第113話 中村さん
今回は、最近よく見かける中村さんのお話です。
客室へ荷物を届けた帰り。
咲也はエレベーターホールへ向かって、静かな廊下を歩いていた。
その途中。
壁際に、見覚えのある作業着姿を見つける。
中村だった。
天井の照明を一つずつ確認しては、手元の点検表に何かを書き込んでいる。
「中村さん」
声をかけると、中村が振り返った。
「ああ、高宮さん。お疲れさまです」
「お疲れさまです」
咲也は足を止める。
「最近、よくお会いしますね」
「そうですね」
中村は点検表を片手に笑った。
咲也は周囲を見回した。
「そういえば、田中さんはどうしたんですか?
最近見かけませんが」
最後に会ったのは、屋上庭園で言葉を交わした夜だった。
「ああ、田中さんなら、しばらくバックヤードを中心に担当するそうです」
「そうなんですか」
「ええ。しばらく表側は私に任せたいって」
中村は胸を張った。
「頼りにされちゃあ、断れませんからね」
「それで最近、よくお会いするんですね」
「そういうことです」
中村が朗らかに笑う。
その時。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。
「なかむらさーん!」
聞き覚えのある女性の声。
リネンスタッフの早苗だった。
どこか焦った様子で、こちらへ駆けてくる。
「はい?」
中村が返事をする。
足を止めた早苗は、驚いたように目を見開いた。
「あっ。違います」
「はい?」
「中村さんじゃなくて、中村さんで」
「……はい?」
中村が首を傾げる。
早苗は、自分でも混乱してきたのか、小さく頭を振った。
「ええと、文子さんの方です! うちのリネンの」
「ああ」
中村は納得したように頷いた。
「私のほかにも、中村さんがいらっしゃるんですね」
「そうなんですよ」
「それは知りませんでした。今度、ご挨拶しないと」
中村は朗らかに笑った。
早苗はそんな彼を前に、深いため息をつく。
「その中村さんが見つからないんです」
「どこへ行ったんでしょうね」
「もう、あの人ったら! すぐにいなくなるんだから。こっちは忙しいのに!」
声が次第に大きくなる。
「早苗さん」
咲也が静かに声をかけた。
「ここ、客室階ですよ」
「あっ」
早苗は我に返ったように周囲を見回す。
それから、慌てて頭を下げた。
「失礼いたしました。探すのに夢中で、つい」
「私も見かけたら、声をかけておきますよ」
咲也が言うと、早苗は勢いよく頭を下げた。
「お願いします」
「早く見つかるといいですね」
中村が穏やかに言う。
「ありがとうございます。本当にもう、中村さんったら!」
早苗は肩を怒らせ、来た道を足早に戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、中村が困ったように笑う。
「なんだか、私が怒られてるみたいです」
咲也も小さく笑った。
「早苗さんは真面目で、仕事熱心な人なんですよ。
ただ、熱心さのあまり、周りが見えなくなるところがあります」
「なるほど。確かにそのようですね。でも、その一生懸命なところは嫌いじゃないですね」
中村は微笑みながら頷く。
「では、私も怒られないように、そろそろ仕事に戻ります」
咲也も微笑んで返す。
「はい。お疲れさまです」
会釈を交わし、咲也は再びエレベーターホールへ向かった。
到着を知らせる音が鳴る。
扉が開き、乗り込む。
閉じていく扉を見つめながら。
――そういえば……。
田中を表側で見かけなくなったのは、ルシアンがホテルへ来てからではなかったか。
彼は、かつてルシアンの秘書をしていた。
少なくとも当時は、二人の仲が悪いようには見えなかった。
顔を合わせづらいのだろうか。
まあ、色々あるよな。
自分もルシアンが来ると聞いた時には、なるべく関わり合いたくないと思った。
あまり人のことは言えない。
元上司となれば、色々思うところもあるのだろう。
ひとまず。
そう納得することにした。
中村さん、早く見つかるといいですね。
……ねえ、中村さん。




