風の運びたるもの【4】
「では、行ってきます。」
玄関の中でセランを見送る。
アンナだけは表まで送りに出る。
「拓哉。」
目立つ銀の髪をカツラでかくした翔子が細い窓から外を指差す。
覗いて見ると、抱き合っている。
「セラン、必ず帰ってくるよね。」
「そうだな」
翔子もわかっているようで、言葉に
祈りを込めている。
「翔子、俺達も必ず帰ってこよう。」
「うん、帰ってこよう。」
強く頷く翔子の髪を撫でた。
アンナが戻ってきた。
玄関を後ろ手に閉め、鍵をかけた。
戦闘態勢に入ったようで目付きが鋭くなっている。
「行きます。」
ひと言だけいうと、玄関に置いていた荷物を持ち、裏手横の風呂へ走り出す。二人もそれぞれ負担になり過ぎない程度の荷物を背負っている。
巧妙に隠された扉からそっと抜け出すと直ぐに森が広がり、姿をかくしてくれる。
できる限りの速さでかけぬけていく。足音や下草の振れる音がしないのは翔子を護る風のおかげだろうか。
倒木をまたぎ、キツイ傾斜を登る。
先日の雨で地面がぬるみ、足を取られたせいで体力を消耗していくが、今止まる訳には行かなかった。
小さな水場ですこし休憩をする。
翔子が肩で息をしている。
「ここからは歩きますから、もう少し頑張って下さい。」
アンナは翔子を気遣って計画を立てているようだ。
「今のところは見つかっていないようですが、油断は禁物です。」
「はい。一応、風が少し助けてくれてるから大丈夫……今のところ、誰もついてきてないって。」
翔子が意外にしっかり話すと、アンナも頷く。
「行きましょう。」
鹿らしい動物が前をかけぬけていく。かなり森が深くなっているようだ。
翔子に手を貸しながら丘の上へと登っている。
ちらりと木々の間から屋敷が見えて愕然とする。
「おい、あれ……」
屋敷が燃えている。
翔子が息を呑む。
アンナはちらりと見ただけでまた歩き出し、
「……いつか倍にして返します。」
と、ぼそりと呟いた。
視線は行く先を見据えているが、相当怒っている。
翔子は空を見上げている。
「雨が降る。」
言葉に釣られて見上げても快晴。
けれど、確かに湿気の匂いがする。
瞬く間に黒い雲が湧き上がった。
翔子の手を引き、慌ててアンナの後を追う。
アンナも雲に気づいたのか、振り向き、
「一時避難しましょう。」
と方向を変えた。
5分ほどで岩場に着くと岩棚の下へと避難する。
翔子を真ん中に挟み、3人並んで座る。
「ね、何だかあたしだけ濡れてない。」
降り出した雨は向こうが見えないほどの雷雨。
「いいんだよ、翔子が一番体力ないんだから。」
拓哉が言うと、納得いかない様子で挟まれている。
5分ほどで雲は流れて行き、日が差してきた。
「行きましょう。足下が更にぬかるんでいるはずです。気をつけてください。」
歩き出してしばらくたつと木がまばらになってきた。
夕暮れが近づいている。
「もう少しです。」
さすがに体が動かなくなってきた。
いま襲われたら戦えるだろうか。
アンナの顔にも疲れが見える。一人ならまだしも、翔子のペースを気遣いながらだ。体力の消耗も激しいだろう。
翔子はというと、さっきから転びそうになりながらようやくついてきている。
「少し休みましょう。大丈夫とは思いますが、待ち伏せがないとも限りません。体力を回復しておかないと。」
アンナがそういうと、翔子はへなへなと座り込んだ。
その横へ腰を下ろし、頭を撫でる。
「よく頑張ってる。もう少しらしいから、な?」
コクリと頷いて、翔子は差し出された水を飲んだ。
「大丈夫。みんなが助けてくれてる。」
「みんな?」
「うん、風以外はほんの一部だけど、水も、大地も。火はまだわからないけど。」
(おいおい……。)
そこまで自然を味方に出来るとは思わなかった。アンナも同じように目を丸くしている。
「でも、あたしがもっと強くならないと大きな仕事は出来ないみたい。今出来るのは、歩く先のこぶを小さくしてくれるとか、濡れないように水溜まりがどいてくれるとか。」
「いや、普通はそれも出来ないな。」
「セランは出来るんでしょ?」
「いえ、セランのは魔力を使って半ば無理矢理使役するものなので、消耗もしますし、助けてくれるとかではないと思います。」
「……そうなんだ。」
そういえば、自分もこっちに来てすぐに結界を作った時はほぼ一日寝込んでいた。
「でも、助けてくれてるとしかいいようがないんだよね……。」
翔子が考え込む内に日はとっぷりと暮れていた。
「さあ、行きましょう。あの岩山の陰に入口があります。足下に気をつけて。」
アンナの声に立ち上がる。幸いなことに闇夜ではない。目さえ慣れればなんとか歩けた。岩山に辿りつくと、アンナは隠れるように手で指示を出す。
拓哉は周囲に気を配る。
アンナが中を伺い、入って行った。間も無く出てくると手招きをした。中は自然の洞窟のようだった。入口に付けられた低い木製の戸を閉めると中は真っ暗になった。
ポッと小さな火がともり、すぐに辺りを照らす蝋燭の火になる。
アンナが四隅と真ん中に蝋燭をつけると相手の顔が見える程度の明るさになった。
「これで当面は心配ないでしょう。そこに毛布がありますから休んで下さい。食事は携帯食になりますが、食べますか?」
アンナの提案に二人して頷き、ビスケットと干し肉を食べた。
セランはどうしているだろう。
誰も怖くて声には出せない。
やはり捕まえられているんだろうか。
押し黙ったまま、時が過ぎていく。
「横になった方がいいでしょう。少しでも体が休まります。」
アンナは毛布を取り、手渡してくれた。凭れ掛かるようにウトウトしていた翔子に声をかける。
「……翔子?」
反応がない。
ギクッとして首に触れる。
体温が低い……?
「どうしました?」
脈はある。
「体が冷たい。脈はあるんだけど」
アンナの顔に緊張が走る。
そばへくると、拓哉と同じように首を触り、手の先に触れる。
「これは。」
「なんだ?」
「恐らく、ですが。」
あくまで、はっきりとはわからないと前置きをする。
「ショウ様は旅をしています。いえ、遠くを視ているというのが正しいかもしれない。」
「まさか、城へ?」
アンナは翔子の顔をみながら頷く。
以前、セランがランバルトとの話を視られていたと言っていた。
「特に意識してそうしている訳ではないようですが……大丈夫でしょうか?」
アンナは不安そうに聞くけれど、拓哉にも全くわからない。
「信じるしかないんだろうな。」
翔子を毛布で包み、床に寝かせる。
「じっと待つ身は辛いです。」
唇を噛み、アンナはぺたん、と座り込んだ。今迄、何度となくセランの背中を見送り、待ってきたアンナが見えたような気がして、拓哉は深く息を吐く。
少し冷えを感じ、座ったまま毛布を体に巻き付けた。
「これから、どうするつもりだったんだ?」
「こんな所があと何ヶ所かあります。3日毎に移動をして、状況を把握するようにと、セラン様には言われています。」
アンナは珍しく迷いがあるようで、拓哉の目を見ないで言う。
「助けに行きたい、か……。」
「……セラン様がもし帰って来なければ。」
頷き、すまなそうに拓哉を見た。
「あの莫迦、助けに行きたいこっちの気持ちは無視だからな。翔子もそう思ったから視に行ったんだろうし。」
「ええ、でも、心配なのは逆に捕まってしまわないかなんですが……。」
翔子の手をそっと握り、見守っている。
「でも、俺達には今出来ることはない。」
アンナもわかっているから、心配しているのだろう。
「待つしか、ないな。」
狭い室内に蝋燭の小さな灯りだけがゆらゆらと揺れている。
時間が意地悪くゆっくりと進んでいるように思えて、拓哉は溜息をついた。
「一体いつまで待てばいいのですか?もう日が暮れましたが。」
セランは側にいる近衛に問いかける。城に着いたのは昼前だった。
すぐにこの小部屋に通され、簡単な昼食を振舞われたものの、一向に王との謁見は叶わない。
「申し訳ありません。王からお呼びがあるまでここで待てとの指示しか受けておらず、私も困っておる次第です。」
はあぁ。
既知の者も多くて非常にやりづらい。
セランをここに足止めして、やっているのは翔子たちの追跡だろう。さては、まだ捕まらないらしい。
そう思うと、少し気分も良くなる。
(アンナがお前達ごときに捕まってたまりますか。全く、馬鹿にしてもらっては困ります。)
心の中でアッカンベェをしてみて、ハッとする。
(いかん、拓哉の悪影響だ。悪態のレベルが落ちている。)
ともかく、この生殺しのような状況をなんとかしなければならないところだが、受け身の今は待つしかない。
ただ、そろそろあちらもシビレを切らす頃ではある。
なんと問われるか。
ドアが開き、近衛同士が話している。
ようやくお呼びがかかったらしい。
「セラン様、陛下がお呼びですので謁見の間へお越し願います!」
近衛も疲れていたと見えて呼び声が明るい。
謁見の間で片膝をついて待つ。
バタバタと足音が入ってくる。
どうやら剣を向けられているようだ。
「セラン、ここであうのは久々だな。何用かわかっているか?」
入ってくると同時に話し出した王に、頭を下げたまま答える。
「いえ、とんと存じ上げません。」
「頭をあげるがよい。」
言われてようやく頭を上げ、固まる。
(……こうきたか。)
玉座に座った王の隣に立っていたのは紛れもなく──少なくとも姿だけは──翔子だった。
「なるほど……。」
小さく、誰にも聞こえないほど小さく呟き、薄く嗤う。
「ここにおるは長らく行方不明であった私の娘、ショウだ。そなたも今の姿は知っているな?」
セランは口を閉ざす。
「この度、無事戻ることが出来たのはランバルト卿のお陰だ。それをセラン、そなたが誘拐し、屋敷に幽閉しておった。相違ないのだな、ショウ?」
翔子の姿をし、着飾った誰かは優雅な立ち居振る舞いで跪く。
「はい、陛下。わたくしはかの世界で、ここへ帰りたいと常に考えておりました。ようやくランバルト卿が迎えに来て下さり、わたくしは考えました。」
滑らかな言葉に、セランは頭を下げたまま、考えていた。
これは誰だ。
よく回る舌、一見、淑女然とした振る舞い。
「既に新しい王妃様とお世継ぎとなられます殿下がいらっしゃる事も伺いました。戻ればきっと争いの火種になる……。」
少し哀しげな声になった。
問わずとも語ろうものを、王はわざわざ──無論そのつもりは無いだろうが──小芝居に参加する。
「では何故戻ったのだ?」
「故郷に……懐かしい故郷に帰りたかった。そして、何より……。」
少し間を置いた。
「陛下に……お父様にお逢いしたかったのです!」
走り寄り、王の膝へ顔を埋める。
顔をあげずとも、その動きは十分にわかった。
翔子の姿をした女の特徴が加わる。
大仰な感情表現。
人の心の隙間を計算し尽くしたその行動。
一人しかいなかった。
「おお、そうだったか。長い間辛い思いをさせてすまなかった。世継ぎの座はやれぬが、これからはこの城でゆるりと過ごすがよい。」
王は感激したのか、涙声になっている。
もう、嗤い出しそうになるのを堪えるだけで必死だった。
これでは何と弁解しても聞き入れてはもらえないだろう。
王は、ショウを抱き締め、立たせた。自分も立ち上がり、ショウが王女である事を改めて宣言する。
「セラン、何故ショウを誘拐した?」
(ほら、もう誘拐した事になっている)
セランは嗤いを必死に胸の奥へしまいこむ。
王のそばで、女は許可を求める。
「うむ、申してみよ。」
「陛下、彼はこう申しておりました。わたくしが戻っては国が乱れる、この上は亡き者となって頂く、と。」
「なんと!ううむ。セラン、なんということを……長きに渡り我が国を支えてきたそなたとはいえ──地下牢へ入れて置け!追って沙汰は下す!」
大したものだ。ひと言の弁解もさせず、牢へと送りこんだ。両腕を取られ、長い髪を束ねた紐も、腰に巻いたサッシュも、指輪も。衣類以外の装飾品の全てを奪われながらもセランは抵抗ひとつしない。髪がバラリと顔を隠す。
(嗤う顔を見られなくてちょうどいい……。)
髪の隙間から翔子の姿をしたケダモノを睨みつける。
──エイミー、その姿を映した事、必ず後悔してもらう!
ケダモノがビクリと後退りした。
セランがニヤリと嗤うと、見えたのか、さらに顔をひきつらせている。
(面白い。今度はもっと虐めてあげましょう。)
後は大人しく、牢へと引き立てられてゆく。
まずはゆっくり休んでからにしよう、と、セランは考えるのをやめた。
ふと何かを感じて目が覚めたセランは体をおこす。
牢の中、とはいえ、流石に身分によって分けられていて、ベッドも毛布もある。牢の鉄格子の向こうにランバルトの姿があった。
「おや、どうしました?『ショウ様』のお世話に忙しいのでは?」
ランバルトは苦虫を噛み潰した様な顔をする。
「いやはや、立場が逆転してしまいました。これだからこの世は面白い。」
にこっと笑って見せると、これまた、何とも言えない程嫌そうな顔。
「この部屋、そう悪くはないですよ。寒くはないし、毛布もベッドもあって、食事もキチンと頂ける。柔らかい枕があるともっといいんですが、罪人ですから、多くは望めませんね、罪人ですから。」
わざと罪人と繰り返すと、ランバルトはくるりと背を向けた。
少し虐めすぎただろうか。
「何か御用があったのでしょう?」
ふざけるのは止めて問い掛けると、足を止めた。
「ショウ様はどこだ?」
松明に照らされた顔には焦りが見えている。
(ほほう、やはりエイミーはただの身代りですか。)
今の状態が長く続くのはまずいと思っているらしい。
「ショウ様は上にいらっしゃるでしょう。」
「わかっているのだろう?!」
声を荒げ、鉄格子に掴みかかる。
憐れなものだ。
信用できる同胞もいない。
全て一人で背負うつもりでいるから焦りもでる。
相方がエイミーでは無理も無い。
「このままではこの国はエイミーのものでしょうね。」
声を抑えて結果を告げると、悔しそうに頭を鉄格子に打ち付けた。
「ああするしかない。陛下が王位を譲られるまで時間もない。今の内に手を打たないとこの国はあの女狐のものになってしまう。」
「自分への言い訳ですか。」
冗談ではない。そのエゴイズムの為にこちらの人生は狂わされるのだ。
「そのせいで、今度はもっと酷い、女妖怪のものに成ろうとしている訳ですが、どうなさるのです?」
「だからショウ様を探しているのだ!」
全く解決になっていない。
「あの女が今の状態をそう簡単に手離すと思いますか?本物が出てきたらあの女、どうすると思います?」
考えろよ馬鹿。
そう怒鳴ってやりたかったが、それはセランとしては美しくないのでやめる。
ランバルトは打ち付けた額から血を流しながらも黙っている。
「翔子を危険にさらすつもりですか?」
「私が守る!」
「やけに自信満々ですね。一度出し抜いた貴方の行動など、エイミーにはお見通しです。……殺されますよ。」
一番最悪のシナリオの場合、とは言わない。
猛烈に腹が立つ。
(阿呆ボケカス!いい年しやがって、その程度の事も分かんねーのか、バカ!それで国を憂えてなんてよく言えたもんだな、このオタンコナス!)
心の中で悪態をつき、溜息をついた。
ランバルトの顔が悲壮感に満ちている。
言い過ぎたか?
「私が……。」
まずい方向へ押してしまったかもしれない。
「私が責任を取る!」
決意を固めたのか、はっきりというと、踵を返した。
「わーっ、ちょっと待ったー!」
慌てて鉄格子に駆け寄り、慌てて彼の服を掴んだ。
びっくりした顔で振り向いている。
(し、しまった。)
咳払いをして誤魔化した。
「失礼、その、早まった行動はとらないでください。」
「あ、あぁ……」
ランバルトは気の抜けた様な顔で頷いた。
とりあえず、止める事には成功したらしい。
(うう……拓哉の所為だ。)
掴んだ服を離し、深呼吸する。
「今、エイミーを狙っても、近衛に捕らえられるだけで何も変わらない。」
「しかし……。」
「こうなった以上、徹底的に叩いて置きたいのですよ。」
にこりと笑ってみせる。
ランバルトの顔。目を大きく見開き、口を開けている。
もう少しで吹き出すところだった。
「エイミーの姿は身代りの魔法ですか?」
「う、うむ。彼女は攻撃魔法は得意ではないが、こんな補助魔法はお手の物だ。ただ、やはり荷が重いのか、魔導器を使っている。」
「魔導器?」
どこから手に入れた?身代りの魔法はかなり高度な技。簡単に扱えるものではないというのに、その魔導器とは。
「……どうやらロランから手に入れたらしい。」
渋い顔で語るランバルトに、首を傾げる。
「そこまで話していいのですか?」
重要な情報の筈だ。
「……さっきのような気取らん姿を見せられてはな。信用もしたくなるだろう。」
にやりと笑う。
(ああ、最悪……。)
「それに、国が滅びるのは本意ではない。」
苛め返されたような気もするが、まあ、後の言葉が本音というところだろう。
「国宝級の魔導器とは、ロランもかなり入れ込んでますねぇ。どこをどう引っ張り出すか……。」
しかし、どれもこれも机上の空論でしかない。
今のところは。
「まずはあちらの出方を見るしかないようですね。私も大人しくしていることにしましょう。」
ランバルトのひそめられた眉が、それでいいのか、と問い掛けている。
「私なら、問題ありません。ここは静かで考えを巡らせるにはちょうどいいのですよ。ですから、貴方がここに来るのは……そうですね、私の処分が決まった時にしてください。それまでは精々エイミーを助けて下さい。」
「……わかった。」
しっかりと頷いた。
これでランバルトは取り込んだ。
後はクソジジイをどうするか。
「では、私は戻る。もう一つ聞いても良いか?」
来た時より、苦悩の色は薄くなっている。
「……ショウ様はご無事なのか?」
「お教えしません。」
即答である。
「翔子の身を危険にさらすことになります。」
当然のことなのは、ランバルトもわかっているだろう。最大限に教えたつもりだが、理解できるかを測る物差しでもある。
ランバルトは、フッと柔らかい微笑みを浮かべた。
全くのバカではない、という事だ。
「では、失礼する。」
踵を返すランバルトをもう一度呼び止める。
戻りはしないが、振り返った。
「貴方のこの国とショウ様への愛情、信じていいですね?」
少し辛い顔が見えたのは翔子には信じて貰えないかもしれないという思いだろうか。
「無論だ。二つとも忘れたことはない。」
背筋を伸ばし、歩き去っていく。あの様子ではエイミーに感づかれるのも時間の問題だ。
不器用な男だ。やむを得ないだろう。
ふう、と息をつく。
本当に拓哉の悪影響は恐ろしい。
最小限で何の飾りもない子供の頃の言葉に戻ってしまう。
気を付けなくては体裁もへったくれもあったものではない。
ああ、この言葉もそうだ。全く、以前はこんなことはなかったのに。
少々やさぐれてベッドに仰向けに倒れ込むと、空気が震える。
「ああ、視ていたのでしたね。」
翔子の気配が近くなる。
ちりんちりん、と鈴が鳴るような音。
笑っているらしい。
「やれやれ。見っともないところは内緒にしてくださいね。」
溜息をついてベッドに座りなおした。
ちりん、とまた音。耳のそばで優しくなった。
笑っている。
翔子の声は聞こえないが、こちらの声は聞こえるようだ。
「王の姿は見えましたか?」
ちりりん。これは否定。
なるほど。ここに来てからか。
「ランバルトがきたあたりですか?」
ちりん。肯定の音、と言うよりは伝わる感じだ。
「翔子、皆に伝えて下さい。もう少し待つようにと。私の処分が決まった時が動く機会です。私は大丈夫だから、と。」
ちりりん。
「納得はいかないでしょうが、あの老害頭を探ってみないと対処のしようがないのでね。」
ちりん。
「もう戻って下さい。あまり長く離れると体力も消耗します。なにより、拓哉が心配しすぎて死にます。」
ちりんちりん。
笑い声が聞こえてきそうだ。
「あの、それと、アンナに。」
言おうか言うまいか。
翔子は待ってくれている。
「必ず帰る、と伝えて下さい。」
ちりん……。
翔子の気配が遠ざかる。
さて、もう少し情報を得たいところだが。
「疲れた。寝よう。」
セランはベッドに倒れ込むとすぐに眠りに落ちて行った。
パッ、と目が開いた。
翔子は眠る前に見た洞窟が見えてホッとした。
起き上がると少し貧血を起こす。
くらん、と地面が回る。
と、横から衝撃。
拓哉に抱き締められていた。
翔子はくらくらする頭を押さえつつ、されるがままになっていた。
「ショウ様、大丈夫ですか?どこも痛くありませんか?」
アンナも手を握ってくれる。
「うん、ありがとう、少し貧血起こしたみたいだけど、大丈夫。」
「「貧血?!」」
二人して叫ぶ。
翔子は声が頭に響いて更にくらんくらんする。
「や、やめて、し、静かに……。」
「あ、ごめん。」
アンナが慌てて動く気配がして、戻ってくると、冷たい布を額に当ててくれて少し楽になる。
ようやくめまいが治まって目を開けると、拓哉の顔が見えた。
「ごめん、大丈夫か……?」
頷いて、アンナに目を向けると、これまた、心配そうに覗き込んでいる。
「ありがとう。もう大丈夫。」
とはいえ、まだ起き上がる気力はなく、翔子はもう一度目を閉じた。
意識がはっきりしてくると、拓哉にもたれかかっていることに気付き、安心する。
これだけ消耗するとなると中々頻繁には視る訳にいかない。
起き上がり方も悪かったかもしれないけれど、体が重い。
目の上に布を置いたまま、ゆっくりと深呼吸する。
ああ、まず、アンナに伝言しなくては。
「アンナ」
「はい、ここにいます。」
握ってくれる手を更にギュッと握り返す。
「セランから、伝言なの。」
息を呑む気配がする。
拓哉の手も心なしか力が入る。
「必ず帰る」
翔子は目の上の布を取り、アンナに微笑み掛ける。
アンナは両手で口元を覆い、小さく叫ぶ。
他にも伝えていたけれど、まずはこれだ。きっと。
アンナの頬に手を伸ばす。
いつも自分を押さえて、翔子を守ってくれるアンナ。
セランの事を愛し続けているアンナ。
あなたに、一番に伝えたかった。
「ショウ様、私は……」
「そろそろ、様は無しにしてくれると嬉しいんだけど。ダメ?」
「同感。くすぐったいんだよ。」
拓哉も笑いながら言う。
「ありがとう……でもちょっと」
口元を押さえたまま、困ったように詰まる。
「直ぐになんて言わないけど。」
にこっと笑ってみせると頷いてくれた。
何とか気分も回復して、翔子は話し出す。
「セラン、牢の中にいたの。」
翔子はそう切り出した。
「もう少し待つように。私の処分が決まった時が動く機会です。私は大丈夫だから、って、そう言ったの。」
ランバルトの言葉も、セランの言葉も、覚えている限り全て話した。
「身代りとはまた……。」
アンナがあきれかえっている。
「あたしのそっくりさんの役をエイミー、がやってるってことよね。」
想像ができない。
「そういう事になる、な。」
拓哉も今ひとつピンとこないようだ。
「どんなものなんだ?その身代りの魔法って。」
「もう一人ショウ、がいるようなものです。区別をつけるのは無理です。」
様を止めようとしてくれているのが嬉しい。
けれど、もう一人の自分とは。
「キモチワルイ……。」
「確かに本人にとっては気味が悪いものですが、私は見分ける自信はありません。」
アンナはごめんなさい、と謝っている。
「とても高度な魔法なのですが、昔一度だけ、セラン様が私に化けた事があります。」
アンナの顔が青い。
「鏡を見ているようでした。かけたのはお兄様だったのですが、誰もどちらが私か分かりませんでした。身代りの演技力があればなおのことです。」
「セラン、そういうの得意だろうからな。」
拓哉が呆れ顔で言った。
「今思い出してもゾッとします……。」
アンナはブルッと体を震わせた。
ともかく、今はセランの言う通りに待つしかないようだ。
夜は更けてゆく。
翔子は少し外へ出てみた。
月がもう西へと傾いている。
あちらよりずっと青い月。
拓哉が出てきて横に並ぶ。
「危ないだろ、一人じゃ。」
「アンナは?」
「ん……横になってるよ。」
「そっか……行きたいだろうね。」
セランのそばへ。
無事がわかっても、それでも自分の目で確かめたい。
自由のきかない身にあるとなれば、尚更。
「拓哉、あたしのそっくりさんと会ったら、どうする?」
聞いてみたかった。
見分けがつかないと言うけれど、どうにかしてわかって欲しい。
どうすればいい?
見上げるとじっと見つめてくる。
「どうするかな。その時になってみないとわからないけど……。」
翔子の腰に手を回して抱き寄せる。
薄い茶色の瞳が僅かな距離まで近づいた。顔が赤くなるのがわかる。
「ほら、赤くなったから、翔子だ。」
「……ひ、ひどーい」
翔子が怒ると、くすっと笑ってからギュッ、と抱き寄せる。
「わかるよ、きっと。風が違うから。」
耳元で囁く声に、ぞくっとする。
何だか腰に力が入らない。
「翔子っ?」
拓哉が崩れ落ちそうになる翔子を慌てて抱きとめた。
何だろう、頭がぼうっとする。
目が、ちゃんと開かない。
拓哉を見る。
一瞬、拓哉が大きく目を見開き、そらした。
「ごめん、ちょっと考え無しだった。」
大きな溜息。
何が考え無しだったのか、その時の翔子にはわからなかった。
拓哉はふらつく翔子を抱き上げると、そのまま岩壁に体を預けるように座り込んだ。
そっと翔子の髪を梳いて肩を抱き寄せる。
「愛してるから、今は抱かない。」
ぽつり、と出た言葉は、翔子のふわふわした頭の隅にしまわれてゆく。
遠くを見る瞳を最後に翔子の意識は深く沈んでいった。
あれから3日。
セランはそろそろ牢の暮らしに飽きてきた。
ベッドに仰向けに寝たまま、考える。
(さあて、どうする?)
こちらから打ってでるか、もう少し待つか。
と、足音が近づいてきた。
この足音はランバルトだろうか。
「待たせてすまなかった。」
ランバルトは牢の前にたち、戸を開けた。
「……どういうことです?」
鍵を開ける理由は二つに一つ。
釈放か、刑の執行か。
釈放がないことを思えば、刑の執行しかあり得ない。
「貴殿のこれまでの献身的な務めに報いて、御前試合の機会が与えられた。勝てば罪は不問としようとの事だ。」
促されて外へ出る。
「御前試合。剣ですか?」
剣だとあまり自信がない。
拓哉に教えてはいたものの、あっという間に追い越される始末だ。
ランバルトは固い表情で頷く。
これは困った。
牢を出たところで考えこむ。
「相手は?……まさか。」
「私だ。」
一瞬、動けなくなる。
「……悪趣味この上ないだろう?」
ランバルトが苦笑する。
「エイミーの提案ですね?」
「その通りだ。セラン殿を失うのはこの国にとって大きな損失と陛下が難色を示した所、この提案だ。」
「それで、陛下は何と?」
嫌な予感しかしない。
ランバルトは大きく溜息をつき、先に立って歩きだす。
「大層お喜びだ。面白がられている。まったく、御前で手を抜く訳にもいかんしな。どうしたものか。」
そういうと、あとは黙り込む。
あのクソジジイ、とんでもない難題を投げてきた。
改めてクソジジイぶりに呆れてしまう。
おそらくエイミーはランバルトの罪悪感に気付き、その上で彼を試している。剣豪で知られるランバルトにとってセランの剣の腕など取るに足りない。負けるなど有り得ないと知っているのだ。
一番邪魔なセランを排除できるのならば何でもいいのだろう。
ただ、エイミーは知らないのだろうか。
彼女の野望にとっての一番の障害はセランなどではないことを。
「ランバルト殿、翔子の力のことは御存知ですよね?」
「ああ、風に乗って飛ぶ力のことか。うむ、ここへ来られる時にお使いになったようだな。サンレノからもそれで逃げられたようだ。貴殿の魔法は流石だな、あの闇の檻も破るとは。エイミーが悔しがっていた。」
感嘆して、苦笑している。
勘違いも甚だしいが、好都合だ。
「光栄ですね。」
最後は賭けるしかないかもしれない。
「ここで身体を休めるといい。陛下の御命令だ。」
中に入ると衣装箱が置いてある。
「これは?」
「それも陛下からの預かり物だ。」
開けてみると、牢に入る前に身に着けていた装身具一式だった。
勿論、あの指輪もある。
思わずにやりと笑う。
「なるほど、陛下からですか。」
自分で何とかしろ、というのか。
「ありました。」
「なにがだ?」
怪訝な顔で聞き返すランバルトににっこりと笑ってみせる。
「貴方と互角に渡り合える方法です。」
「ほう、魔法での攻撃は御法度だが……。」
面白そうにみている。
「勿論そんな不粋な事はしません。」
目を眇めるランバルトを真っ直ぐに見返す。
ふっ、と笑みをもらし、ランバルトは部屋を出て行く。
「では、楽しみにするとしよう。時間は明日の日没。それまで充分に休息を取ってくれ。不公平な戦いでは面白くない。」
礼をして出て行くランバルトに、セランも丁寧な礼を返して見送った。
「騎士の魂に火をつけてしまいましたか……。」
肩を竦め、箱の中を改めて見ると、動きやすく作られた訓練用の胴着が入っている。
広げて見ると、裏地に縫い取りがあった。
──アルドへ愛を込めて リン
「粋な贈り物ですね、陛下……。」
セランはその縫い取りをそっとなでる。
それは、近くて遠い世界で会えないまま逝ってしまった、兄と義姉の名前だった。
ガッシャーン。
調理場からボウルか鍋の落ちた音が響き、掃除をしていた翔子は慌てて様子を見に行く。
追手の様子を見つつではあったけれど岩屋での生活では体力が落ちてしまうとのアンナの主張で王城近くの小さな家に移ったのが昨日。
昨夜はゆっくりと眠ることができた。
調理場ではアンナが呆然と座り込んでいた。
床には剥きかけの芋が二つ。
「アンナ!どうしたの!」
声を掛けられ、びくっと翔子をみた。
その手には小さな紙。
「セラン様が……。城内で御前試合をされるそうです。」
「どういうこと?」
青い顔でアンナは紙を持つ手を震わせている。
「勝てば罪を不問とする、と。城にいる下働きの者が知らせてくれました。昨日、何かあれば知らせてくれるよう、頼んでおいたのですが、こんなこと……。」
翔子には今ひとつ状況が飲み込めない。
入口の戸が音を立てる。
水を汲みに表の井戸へ行っていた拓哉が戻ってきた。
「何かすごい音がしたんだけど。」
そういいながら調理場へ入ってきた拓哉は座り込んでいるアンナに表情を固くする。
「拓哉……セランが御前試合をするって……どういうことか判る?」
翔子は戸惑いがちに問い掛ける。
「御前試合、か。要は王様公認で殺しあえってことだろ、アンナ?」
拓哉に聞かれてアンナは震えながら頷く。
翔子は愕然とする。
殺しあう?セランが?
「相手は?」
拓哉はあくまで冷静に問う。
「……ランバルト様です。」
叔父さまとセランが?
「うそ……。」
「嘘だったらどんなにいいか。ランバルト様は達人として知られる方です。セラン様など敵うはずもありません。」
そんなにセランは弱いのだろうか?
「セランは弱い訳じゃない。」
戸惑う翔子の心を読んだかのように拓哉は言う。
「その辺の雑魚になら絶対に負けない。けど、相手が悪すぎるってことだろ」
「どうしたらいいのでしょう……私はセランを護る為にいるのに、こんなところで」
唇を噛むアンナを翔子はただ見ていることしかできなかった。
何か、できることはないのだろうか。セランの為に、アンナの為に。
「いつか、わかるか?」
拓哉が片膝をつき、アンナの手の中から紙を取る。
「日没か。あと二、三時間ってとこだな。アンナ、城に入れるか?」
俯いたままのアンナの腕を掴み、立ち上がる。
引っ張り上げられても、アンナは首を振る。
「嫌です。セラン様が殺される所を見る位なら今ここで死にます!」
「アンナ、やめて!」
小剣で喉を切り裂こうとするアンナの腕にしがみつく。
「必ず帰るって言ってたから!」
翔子の叫び声にアンナの力が抜ける。
その手から拓哉が剣を取り、遠くへ放り投げた。
うう、と耐え切れないとばかりに泣き出した。
翔子にしがみつくようにして嗚咽をかみ殺すアンナの背中を、拓哉がポンと叩く。
「泣くの、早過ぎるだろ?」
アンナは顔をあげない。
「諦めるのか?セランは最後まで諦めたりしないだろ、きっと。」
拓哉は叱るようにアンナを一人で立たせる。
「入れるよな、城に」
「……勿論です。」
俯いたままで、アンナは強く答えた。少し鼻声だけれど、しっかりした声。
「行きましょう。時間があまり無い。」
袖で顔をグイッと拭くと、アンナはいつもの荷物を肩に背負う。拓哉も続こうとしてちらりと翔子を見る。
翔子と目が合いそうになると、つい、と視線を逸らした。
(何、今の……?)
昨日からこの調子で拓哉と殆ど話していない気がする。
何を考えているのか見当もつかない表情をして、前を歩いている。
翔子は、自分を押し潰していこうとしているような不安に怯えながらも二人の後について行く。
セランの無事を祈りながら。
コンコンコン。
ノックの音がして、ドアが開く。
「セラン様。ご準備はよろしいですか?」
近衛が呼びに来たらしい。
兄の胴着を身に付け、髪をいつものように束ねて座っていたセランは、ゆっくりと立ち上がる。
指輪をそっと額に当て、祈る。
(アルド、リン ……神よ、御加護を。)
神に祈ったことなどほぼなかったが、今回ばかりは少々力を借りる。
中庭に出る。
既に舞台は設えられ、王が観覧席に座っていた。
クソジジイどころではない、とんだ狸親父である。
勿論その横には翔子の姿をしたエイミー。頬を紅潮させている。
王妃とマルス王子の姿は見えない。
周囲はぐるりと人に囲まれている。
目の端にちらりと映る姿に胸が痛む。
(許して下さい、ひょっとすると約束を守れないかもしれない。)
アンナは気配を殺し、人に紛れてはいるけれど、セランには一目でわかる。
そういえば、子供の頃、隠れたら中々見つからないアンナを見つけるのは必ずセランだった。
懐かしい記憶に思わず微笑んでから顔をグイッと上げる。
勿論諦めるつもりなどない。
試合開始の口上が述べられ、双方が正々堂々と勝負する誓いを立てる。
ランバルトの剣もセランの剣も長剣。
正眼に構える。
キン。
剣と剣が音を立てた瞬間。
戦いが始まった。
切り込む。下がる。撥ねる。払う。
体が自然に反応する。
斬り込んできたランバルトを正面で受ける。
「その太刀筋。覚えがある。アルドか?!」
鍔競合いの最中にランバルトがいう。セランはにやりと笑った。
「流石です。」
「……成る程。」
ランバルトが小さく息を吐き、剣を跳ね上げた瞬間に、セランは後ろへ跳ぶ。
「久々の手合せだ。」
楽しそうに笑うと、ランバルトは剣を構え直す。気合いが入った。
セランの兄、アルドとランバルトはよい競争相手だったから昔はよく手合せをしていた。
「兄の殻を被っているだけですのでお手柔らかに。」
セランも剣を握り直した。
自分の腕では到底ランバルトには適わない。兄の姿を呼び込み、自分に被せ、定着させることで彼の動きを手に入れる。
勿論、長くは続かないが、兄が楽しんでくれれば少しは長持ちするだろう。
セランの体がいつまで持つか。そこが勝負の別れ目だった。
前へ踏み込み、ランバルトの剣を横に払う。軽く流され、下から切り上げられ、間一髪で返した剣で受け止める。
指輪の中のアルドが喜びに震え、セランの体を借りて打ち合っていた。
(アルド、お任せしますよ)
セランは心の中で一歩さがると兄の残留思念に体を譲った。
(……父さん?……すこし違う。若い頃?)
翔子はセランに重なって見える男性の姿を見物人──おそらく城に出入りできる商人や使用人なのだろう──の中から見つめていた。
セランが戦う姿など見たことはなかったが、明らかに体の動きが違っている。鋭い切先を躱し、跳ね除けて斬り込んでいく。それに応えてランバルトも受け止めては返し、足下、腕へと突き、斬りつけて行く。
二人の剣が音を立ててぶつかる度に群衆から声が上がる。
「楽しんでる……?」
思わずつぶやき、慌てて口を抑える。
「そうだな、強敵に出会えたって感じだ。」
声を低くして拓哉が言う。
「アルド様です……あの太刀筋は明らかに。」
前でセランを凝視しているアンナが言った。
「それは、あたしを育ててくれた父さんのことよね?」
おそるおそる聞いてみる。
「そうです。おそらく指輪の中に残っていたアルド様を引っ張りだしたのでしょう。けれど、かなりの魔力と体力を使う筈です。いつまで持つか……。」
翔子にとって、セランもランバルトも大事な人だった。どちらも喪うのは嫌だ。でもどうしたらいいのか。
王の匙加減ひとつなのか?
観覧席で二人の戦いを真剣な面持ちで見ている王に目をやると、その隣に座る『自分』と目が合う。
凍りついた。
不敵に微笑むエイミーが手招きをする。
抗うけれど、蜘蛛の糸のように視線が絡みつく。
誘われるがまま、ふらりと群衆を離れる。
(あたし、どこへ行くの?)
エイミーの、くすくすと笑う声しか聞こえない。群衆の声が全く聴こえなくなった。
中庭から建物を抜けると、庭園が広がる。薔薇の香りが辺りに広がって感覚を狂わせてゆく。
背の高い薔薇の垣根がどこまでも続いて翔子を奥へと誘う。
いつまでもエイミーのくすくすと笑う声が響いて、心までおかしくなりそうだった。
(一体何をする気なの……?)
垣根が突然切れて、小さな噴水が現れる。
その縁に優雅に腰掛けていたのは翔子自身だった。
「お待ちしておりましたわ。いつ来られるものかと、待ちくたびれてしまって。だって、突然消えてしまわれるのですもの。」
「……その姿、止めて。」
体の自由は聞かなかった。
彼女の手から出ている蜘蛛の糸に縛られているのが見えて、唇を噛む。
「あら、お話が出来るなんて、流石ですわね。でもそこまでですわ。」
翔子の言葉など無視である。
いつもは応えてくれる風の音も聞こえない。
「わたくし、人を縛り付けるのは得意ですの。この間はセラン様に邪魔をされてしまって残念でしたけれど、今度はセラン様も御自分の事で一所懸命。貴女を助けることはできませんわねえ。」
翔子の姿をして、高らかに笑う。
滑らかに紡がれる言葉は翔子を可愛がってくれたオーナー、愛美からは想像もできないものだった。
「ねえ、わたくし、ショウ様そのものでしょう?」
得意そうにクルリと回ってみせる。
確かにそのものだった。
アンナに聞いてはいたものの、ここまでそのままだとは、思いもしなかった。本当に気味が悪い。
指一本動かない。声さえ、満足には出なくなった。
ふふふ、と楽しそうに笑うと、翔子の側へやってくる。
頬を撫でられ、ゾッとする。
「最初はお人形さんのように大事にしようと思ってましたのよ。綺麗なお洋服を着せて、髪も伸ばして、高く結い上げて……でも、このお人形さん、逃げ出してしまうのですもの。ちっとも言うことを聞かない。あんなに大事にしていたのに。つまらない。」
(あたしは……人形じゃない。)
翔子は叫びたかった。
あたしはあたし自身でいたい。
「こんなこともできるんですの。」
すっ、と自身の体に触れると、エイミーのドレスが翔子の服に変わる。「ほら、もっと見分けがつかなくなったでしょう?」
この女は何がしたいのだろう。
自慢大会だろうか?
不気味に微笑む。
ああ、そうだ。
目がちっとも笑っていないのだ。
吐き気がしてくる。
「せっかく苦労して連れてきたお人形さん……でも今はこの姿を手に入れたから言う事をきかないお人形さんは要りませんの。」
笑みが消えた。
蜘蛛の糸が強く締め付けられている。
目には見えない糸が強く、締め上げる。
「本当に、可愛らしいのに、お仕置きが欲しいなんて……。」
翔子の頬を両手で包みこみ、じっとみつめたかと思うと手を高く振り上げる。
パアァァン!
頬が焼けたのかと思う程手の甲で打たれた。
「罪な方……。」
(罪もなにも、あんたにいわれることじゃない!)
心の中でしか叫べない。
「要らないお人形、捨ててしまいましょうねぇ。足をもいで、手もちぎって。」
(拓哉……助けて。)
呼んではいけないような気がしていた。目を合わせてくれない拓哉を、もう頼ってはいけないと思っていた。
けれど。
「ああ、お首も折ってしまわないと。祟られたら嫌だし、燃やしてしまおうかしら。」
(拓哉!)
確認をするように首を撫でられて、震える。
本当に楽しんでいるのだ、この人は。
拓哉を呼ぶ声は届いていないかもしれない。
死ぬのなら。殺されてしまうなら。
もう一度逢いたい。
「……さて、遊ぶのはそろそろお終い。」
エイミーはニヤリと嗤い、長剣をするりと取り出す。
(拓哉、ゴメンなさい、もうダメかもしれない。)
諦めと共に視界も霞んでいく。
五感の全てが薔薇の香りに閉じ込められていく。
セランの剣をランバルトは軽々と受け流している。拓哉にはセランの体力が限界に近づきつつあるのが手に取るように分かった。
前でアンナが息を呑む。
ふと、脳裏に声が届き、隣の翔子を見ようとして気付く。
「翔子?!」
姿が見えない。
「アンナ、翔子がいない!」
アンナは素早く辺りを見回す。
まさか。
二人同時に観覧席をみる。
エイミーも居なかった。
王は変化なく、中央を凝視している。
周りの近衛たちも誰一人として欠けていない。
どこへ行った?
「探しましょう。エイミーが連れ出したなら結界を張っている。貴方なら分かるはずです。」
頷き、人を分けて走り出す。
何故気付かなかった?
後悔が押し寄せる。
翔子に触れるのが怖かった。力のコントロールが不安定で思いもよらない所で手に入れようとしてしまう。
昨日は危なく自分の思うように抵抗できないように力を奪ってしまう所だった。
翔子の心まで捻じ曲げるかもしれないと思うと目を合わせることも怖くなった。
「くそっ……。」
思わず漏らすとアンナが肩を叩く。
「後悔するのは後です。奥へ行きましょう。魔力の痕跡が少しでも見つかる所へ。」
相手が相手だ。別れて探すのは利口じゃない。
頷き、走り続ける。
ふわりと薔薇の香りが届く。
「ここではないかと思うのですが……。」
エイミーは薔薇が好きで、いつも装いのどこかに薔薇をとり入れていたらしい。
目を閉じ、辺りに向けて感覚を研ぎ澄ます。
どこにいる?
呼んでくれ、頼むから。
風が、髪を嬲るように強く吹いた。
左へ誘う。
「ここだ……。」
呟くと同時に走り出す。
もう迷わない。助けると約束した。
風が生垣を散らし、道を付けてくれる。
力がどう動き出そうと、自分の想いは変わらない。
「翔子っ!呼べっ!!」
──拓哉、助けて。
ようやく聞こえた声はか細い。
僅かに震えて、聞こえる。
風が騒ぎ出す。
迷っているのだろうか。風はあり得ない動きで花を散らしている。右へ左へ、上へ下へ。拓哉が追いついた頃にはくるくると小さな竜巻を作り初めていた。
「ここか?」そっと手をいれると、微かな抵抗を感じる。
通り過ぎてしまえば忘れてしまうくらいの違和感。
「翔子!」
あらん限りの声で呼ぶ。
──拓哉、ゴメンなさい。もうダメかも……。
「諦めるな。今行くから。」
強く想いを込めて呟き、風に巻かれながら手掛かりを探す。
無意識に、左手でセランから貰った飾りを握りしめていた。
竜巻が拓哉の周りで大きく成長してゆく。きっかけを探している。
感覚が研ぎ澄まされた指先がぴたりと止まる。
──見つけた。
体が自然に動く。
次にどうすればいいかがわかっていたように、左手の輪をその場所に当てた瞬間、ピシッと空間が裂けた。
竜巻が瞬く間に結界を吹き飛ばし、キラキラと欠片が降り注ぐ。
その輝きの向こうに二人の翔子がいた。
「拓哉!」
驚きと喜びの入り混じった表情の翔子が呼ぶ。
欠片に混じって細切れになった糸が舞い散り、キラリと何かが光った。
拓哉の足音が夕暮れの静けさの中に響く。
「拓哉……?」
崩れ落ちる直前で踏み留まったもう一人の翔子がこちらを振り返る。
風が二人の翔子の間を強く吹き抜ける。最初に呼んだ翔子は風に吹かれて顔を庇いながら二歩程下がる。
迷うものか。
絶対に。
ふらふらとよろけた翔子だけを見て駆け寄る拓哉の耳に、小さな舌打ちが聞こえた。
その瞬間、翔子の顔が凍る。
「翔子……?」
拓哉の視界に映ったのは、胸元に広がる紅いしみ。
「ショウはわたくしよ。わたくし一人。何も、渡さない。渡すものですか!」
哄笑が響き渡る。
「拓哉……?」
翔子が自分の胸に触れ、その手の紅さに目を見張る。
剣は嫌な音を立てて抜かれた。
がくりと崩れ落ちる翔子を拓哉は危うい所で抱きとめた。
「翔子、しっかりしろ!」
「拓哉……正夢に、なっちゃった……何でかなぁ……あたし……見たくなかった……。」
エイミーの哄笑はまだ響き渡っている。狂ったように、高らかに笑いながら、剣を落とし、後退りしてゆく。
翔子は目を閉じ、浅い呼吸をする。
「翔子?」
死んでしまう?そんな馬鹿な。
何も伝えられていないのに。
その満開の笑顔も見られなくなる?
泣き顔も、怒った顔も?
喪う?
「しょうこぉぉーーーーーぉっ!」
拓哉の叫び声が、城に広がり、消えていった。
爆風のように、魔力の波がセランを揺らす。
「スキだらけだっ!」
斬り込んできたランバルトの剣は、セランの髪を僅かに散らし、腕を傷付けた。
セランは外庭の薔薇園の方を睨み、剣は下ろしたまま。
「ランバルト、今の、わかったか?」
二人共息は荒い。
「何のことだ。」
セランの口調はまだアルドのものだ。
「わからんか。……陛下」
王に向かい、大声で呼びかけた。
王も立ち上がり、外庭に目を向けている。
「……ゆけ。」
たった一言、セランに言った。
セランは華麗に騎士の礼をするとランバルトを見る。
「行くぞ。」
「おい、どこへ」
走り出すセランに釣られるようにランバルトも走り出す。
「薔薇園だ。結界が壊れた『音』がした。」
「アルド、なのか?」
セランは笑ってみせる。
「さあ、どっちだろうな。私にもわからん。」
ランバルトの訝しげな顔にセランは笑い、すぐに表情を固くする。
「笑っている場合ではないようです。翔子が危ない。」
後ろでは王が御前試合の中止を告げている。
王は知っている。今何が起きているかを。
ただ、動ける立場にないだけだ。
薔薇園を走り抜ける。
場所は見れば分かる。薔薇の木が壊れている方向だ。
そこには翔子が、拓哉が、アンナがいる。
そして、エイミーが。
セランと一緒にアルドも走っている。娘の為に。
「しょうこぉぉーーーーーぉっ!」
拓哉の叫び声。
まさか。
エイミーの哄笑が響く。アンナがエイミーの腕を捩じり上げて捕らえている。
拓哉に抱き締められているのは翔子。
地面には大量の血。
ランバルトの拳が震えている。
つかつかとエイミーに歩み寄ると、まだ笑っているその顔を音高く平手で殴る。
エイミーの哄笑が止まる。口元から血が流れた。
「あら、ランバルト、ほら、わたくし、ようやくショウになりましてよ。ほら、本物はもうあの世へ……これでこの国はわたくしの思いの儘……。そうでしょう?」
また高らかに笑いだす。その首元から、ランバルトは何かを引きちぎる。その拍子に結い上げられた髪が下がり、エイミーの本来の姿が現れる。どうやら引き千切られたのは魔導器らしい。
「何故だ。」
怒りからか、途轍もなく低い声でランバルトが問う。
セランは黙って拓哉のそばへ膝をついた。
「だって、邪魔なんですもの。あの子が生きている限りわたくし、安心なんてできないわ。」
「これから、安心して眠れる日は二度と来ないな。」
喰えないクソジジイの声がする。
セランは振り向きもせず、翔子の様子を見る。息が細くなっている。
出血を止めなければ。
固く翔子を抱き締めている拓哉を押し退けようとする。
拓哉は子供がいやいやをするように首を振る。
「拓哉、血を止めなければ。治療ができません!」
グイッと無理矢理引き離す。どんッと付き飛ばした。
「翔子を殺すつもりか、このたわけが!」
アルドの想いが強く出たのか、荒くなる。
とにかく血を止める。
けれど、離れかけている魂を呼び戻さなければならない。
(アルド、リン……。)
二人は、喜んで翔子の中へ入っていった。
何とか傷を塞ぎ、息を吐く。出血は止まったようだが、余りにも失った量が多すぎる。早めに医師の治療が必要だろう。
翔子をそっと地面に寝かせ、後ろを見るとクソジジイ改め狸親父は、まだエイミーと対峙している。
「ショウと入れ替わり、私を殺そうとでも思ったか?」
エイミーは高笑いをやめ、乱れた髪を頭を振って背中へ流し、王を睨み付ける。両腕はアンナに後ろ手に抑えられている。
「腕を離せ。」
「陛下、それは。」
「構わん。離せ。」
アンナが渋々手を離すと、エイミーは忌ま忌ましげに髪をかきあげる。
「……ふん、今更何をお聞きになりたいのです?わたくしは全てを手に入れたかっただけですわ。」
「全てとは強欲だな。残念ながら私はまだまだ引退する気はない。私の目の黒い内は勝手はさせん!!」
一喝すると、場が鎮まりかえる。
セランは改めて王を見上げた。
流石だ。王の風格と云うのはこういう事なのだ。まだまだ死にそうにない。
エイミーは口元の血を手の甲で拭い、薄笑いを浮かべた。
突然、短剣を取り出し、王に斬りかかる。
王がいとも簡単に袈裟がけに斬り捨てた。
誰も止めようとはしなかった。
エイミーの身体が大量の血を流しながら崩れ落ちた。
その表情はどこか満足げで、哀れなものだった。
「ランバルト。」
王に呼ばれ、ランバルトは向き直った。
「お前も無罪放免とはいかぬ。流罪くらいにはしてやるから覚悟しておけ。」
王は剣を鞘に戻し、踵を返す。
ランバルトは深々と一礼した。
セランの横を通り過ぎざまに王がちらりと見た。
「……医師を寄越す。死なせたらお前も殺すから覚悟しろ。」
小さな声で告げ、王は城へ戻っていった。
言われなくとも。
「死なせるつもりなどありません。」
ポツリと呟く。
突き飛ばされてぼんやりしている拓哉に声をかける。
「拓哉。翔子を生かすも殺すも貴方次第、しっかりして下さい。」
こくりと頷く拓哉に溜息をつく。
皆は押し黙っている。
風だけが哀しげにくるりと回って過ぎ去っていく。




