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第108話 もう離せない

今回は、前話の続き。

咲也が眠ったあとの、湊のお話です。



咲也の身体から。


ふっと、力が抜けた。


湊は僅かに顔を上げる。


「……咲也さん?」


返事がない。


腕の中の咲也は、目を閉じていた。


規則正しい呼吸。


「……まさか、寝たんですか?」


胸にもたれかかる重みを受け止める。

完全に身を任せている。


さっきまで。


あんなに顔を真っ赤にして。


離してくれと身を捩っていたのに。


急にスイッチが切れたように眠ってしまった。



まるで子どもみたいだ。



湊は、くすりと笑った。



そのまましばらく、腕の中の咲也を見つめた。


眠っている彼は、いつも無防備だ。



けれど今夜は、なおさらだった。



眉間も。



口元も。



すっかり緩んでいる。


時計はもう、午前三時近い。


それなのに。


帰ってきた時、この人はまだ起きていた。


眠れないと言って、一人でグラスを傾けていた。


ふと。


ローテーブルへ目を向ける。


グラスの底に残った、僅かなウイスキー。


ある考えがよぎる。


もし。


もっと帰りが遅かったら。


朝まで。


このまま一人で起きていたのではないだろうか。


そう考えると。


妙に胸がざわついた。


咲也は、一人でいられない人ではない。


むしろ逆だ。


一人でも。


たぶん、なんとかなってしまう。


困っていても。


疲れていても。


誰にも頼らず、自分でどうにかしようとする。


人のことなら、よく見ているのに。


自分のこととなると、驚くほど無頓着だ。


湊は眠る咲也の横顔を見つめた。


「……放っておけない」


小さく呟く。


もちろん。


返事はない。


湊は苦笑した。


腕の中で、咲也が僅かに身じろぎする。


湊は反射的に抱く腕を緩めた。


けれど咲也は目を覚まさない。


むしろ。


さらに深く身体を預けてくる。


はらりと、髪が頬にかかる。


湊は空いた手を伸ばし、指先でそっとかき上げた。



その指が、頬をかすめる。



すると咲也は、その温もりを求めるように、頬をすり寄せてきた。


思わず口元が綻ぶ。

胸の奥に、柔らかなものが静かに広がっていく。


たまらなく、愛おしい。



「……困った人ですね」



声には、自然と笑みが混じった。



この人はきっと。



自分でも気づかないうちに。



抱えすぎる。


だったら。


せめて。


一人で抱え込まなくていいように。


そばにいたい。


湊はそっと咲也の身体を抱き上げた。


起こさないように。


ゆっくりと寝室へ運ぶ。


ベッドへ寝かせ、布団を掛ける。


咲也は一度だけ眉を動かしたが。


それでも、目を覚まさなかった。


「おやすみなさい、咲也さん」


髪に触れようとして。


湊は一瞬だけ手を止める。


それから。

身を屈め、

額に口付けを落とした。


寝室を出る。


リビングには。


咲也のグラスが残っている。


湊はローテーブルのグラスを手に取った。


底に残ったウイスキーが、小さく揺れる。


くいっと呷る。

アルコールが喉を焼く。


「……すみません。もう離せないんで」


誰に聞かせるでもなく。


湊は小さく息を吐いた。


そして。


そんな自分に笑った。

タイトルは『もう離せない』。

どこかで聞いたようなタイトルかもしれません。


記念すべき108話目、煩悩の数についに到達しました。これからもいい煩悩に巡り会えるように精進していきます(笑)

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