第11話 そんな顔
Bar Haven。
本人だけが気づいていない夜の話です。
Bar Haven。
夜。
低い照明。
静かな音楽。
グラスを拭く音が、
ゆっくりと店の奥へ溶けていく。
湊はカウンターの中で、
黙ったまま手を動かしていた。
氷を入れる。
酒を注ぐ。
グラスを置く。
動きに乱れはない。
いつも通り。
そのはずだった。
「蒼井」
マスターの声。
「はい」
顔をあげる。
「お前さ」
グラスを磨いていたマスターが、
ちらりとこちらを見る。
「ひどいな、今日」
「え?」
「ひどい顔してる」
「はい?ひどい顔、ですか?」
分からず首を傾げる。
カウンターにいた常連客が、
くすくす笑った。
「蒼井くん、無自覚なの?」
「そんだけ悩ましげな顔してるのに」
「さっきから落ち着かないよ、こっちは」
困ったように笑われる。
自分では、
いつも通りのつもりだった。
マスターが肩を揺らす。
「お前さ」
「恋煩いしてる乙女みたいになってるぞ」
ぴたりと、
手が止まった。
「……は?」
低い声。
マスターは楽しそうに笑う。
「いやもう分かりやすすぎて」
「違います」
即答。
「早っ」
常連客が吹き出す。
「否定が速い時って、大体図星なんだよねえ」
彼は、何故かキラキラした目でこちらを見上げてくる。
その顔を見下ろして、
湊は息を吐いた。
「黒崎支配人まで……やめてくださいよ」
「いや、その呼び方やめてよ」
常連客——黒崎支配人が肩をすくめる。
「こうちゃんって呼んで」
「嫌ですよ」
どこの世界に、
上司を愛称呼びする部下がいるのか。
マスターが吹き出した。
「まあでもさ」
「このホテル、黒崎多いからややこしいんだよな」
「な、こうちゃん」
「だねぇ。さきちゃん」
両手を合わせて笑い合う二人。
この二人が結託すると、
碌なことにならない。
「恋に悩む若者を見守りたいんだよ。俺たちは」
「だから違いますって」
マスターが肩を揺らした。
「はいはい」
「で、何があったの」
「何も」
「じゃあ何でそんな顔してんの」
湊は答えない。
氷を入れる。
酒を注ぐ。
手は動く。
だが。
思い出してしまう。
ロビー。
英語。
楽しそうな声。
冷たい目。
——自分の知らない時間。
胸の奥が、
またざわついた。
「ほら」
マスターが笑う。
「今の顔」
「完全に恋、煩っちゃってる顔」
「だから違います」
湊は眉を寄せた。
「そもそも“乙女”って何ですか」
「そこ?」
支配人がまた笑う。
「蒼井くん、そこ気にするんだ」
「気になりますよ」
「可愛いねえ」
マスターが人差し指で、
湊の肩をぐりぐり押す。
「やめて下さい」
その手を、
パシッと払いのける。
マスターは楽しそうに笑いながら、
グラスを棚へ戻した。
「まあ、そのうち分かるんじゃない?」
「何がですか」
「自分が何でそんな顔してるか」
湊は小さく黙る。
それから。
「……そんな顔、してません」
ぼそりと返す。
だが、言い返しはしたものの、
あまり自信はなかった。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
周りには分かりやすいのに、
本人だけ分かっていないこともあるのかもしれません。
感想など頂けると嬉しいです。




