に、触れる。
拳が、途中で止まる。
男の体が、わずかに傾く。
バランスを崩す。
そのまま、椅子に落ちる。
大きな音はしない。
ただ、終わる。
「……な、に……」
男は、起き上がろうとするが、立てない。
湊は手を離す。
何事もなかったように。
「お客様」
静かな声。
「大分お酒を召されたようですね。
そろそろお帰りになられた方がよろしいかと」
マスターはすでに電話を手にしている。
「はいはい、警備に連絡するね〜」
軽い声。
やがて、
男は警備員たちに連れられていく。
扉が閉まる。
静けさが戻る。
何もなかったように。
咲也は襟元を整えて、座り直す。
グラスを持つ。
一口。
それから、視線を向ける。
湊がいる。
いつもと同じ顔。
同じ動き。
先ほどの騒動が嘘のようだ。
あの動きが、頭から離れない。
「……君、強いんだな」
小さく言う。
湊は一瞬だけ止まる。
「僕は何もしてませんよ」
素知らぬ顔で言う。
思わず苦笑した。
――嘘つけ
まあでも、それならそれでいいかと思う。
グラスをわずかに上げ、湊に笑う。
「……やり直すか」
湊も、わずかにグラスを上げる。
触れる。
氷が、静かに鳴る。
さっきと同じ音。
それでも。
同じ夜ではなかった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
いつも通りのBar Havenで、
ほんの少しだけ違う夜でした。
感想など頂けると嬉しいです。




