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風の運びたるもの  作者: まるうさ
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風の運びたるもの【2】

 土の冷たい感触。

 鼻先をくすぐる草のささやき。

 誰かの肌のぬくもり。

 いつまでも甘えていたいような優しい心地良さ。

 目を開けると誰かのコート。月明かりの中で、守られるようにその腕の中にいた。

 顔をみると、拓哉が眠っている。

「たく・・やさん?」

 と、拓哉も目を覚ました。

 あまりにも間近にあった翔子の顔におどろいたのか、慌てた様子で身を起こす。

「あ……。」

 何が起こったのか、二人とも一瞬で思い出す。

 翔子も起き上がる。

 ぐいっと抱き寄せられて、胸が高鳴る。

「……無事で良かった。」

 と、一陣の風が舞い、翔子の髪をゆらした。

「……その髪。」

 拓哉の呟きに、自分の髪をみると、銀色に光っている。

「何、コレ……」

「それに……ここ、どこだ?」

 問いかけに周囲をみると、月の光にぼんやりと浮かぶ森。

 二人がいるのは森の真ん中に作られた空地のようだった。

 心細くなって拓哉によりそうとしっかりと肩を抱いてくれた。

 少しホッとする。

 気温は低くない。コートが暑いくらいだ。

「夢じゃなさそうだな。」

「うん……何だか静か過ぎるよね。」

「とりあえずどこか休めるような所探さないとな。」

 辺りを見回すけれど翔子には森しか見えない。

 遠くから犬の遠吠えが聴こえる。

「ちょっとこれ持ってて。」

 拓哉がコートを脱いで翔子に渡し、一番近くの木に近づき、手を伸ばした。

 と同時に引っ込めた。

「どうしたの!」

 慌てて駆け寄ると、今度はそっと手を伸ばした。

「ここに壁があるんだ。木に登って周りを見ようと思ったらこいつに当たった。」

「壁?」

 翔子もそっと手を伸ばす。

 確かに壁があった。全く目には見えないけれど。

 壁に触れたまま横へと歩いて行く。

 拓哉もその少し上を触ったまま続いた。

「これ、この原っぱ全部囲んでるんだと思う。」

「閉じ込められてる?」

「ううん、っていうよりは……」

「守られてる、か。」

「拓哉、さんもそう思う?」

 呼びかけに詰まりながら問うと、少し笑った。

「拓哉、でいいよ。……この壁、嫌な感じはしないしな。俺もその手の直感は信用するようにしてる。」

 空地を見回してから、拓哉は地面に座り込んで続ける。

「でも駅の黒い奴は危険そのものだった……あれ、何だったんだ。」

 翔子も隣りに座り、答える。

「分からないけど、ここにはいない。」

 拓哉は確認するように翔子を見た。

「階段から落ちたよな、俺たち。」

 こくん、と頷き、思い出そうとする。

「真っ暗になって、いつまでも落ち続けた。それから……。」

「身体が軽くなったような感覚しか覚えてないな、後は気絶したのか。」

「私、そこまで覚えてない。拓哉、に、助けてもらって、このまま死ぬならそれもいいかな、って思ってた。」

 まだ呼び慣れない名前に戸惑いながら肩をすくめる。

「馬鹿いうなよ。せっかく手が届いたのに死なれたら困る。」

 拓哉は笑って、見えない壁に背中を預けて息をついた。

「考える暇なんてなかったんだ。」

 ぽつり、とつぶやくと、翔子を見つめる。

 トクン、と翔子の心臓が震えた。

 頭の中が真っ白になる。

 どうしたらいいのか、分からない。

 翔子の耳が心臓の音でいっぱいになるかと思った時、拓哉はふっと微笑んで、視線を外した。

 翔子は少しほっとした。

 ここに来るまでは時々しか見えなかった優しい顔が全開でみえる。どうにかなってしまいそうだった。

 夜は静かに更けてゆく。

「助けが来たみたいだ……。」

「え?」

 ゆっくりと指さす方を見ると、長いマントのような物を着た人が歩いて来る。

「助けって、どういう事?」

「もう、大丈夫……。」

 がくり、と拓哉が横へと倒れ込んだ。

「ちょ……拓哉!」

 慌てて助け起こそうとして気付く。

 凄い熱だった。

「……ごめん、起きてられない……みた……いで……」

 さっきまでは何ともなかった筈なのに。

 近づいてくる人に助けを求めようとした翔子の腕を拓哉が掴む。

「……。」

「え? 何?」

 よく聞こえなくて、口元へ耳を寄せる。

「ま、もる、……から……ぜ……い助けに……から」

「どういう意味なの?ねぇ、拓哉!しっかりして!」

 微かに、ほんの微かに微笑んで、翔子の髪に触れるとパタリと手が地に落ちる。

「たく、や?……やだ、目を開けて!」

「大丈夫。気を失っているだけですよ」

 後ろからの声にハッとして振り返る。

 腰に下げた袋から何か取り出し、拓哉の額に当てる。

「何するの!触らないで──」

「助けたいのでしょう?」

 鋭い視線と声で翔子を止めた男は、ふわり、と、可憐としか言い様のない笑顔を見せる。

「心配しないでください。悪いようにはしませんから。」

 取り出したのは植物の葉だった。祈るように何か呟いた。

 拓哉の息遣いがゆっくり、規則正しいものに変わる。

 翔子はほぉっと息をついた。

「これでゆっくり休めば大丈夫。さあ、行きましょうか」

 そう言いながら細く見える体の印象とは裏腹に軽々と拓哉を背負い、立ち上がった。

「あ、あの、どこへ?」

 後ろで束ねた長い髪を前へ垂らした長身の男性は、軽くお辞儀をする。

「まずは私の屋敷へ。詳しいことはそれからお話ししましょう。」

「お屋敷……?!」

 屋敷へと言われ、ポカンとした翔子は歩き出した男に慌ててついて行く。

 まるでわからない事態に内心震えながら。


 鏡を見てため息をつく。

 歩き出して二十分、ついたのは中世ヨーロッパのような石造りの屋敷だった。かなり大きい。

 そしてついた途端にあの男の指示で召使いと思われる女性に強引に風呂に入れられ、着替えさせられ、今の事態だった。

 ドレスだった。どう見てもドレスだ。古代ギリシャかローマか、よくわからないがパフスリーブの先に長い袖、足にまとわりつくように流れる裾は長く、ひきずるかどうかギリギリ。

 いくらお似合いですと褒められた所で拓哉の様子が気になってそれどころではなかった。

 案内されるままに立派な装飾のドアの前に立つと中から声が聞こえてドアが開けられる。

 一目でそうとわかる高級な家具。一番奥のソファからさっきの男が立ちあがり、ほぅ、と感心した様子で近づいて来る。

「見事なものですね。良く似合っている。」

「そんなことはどうでもいいの。拓哉はどこ?!」

「まずはおかけ下さい。話はそれからです。」

「どこなの?!」

 無事を確かめたい。もうこれ以上待てない。

「仕方ありませんね。隣の客間で眠っています。無意識とはいえ、使い慣れない魔法を限界まで使ったのですからもう少し休ませましょう。」

「魔法……?」

 物語の中でしか出てこない言葉。

「森の中で結界があったでしょう?あれは彼の力によるものです。貴女を守ろうという想いから出た力のようでした。おかげで探し当てるのにかなり手こずりました。」

「私を……?」

 自分の為にあんな状態になったという事なのか?

「けど、拓哉はそんなこと言ってなかった。」

 だから無意識だと言ったでしょう、と隅に控えていた女性に茶の準備の指示をした。

「ここは魔法がある世界です。貴女のいた世界からきても彼のように素質がある人は使い手になる。まあ、滅多にある事ではありませんが。」

「私のいた世界……。」

 もう、何が何だかわからなかった。

 男は翔子の肩をそっと押してソファに座らせると、自分も向かい側に座って話し始めた。

 この国はラクサスという。

 魔法も武力も存在する、ファンタジー的な世界の南にあり、ラクサス王が治めている。

「貴女のいた所のように銃や車はありませんが、魔法があります。使い手によっては余程危険かも知れません。」

 この男の言っている事が本当だとしたら──こんな手の込んだ冗談もないだろうから本当なのだろうけれど──どうして話す言葉がわかるのか。

 言葉が同じというのはまずないだろうし、ましてこの男は翔子のいた世界の事を話した。

「あなた、何なの?私の世界の事もこの世界の事も知ってる。拓哉の事も知ってるでしょう?拓哉の力の事まで詳しい……いったいどうなってるの?」

 男はやれやれと肩を竦める。

「本当に拓哉は大丈夫なのね?」

 念を押し、男が頷くとじっと見返す。

「そうですね、何から話すか……ああ、名乗ってもいませんでした。セラン・ラクサスといいます。」

「ラクサス……?」

「そう、王家に繋がります。かなり遠縁ですが。」

 セランは女性がもってきた茶を翔子に勧め、先に口を付ける。

「20年前、当時の大臣、カリクが王家転覆を企てました。もう少しで現実となる所でしたが何とか私達は彼らを止める事に成功しました。」

 当時を思い出しているのか、少し眉間に皺がよる。

「しかし、王は深手を負い、王妃は既に亡くなられていた。私が駆け付ける直前の事だった。一人娘の姫は私の兄とその婚約者の手にゆだねられ、他の世界へ避難していました。

 それが貴女です。ショウ・イオル・ラクサス様。」

「………は?」

 翔子の反応は無視して、セランは続ける。

「私の兄は優秀な魔術師でした。完全に痕跡を消していた。手掛かりは彼が私に残した翡翠の指輪だけ。」

 左手の中指の見事な銀に翡翠の指輪に視線を落とし、目を細める。

「私に遺された課題は山積だった。王の治療に始まり、残党狩り。王国の体制の立て直し。沢山の優秀な人材が喪われていましたからね。そして、兄達と貴女の行方を探す事も。」

 翔子は翡翠の指輪に目を細め、自分の首にかかっている父の形見にふれる。

 同じ形。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「国内の形が整うのに5年かかり、そして10年前、ようやく貴女を見つけました。王はそれはお喜びになりましたが、既に後妻を娶られ、お世継ぎもあった。跡目争いは国を乱し、まして何も知らずに暮らしている貴女を混乱に巻き込むのは偲びない。」

 翔子を真っ直ぐに見つめる。

「そこで私がそちらへ時折様子を見に行くことになりました。そちらの世界のことをよく知っているのはその為です。」

 ここは私が産まれた世界だったというの?

 死んだ両親は、本当の親ではなかった、と……。

「今更そんなことを言われても……。」

 混乱するばかりで何も言えない。

 セランは頷く。

「分かっています。こちらでも貴女を呼び戻す予定は無かったのです。何故こんなことになったのか、調べねばなりません。」

 詳しいことを教えて欲しいといわれ、問われるままに強盗の話からをかいつまんで話した。

 考える余裕はない。

「なるほど……。」

 大きくため息をついたセランが徐にたちあがる。

「拓哉の所へ案内しましょう。私は出掛ける用が出来たので留守にしますが、用があれば彼女を呼んでください。アンナといいます。」

 さっき茶を持ってきてくれた女性を振り返る。アンナは深くお辞儀をした。

「何処へ行くの?」

 不安になって問うと、セランは少し微笑んだ。

「おや、少しは頼りにしてくれるのですね。」

 翔子はなんだか恥ずかしくなって、

「別にそういう訳じゃ……。」

 と言い訳してしまう。

 セランはにっこりと微笑んで続ける。

「とにかく、拓哉のいる部屋へ行きましょう。けれど約束して下さい。拓哉の側を決して離れないで。何が起きるかわかりません。誰が来たとしても。アンナ以外は部屋に入れてもいけません。いいですね?!」

 セランのあまりの迫力に、思わずカクカクと頷いた。


 パタンと扉が閉まる音がして誰かが枕元に来た気配がした。

(ああ、翔子だ)

 足音と気配で判る。

 拓哉の手をそっと握ってくる。

 握り返して目を開けた。

 翔子の驚いた顔が、喜び、そして泣き顔に変わり、首にだきついてくる。

「拓哉!よかった!よかっ……。」

 言葉にならず後は声を上げて泣き出した。

 面食らう。こんなに泣く翔子は初めてだ。と、思ってから気づいた。

(よく考えてみれば長い日数を一緒に過ごした訳じゃない。当たり前だな。)

 たった三度会っただけだ。しかも最初は会ったとさえ言えないだろう。

 翔子の銀色に変わってしまった髪を撫でる。

 これからも初めて見る翔子にたくさん会うのだろう。

 けれどこんなに惹かれてしまった。

 理屈ではないらしい。

 目覚めて初めて周りを見渡す。

 随分立派な部屋だ。高価そうな調度品、細かい彫刻が施されたドアや壁。中世のヨーロッパの貴族の家で見かけるようなものたち。

 翔子の泣き声が少しおさまってきた。

「ごめん、心配したよな?」

 ようやく体を離し、スン、スン、と鼻をすすり、頷く。

 すっ、と横から柔らかそうな布がさしだされる。

「あ、ありがとう……。」

 黒い地味な服装の女性から布を受け取り、翔子に渡すと、顔を覆うように拭く。

「いえ、見るに見かねての事です。御用があればお呼び下さい。アンナと申します。」

 そう無表情に言うと、離れていく。

 物の見事に気配を消した。

「ご、ごめんなさ……。トマ、んなくっ、て……。」

 翔子はひくつきながらもこちらを見た。

 目が真っ赤になっている。

 少し力を入れて体を起こし、ベッドの端に腰かけた。

「怖くて、心ぼそくて、拓哉が、死んじゃうかと思って……。」

 そう簡単には死なないさ、と軽く言って、額にキスをする。

 床に跪いていた翔子を隣に座らせる

 とポツリポツリと話し出す。

 ここが自分の故郷だということ。今迄両親と思っていたのはセランというあの男の兄で、自分が王女と言われたこと。

 魔法がまかり通る世界で拓哉の力で守られていたこと。

 全てが驚くべき事実であるにもかかわらず、何故か拓哉の心にはすんなり受け入れられた。

 何故なのか、拓哉自身にもわからなかった。

 結局、翔子の今迄の世界全てが偽りだったことになる。

「私、どうしてこんなところにいるんだろう……。ここに必要な訳でもないのに。」

 ポツリ、と、言って、拓哉の肩にもたれた。

 足下から崩れていく感覚には拓哉は覚えがあった。

 視線で人を縛ることができると気づき、それに両親が脅えた時だ。

 どうやらその力は視線どころの話ではないらしいが。

「翔子、元の世界へ戻りたいか?」

 問うと、少し考えていたけれどわからないと答える。

「俺は……まあ、戻っても犯罪者だしな。静かに暮らせるならここでも構わないけど……。」

「けど……?」

 翔子は次の言葉を待っている。

「あんたが、翔子がいるなら、構わない。」

 格好をつけた言い方だが、本音だった。

 翔子が顔を上げた。

「私……拓哉といたい。」

 余りにも真摯な表情にどきりとして、抱き寄せる。

 そのままキスをして──体を離した。

「やば……。」

「拓哉……?」

「いや、押し倒したくなった。」

 翔子はキョトン、としてうつむき、頬を染める。

「いいのに……私」

 拓哉は笑って、翔子の背中をかるく叩き、ただ、肩を抱き寄せた。



 拓哉の拠り所はセラン──当時、世良と名乗ったあの男だった。

 中学に上がると同時に引越してきた拓哉は注目される存在だったからか、上級生に呼び出しを受けた。理由もなく殴る蹴るの暴行を受け、その中心人物を睨みつけた時、力は発動する。

 相手がいきなり昏倒したのだ。

 訳のわからない恐怖に敏感な年頃である。警察沙汰になったが、拓哉自身が暴行をうけていた事と、目撃者がいた事で上級生達が補導されただけで拓哉自身はお咎めなしで終わった。しかし噂は瞬く間に広がる。

 やがて拓哉は怯えられる存在となった。

 その時の目撃者がセランだった。

 事件後しばらくして、居場所がなかった拓哉は河川敷の芝生でぼんやり放課後を過ごしていた。

 学校へは行っていた。周囲は遠巻きにするだけで攻撃を受ける事も無かったし何より一挙手一投足に怯える両親がいる家よりはマシだった。

「こんにちは」

 声をかけられて振り向くと、余程驚いた顔をしたのか、笑われた。

「失礼しました。少々気になっていたのでこちらへ来たついでに寄ってみたのですが、腐ってますねぇ。」

 カジュアルなパーカーとジーンズという服装とは違和感のある話し方をしながら、無造作に隣に座る。

「おっさんには関係ないだろ?」

「おっさん……ですか。そんな年でもないんですが。」

 少し傷ついた顔をする。

「あんた、俺のこと怖くないのかよ。」

「何故怖いのです?」

 心底わからないという風に首を傾げた。

 チッ、と舌打ちした拓哉に、ふと微笑む。

「そうですね……得体の知れないモノなら怖がる気持ちも分かりますが私にとっては何ら珍しいものではありませんから。」

 そういえばこいつ、警察でもおちつきはらってたなと思い出した。

「こういう事は見せる方が早いですね。」

 ふわり、と地面がなくなる感覚に襲われ、下を見ると50㎝程浮いている。

「う、うわあぁっ──っ!」

 叫んだ途端、ドスンッと落ちた。

 絶句し、男を見ると、ニコリ、と笑う。

「怖いですか?」

「びびった……。超能力、なのか?」

「ちょっと違いますねぇ。魔法と呼ぶべきでしょう。力の方向性をコントロールして発動させるものです。貴方の力は未だそこまで至っていないようですが明らかに素質がある。いずれ助けていただくことになるかと思います。」

 断定だった。

「それ、命令してんの?」

「とんでもない。予測です。」

 何だか胡散臭い。

「怪しむのも分かりますが。あくまで貴方にその気があるなら、の話です。今度会うまでにその力をコントロールできるようになっておいて下さい。」

 やっぱり命令だ。ちょっとむっとする。

「人探しをしているんですよ。この国にいることだけは分かっているんですが、何かに阻まれていて見つからない。」

 風が周りの芝生をそよがせる間、黙り込み、拓哉の目をしっかりと見つめる。

「貴方の力が必要なんです。」

 拓哉にとってはその言葉こそが魔法だった。

「俺が必要……。」

 腫れ物にさわるどころか触れる距離にさえ誰も来ようとしない事がいつの間にか作り出していた空白を一瞬にして埋めてしまう言葉の魔法。

 それが何色であろうとも。

「答えは次の機会にお伺いしましょう。さて、そろそろ失礼します。」

 立ち上がり、服についた芝をはらう。

「集中力をつけて、風の動きが視える位にはなっておいて頂きたいですね。手間が省けます。」

 にっこりと笑顔を見せながらかなり厳しい事を言っていることをわかっているのだろうか。

 軽く手を上げ、去って行く男の姿を見送り、拓哉は川面に視線をむけた。

「わかってんだろうな、きっと……。」

 溜息交じりに呟く。

 利用されるだけかもしれない。それでもやってみようと思っていた。

 モノクロームだった風景に少し色が戻ってきたように思えていた。


 食事をした後で、翔子は窓の外を眺めていた。

 何処までも続く緑。夜はすっかり明けて、日の光を受けて輝いている。

 胸元で揺れるペンダントに触れる。

 死んだ父が遺した指輪をチェーンに通したものだ。

 これがセランの兄のものだという。

「ショウ様、少しお休み下さい。隣にベッドをご用意しました。」

 振り向くとアンナがいた。

「ありがとう。でも眠れそうにない……。」

 アンナは首をふる。

「いいえ。一晩中起きていらっしゃるのでは体に毒です。」

 その言葉には有無を言わさぬものがある。

 仕方ない、とりあえずベッドには向かい、それから考えることにした。

 拓哉はどうしたのだろう。姿が見えない。

「タクヤ様には湯を使って頂いております。程なく戻られる筈です。では失礼いたします。」

 寝室に入ると、瞬く間にアンナは出て行く。ベッドの上においてあるのは寝間着らしく、簡素な白い絹のものだった。今着ているドレスよりもよっぽど楽でいられそうでほっとする。

 着替えてベッドにはいると不思議なことにすんなりと瞼が重くなって、いつの間にか眠っていた。


 ここは何処だろう。

 湿った空気。石造りの壁と床。鉄格子。

(地下牢?)

 所々に小さな灯り──蝋燭だろうか──がついている。

 奥へと進むと人の気配。

「何が目的ですか?」

 これはセランの声だろうか?

「知れたこと。ああなった以上、1日も早く姫にお帰り頂いて王位を継承して頂かねばならぬ。」

 覚えのある声。

「陛下がそれを望んでおられないのに?」

「陛下はあの女狐に毒されておられる。マルス殿下はまだ幼くていらっしゃる。あの女狐にいいようにされるのが目に見えておる。」

「そんなことはさせませんよ。」

 2人とも酷く怒っているように聞こえる。

「マルス殿下は御年10歳とはいえ賢くていらっしゃる。御母上の危険な動きも十分に御承知です。」

「それでも親子だ!」

 絞り出すように放たれる声は苦く、苦しそうに聞こえた。

「命乞いをする母上を拒むことはお出来にならぬ……生きておられればまた何かを求められる。そういうお方だ。判っておるであろう?!」

 沈黙が広がり、翔子は一歩進める。

「だから国を乱すと?」

 低く響くセランの声。

「止むをえぬ……一時乱れたとしても先には平穏が訪れ」

 バシィッ。

 壁に立てかけられた松明が大きな音と共に燃え上がる。

 照らされた顔はセランの静かな怒りの顔と──。

 牢の中の懐かしい、平田の顔。

 思わず息を呑む。

 と、セランが鋭くこちらを見た。

 ──お帰り下さい。貴女が来るべき所ではない。

 セランの瞳が大きく迫り、強く押し返される感触と共に暗くなっていく。

「……ランバルト、貴方の望む通りに事態は動きそうだ。」

 セランが大きくついた溜息と言葉は翔子には届くことはなく、踵を返し、ぐっと頭を上げたセランの決意の表情も見える事はなかった。


 セランが戻るまではここにいて欲しいとアンナに言われたが、これといってする事も思いつかない。

 翔子も静かに眠っていた。

 拓哉はセランの書斎から持ち出した魔法書をパラパラとめくっていた。

 魔方陣が1ページごとに描かれたその本は文字が読めなくても何と無く内容が判るものだった。

 一瞬、ピシッと硝子にヒビが入るような音がする。

 アンナを見ると、サッと緊張が走り、滑らかな動きで翔子が眠る部屋のドアへと移動する。

 こっちを振り返り、準備をしろと目でいう。

 とりあえず壁に隠れるのを見て頷き、ドアを開けた。

 突風が噴き出し、部屋の硝子が全て割れた。

 一陣の風が拓哉の髪を撫で、窓の外と去ってゆく。

 今のは──。

 窓へと駆け寄る。

「翔子!」

 翔子の気配が遠ざかっていく。

 風がおさまると部屋の中は惨憺たる有様だった。

 家具は倒れ、ガラスは割れて修復には随分手間がかかりそうだ。

 アンナの溜息が聞こえる。

「まったく、とんでもないとは聞いていましたがこれ程とは。」

「どういう意味だ?」

 問い掛けると黙り込み、ドアの中へ入っていく。

 拓哉も続いて入ってみると枕元にネックレスが飛ばされずに残っている。

「タクヤ様、それを持っていて下さい。ショウ様には大事なものです。」

 それだけ言うと部屋をでていく。

 翔子に何があった?

 アンナは何か知っているらしい。

「翔子……どうしたっていうんだ……。」

 割れた窓の外を見上げて呟き、手の中のネックレスをみる。

 大事なものを放り出し、恐らく今まで使った事もない魔法を使って、向かった先は何処なのか。

 その手の上にドサリと服一式が置かれる。

「着替えて下さい。時間がありません。寸法は合うはずです。」

「時間が無いってどういうことだよ?おい!」

 ドアを出ようとするアンナを慌てて呼び止める。

 ゆっくりと振り返るアンナの視線が厳しい。

「ショウ様を護るのではないのですか?」

「当たり前だ!」

「では、お早く。」

 上手く躱された。

「畜生……。」

 さっさと着替えて翔子のネックレスを首にかける。

 着てみると滑らかな黒い布は拓哉の体にぴったりと沿い、動きも妨げる事がない。

 部屋を出るとアンナは既に着替え終わり、腰に剣も挿している。

 拓哉をちらりとみると長いものを投げて来る。

 慌てて受け取ると短めの剣だった。

「使わせるつもりはありませんが念の為、持っていて下さい。」

 馬鹿にされているような気がする。

「行きますよ。」

 声を掛けた瞬間に窓から飛び出す。

「マジかよ……。何者なんだ」

 仕方ない、遅れるわけにはいかない。続いて窓から飛び出す。

 出された靴が予想外に衝撃を吸収してくれた。

 アンナが口笛を2回吹くと馬が二頭走って来る。

 ひらりと走って来る馬に飛び乗り、スピードを落とさず走り出す。ポカンとしているともう一頭の馬が早く乗れとでも言うように鼻面をよせてくる。

「ん、行くか。頼むな」

 首をポン、と叩いてやり乗ると、理解しているかのように走り出す。

 乗馬は昔セランに叩き込まれたのである程度は乗れるがアンナのようには乗れない。付いて行けるのは馬の能力のお陰だ。

 1時間程駆けた頃、アンナが馬を降りた。手綱を離すとすっ、と離れていく。習って降りると、馬が鼻面を押し付けてくる。

 微笑ましくなって首を撫でてやると満足したように離れていった。

「気に入られた様ですね。」

 珍しくアンナが微笑む。

「ん、よく走ってくれたよ。」

「割と気難しい馬で気に入らない人間が乗ると振り落とします。」

「……。」

 要はあの馬を乗りこなせないなら置いて行くつもりだったということか。

「まあ、いいけど。」

「ここからが本番です。貴方の能力、測らせていただきます。」

 はっきり言うと、先に立って走り出す。

 目の前には大きな砦。

 ここに翔子がいるというのだろうか。

 無事でいてくれよ……。

 祈りながらアンナの後を走り出した。


 風になっていた。

 平田のもとへ。牢の中からすくいださなければ。

 父と母を亡くした翔子の手をそっと握り、ずっとそばで支えてくれた。

 泣きたいときには一晩中背中を撫でてくれたあの大きな手。

 気がつくと、さっき夢でみた牢の中にいた。

 奥へと走り出す。牢の中を確かめる。

「叔父さま!」

 中の男が顔を上げる。

「ショウ様!」

「大丈夫なの、怪我はっ?」

「この様なところへ、何故」

「夢でみたの。私、いてもたってもいられなくて、風になって来たの!」

 平田は目を細め、少し辛そうに翔子を見つめる。

「では、力の鍵が外れてしまったのですね。」

「なんの事を言ってるの?さあ、早く!」

 翔子が触れると牢の鍵が難なく弾け飛ぶ。セランの呪いの掛かった鍵が難なく。

 平田は長衣を軽く捌いて立ち上がると牢からでる。

 翔子を愛おしそうに見つめ、深々と頭を下げた。

「叔父さま?」

「すまない、この様な事に巻き込みたくはなかった。しかし、この国の為なのだ。分かってくれ。」

 そう言うと、しっかりと翔子を抱き締め、何事かを呟いた。

「叔父さん、止めて……!」

 押し寄せる物への恐怖に翔子が叫ぶ。

 闇がまとわりつく。

 それはあの時、翔子と拓哉を飲み込んだ、あの闇だった。


 夕暮れも最後の明かりを残すばかり。

 拓哉はアンナの投げたロープを掴んで登り始める。所々に爪先が入る程度の輪が作ってあるのが救いだった。

 鍛えておいて良かったと心底思う。

 半年に一度程訪れるセランに散々山へ放り出されていたのが功を奏したらしい。

 それでも上へ辿り着き、身を隠すとへばった。

「ごめん、ちょっと休めるか?」

「元よりそのつもりです。この砦は中へ入ってしまえばほとんど見張りはいません。これを。」

 差し出されたのは小さな木の実。

 固い皮を取り煎ったものらしい。香ばしい香りがする。

「魔法の助けも得ていますから疲労回復に効きます。」

 水で飲み込むよう指示され、一口で飲み込む。

 水だけでも助かる。

「大したものですね。もっと早くに根を上げるかと思っていました。」

「セランに随分鍛えられたからな……。」

「なるほど。」

 何とか息を整える。

「行くか。」

「ここからは人は少ないですが結界が多くなっています。気を付けて下さい。」

 塔の中へ入って階段を降りていく。

 前を行くアンナの腕を掴んで止める。

 結界が張ってある。

 外せる物だろうか。

 そっと触れると柔らかな反応が返ってくる。

「上から入る分には抵抗が無い。」

 ということは。

「あちらのようですね。」

 階段の明かり取りの窓から見えるもう一つの塔。

 外が暗くなり、小さな灯りが点いた。通り道には間違いなく結界が張ってあるだろう。

「どうする?」

「強行突破します。」

 問い掛けると即答で答えてきた。

「マジかよ……。」

「何ですか?」

 思わず漏らした呟きに、真面目な顔で返してくる。

「何でもない。強行突破って言ったってやりようがあるだろう。」

「勿論です。真上から綱で降り、窓を蹴破り侵入します。貴方は直ぐに隠れて下さい。私は追っ手を引き付けて逃げます。」

「……!?」

「お二人が一緒にいらっしゃれば大丈夫だとセラン様はおっしゃいました。」

 絶大なる信頼。アンナの態度にはセランに対するそれが一貫してあった。

「ただ、機会は一度きりです。ショウ様があの部屋にいらっしゃるか確認しなくてはならないのですが。」

「やってみる」

 目を閉じて、意識を広げる。翔子の息遣いを捜す。

 風が澱んでいる。

「いない」

 アンナの目が鋭くなる。

 もう一度目を閉じ、捜す。

 範囲を広げ、砦全体を捜したが、どこにも、セランの屋敷を飛び出したあの風はいなかった。

「謀られたようですね。出直しましょう。」

 決めたらアンナの行動は速かった。瞬く間に屋上まで上がり、スルスルとロープを使って外へ降りていく。

 ついていくのがやっとだった。

 闇に紛れて砦を離れ、充分に離れてから口笛を二度吹いた。

 馬達が戻ってくる。

 待つ間に座り込んでしまった拓哉を気遣うように鼻面を寄せてくる。

「ああ、大丈夫だよ。帰ろう。」

 アンナは騎乗したまま黙ってまっている。

 馬にまで気を遣わせる程落ち込んでいるのかと苦笑する。

「馬は敏感ですから。気に入った人間の事なら尚更です。」

 アンナが馬を進めながら言う。

 拓哉も馬に乗って横に並ぶ。

「その馬、ジュノーといいます。大事にしてやってください。」

「いいのか?俺が乗って」

「おそらく、ジュノーが他の人間を乗せないでしょうから。戻りましょう。」

 スピードを上げて、走り出す。

「行こうか、ジュノー。」

 声を掛けると嬉しそうに走り出す。

(翔子……どこにいる?)

 答えは聞こえない。

 風も答えてはくれなかった。


 ここは何処なの?

 真っ暗で何も見えない。

 叔父さん、なんのつもりなの?

 呼びかけても何も聞こえない。

 拓哉、あたし、どうしたらいいの?

 自分の周りに膜ができたみたいで何にも触れられない。

 外の世界が見えた。

 ああ、あたし、起きたのね……。

 人にかしずかれて服を着替えている。

 叔父さんが部屋に入って来た。

「おお、美しいお姿です。やはりお似合いですな」

 そんな言葉いらないの。元に戻して。

「先は女王となられる御身、大事にして頂かねば。そうそう、伴侶のことも考えねば。」

 ちょっと待って、どういうことなの。

 あ、行かないで!

 ここから出して!

 お願いだから……。

 聞こえる訳ない、か。声が出せないんだから。

 どうしてこんなことになったの?

 この国の為って言ってたよね。

 話せないあたしなんて唯の抜け殻じゃないの。今迄大事にしてくれてたのは抜け殻のあたしがほしかったからなの?本当のあたしはいらないの?

 ──本当のあたし?

 本当のあたしって、何?

 叔父さんと会うときはちょっと気取って背伸びしてた。

 店では明るくしていよう、オーナーを見習わなくちゃって、逞しくなろうって背伸びしてた。

 あたしって背伸びしてばっかりだったんだわ。

 拓哉の前では……?

 泣いたり、拗ねてみたり。

 背伸びはしてなかったけど、かわいい女の子でいようとしてたかもしれない。

 なんか、ヤダな……。

 気付いちゃったら最悪じゃない。

 もう……自己嫌悪。

 けど。あたし、このままは嫌。

 人の顔色ばっかり見て、相手の望む自分でいようとして。

 拓哉のこと、好き。何故かなんてわからない。

 ほんのちょっとしか一緒にいないけど、もっと一緒にいたい。

 もっと知りたい。

 だから、このままは嫌。

 利用されて、閉じ込められてるのは嫌。

 でも、どうすればいいの?

 助けてって言ったって、誰にも聞こえない。

 何とかしなくちゃいけない。

 ああ、あたし、眠るんだ……。意識が遠のいていく。

 考えられなくなっていく……。

 拓哉……。



「……そうですか。見つかりませんでしたか。」

 セランは大きく溜息をついた。

「申し訳ありません。見込み違いでした。」

 アンナが深く頭を下げる。

 拓哉はソファに座り、二人のやりとりを見ていた。

「アンナの所為ではありません。私も彼が戻るならあの砦だと思っていましたから。」

 ワインをもらえますか、とアンナに頼むと、セランは拓哉の向かい側のソファに沈みこむ。

 アンナが部屋を出て行く。

「拓哉、ショウ様のペンダントを見せてもらえますか?」

 首にかけていたペンダントを渡すと、探るように見つめる。

 納得がいったとでもいうように頷き、拓哉に返してくる。

「何か解ったのか?」

「ええ。ショウ様の魔法を封じる呪いがかかっているようです。あちらで暮らすにはまず不要な物ですからね。……兄が遺したのでしょう。」

「外した途端に弾け飛んだってことか……。」

「ええ。まあ、加えてショウ様が強く望まれたことが原因でしょう。」

 アンナがワインを持ってくる。

 グラスは三つ。

 ふ、と微笑んで、セランが席をひとつずれると、当然のような顔でアンナが座る。

 セランは自分と拓哉に注いでからアンナにも注ぐ。

「あんたも飲むんだ……。」

 拓哉が感心したように言うと、ジロリと睨む。

「いけませんか」

「いや、そういう訳じゃ」

「飲まなきゃやってられません」

 吐き棄てるように言うと、一気に飲み干す。

 心得たもので、空いたグラスにセランはタップリとワインを注いだ。

 2杯目はもう一気には飲まない。

「時々こうして二人で飲むんです。やりきれない事が多過ぎるのでね。」

 楽しそうにセランはいい、拓哉に向けてグラスを掲げる。

 その表情に、アンナへの信頼が見えた。

「牢でランバルトと会っている所をショウ様に視られてしまいました。」

「ランバルト?ああ、翔子の叔父さんか。」

 頷きながら、セランはワインを飲み、ため息をつく。

 内容をざっと話し、続ける。

「処分を急がねば、と思った矢先にこの事態です。読みが甘かった……。」

「処分、って恐ろしいこと言うな……。」

 思わず反応してしまう。

「この世界はそんなものですよ。そこで躊躇えばひどいことになる。」

 確かにそうらしい。

「甘い。」

 ボソッとアンナが呟く。

「そんな企みが発覚したのなら何故直ぐに実行に移さなかったのです?ショウ様の力がとんでもないことは御存知だったのに、何故こんなことになったのか、それはセラン、あなたの甘さが原因に他ならない!」

 段々声が大きくなり、最後は怒り出した。

(今、呼び捨てにした……。)

 拓哉はその勢いに面食らう。

「どうするつもりです?このままじゃ必ず反乱勃発です。ショウ様を祭り上げて王子を追放で済めばいいですが王妃もろとも処刑なんてことになればまた怨みを産む。苦しむのはショウ様です。分かってる筈でしょう?!」

 まぁ、ポンポンと喋る喋る。

 まだ続いている。

 拓哉にとっては情勢がよく分かっていいが、セランにとってはわかりきっている事をただ責められているだけだと思うのだが。

 セランはワインを飲みながら黙って聞いている。

 聞き流している訳ではない様だ。

「いい?!あんたの計画が水の泡になんのよっ?タクヤを探し当てたこともショウ様を見守って来たことも、あの店を潰して二人をショウ様から遠ざけたこともっ?!大体どんだけショウ様が大事なのよっ!兄貴の遺言にしては度が過ぎてるでしょうっ?」

「アンナ。」

 低いトーンでセランはアンナの快進撃を止めた。

「……もう寝ます。」

 ぴたりと口を閉ざしたかと思うとそう言い残し、部屋を出て行った。

 聞き捨てならない事を聞いたような気がする。

 ランバルトを翔子から遠ざける為にあの店に強盗に入るようにしたということだろうか。

(しかし、あんたって言ったぞ、今……。)

 セランは黙ってワインを口へと運び、飲み干すと、大きなため息をつく。

「聞かなかった事にして欲しいといっても、無理でしょうね……。」

「……まぁ、気持ちはわからないでもないけど、無理だな。」

 空になったグラスに新しいワインを注いでやる。

 微妙な空気が流れて、セランは苦笑する。

「アンナは幼なじみでね。ただ、身分があるので中々本音を出してはくれない。」

 私は気にしてはいないのですがアンナの方はそうはいかないのでしょうね、とアンナが出て行ったドアを懐かしげな瞳で見つめながら話す。

「……飲むとああやって昔の様に叱り飛ばしてくれる。貴重な存在です。私も頭の中を整理するのに助かるので黙って聞いているのですが……。」

「楽しそうだったけどな。」

 拓哉がにやりと笑っていうと、肩をすくめる。

「そうですね。楽しいですよ。気遣いのいらない関係は。酔った時だけなのが残念ですが。」

「お互いにそう思ってるんだろ、きっと。」

 答えず、ワインのグラスを揺らしている。

「……で?」

「忘れてはくれませんか、やはり。」

「阿呆か。」

 一蹴してやる。

 分かっていて言ってるんだろう。

 楽しそうに笑って、セランは座り直す。

「いいでしょう。お話ししましょう。」


 目が覚めたらしく、外の世界が見えた。

 人形のように着替えさせられ、髪を梳かれている。

 平田──ランバルトはあれからやってきていない。

 この状態になってからどの位経つのだろう。

 三度、目が覚めた様な気はするがさて、常に朝、目が覚めているのかすらわからない。

 1人の食事。

 メニューからすると朝食のようだが、何しろ味が伝わってこないので楽しみもへったくれもない。

 食べ終わると、すっ、と下げられ、お茶が出てくる。

 こういうしきたりなのね、と改めて思い、ため息をつく。

 どうでもいい。

 どうすればここから出られる?

 お茶の時間が終わると部屋に戻る。

 窓の外が見たい。

 何とか足掻いて身体を動かそうとしてみる。

 身体ってどうやって動かしていたのか、思い出せない。

 意識を集中して。

 とうしても周りの膜が邪魔をする。

 ならば、この膜を何とかしなくては。

(んもう、何なのよこれ。べちゃっとして、生理的に無理……。でも。)

 これを何とかしなくては拓哉に会えない。

「まぁ、お美しいですわ。見違えるようとはこの事ですね。」

 どこかで、いや、よく知っている声が聞こえた。視界に入ってきたのはオーナーの愛美だった。

「あぁ、お声が聞けないのですね。けれど御許し下さい、何もかもこの国の為。貴女がいらっしゃらなければこの国はあの女狐のいいようにされてしまう。」

 翔子の頭を撫で、抱き締める。

 ざわり、と妙な感触がする。

 違う。

 この人の目的は。

 自分がこの国を支配する事だ。

 ランバルトはまだ心底この国を憂いていた。

 店でのあの優しい顔は、仮面だったのか。

 けれど、それならまだ幼いマルス王子の方が扱いやすい筈。

 何かのイメージが流れこんでくる。

 あぁ、この人が──王妃が邪魔なのか。

「あらいけない、ご挨拶がまだでしたわ。エイミーと申します。また仲良くして下さいね。」

 ニコニコと優雅な礼をしてから翔子を座らせ、自分も座る。

「まったく、あのセランにも困ったものですわ。ショウ様はご自分でランバルトの元へいらしたというのに、まだごそごそと鼠のように嗅ぎ回って。」

 そういうことになっているのか。

「でも大丈夫ですわ。ここはあの者達の手の届かぬところ。流石に隣国では迂闊に手は出せませんもの。」

 コロコロと笑う。

 しかしよく喋る。恐らく翔子には聞こえないと思って、もしくは聞こえても何も出来ないと思ってペラペラと喋っているのだろうが。

 沸々と怒りが沸いてくる。

「昨日なんて、何て言いましたかしら、異国の青年がランバルト様の周りを彷徨いていたとかで、生憎捉えることはできなかったようですけども手傷を負わせてやったとか。」

 今、何て言った?

 拓哉のことなのか、それは。

(オーナーって、こんなに馬鹿だったっけ。)

 目の前でペラペラと話し続けるエイミーを見ながら、翔子はもがく。

 拓哉、怪我をしたの?

 すぐにあなたの所へ行きたい。こんな所で閉じ込められてるなんて耐えられない。

「あら、もうあんなに日が高い。わたくし、今夜はこちらの国の晩餐会に呼ばれておりますの。交流を深めるよい機会ですので行って参りますわ。よければショウ様も、あら、そのご様子では無理ですわね。では、失礼致します。」

 高らかに笑いながら部屋を出て行った。

 あの人は何をしにきたのだろう。

 何だか始終馬鹿にされていた様な気がする。

 いや、今はそれよりも、拓哉だ。

 何処にいるのだろう。

 イメージの中で目を閉じ、そっと風を探る。身体の周りで風が回りはじめる。

 もう少し、あともう少し……。


「いっ!」

 傷口に塗った薬が異常に染みる。

 不覚にも左腕に傷を負ってしまった。

「大丈夫ですよ、傷は浅い。縫うほどのこともありません。」

 アンナはテキパキと傷口に布を当て、包帯を巻いていく。

「ミスったなあ。」

 ランバルトの屋敷を探りに行って、護衛と出くわしてしまった。

「長剣相手によく受け流したと思いますよ。すぐに落とせましたし。」

 アンナが褒めてくれている。

 直ぐに剣の柄での鳩尾への一発が当たったことを言っているのだ。

「まぁ、向こうが皮鎧でよかったよ。金属だったら終わってた。」

 外から帰ったセランが姿を見せ、困ったように拓哉を見る。

「怪我には気をつけてくださいよ。ショウ様に殺されかねません。」

 拓哉はキョトンとする。

「おや、想像出来ませんか?幼い頃は怒り出すと台風を起こしてましたが。」

 そう言われて風に乗って行ってしまった時の事を思い出す。

 軽口を叩き、気を紛らせている。

 焦っても仕方ない。着実に進んでいかないと、ミイラ取りがミイラになる。

 ソファの定位置に座り、どれ、と拓哉の腕を取る。

 すっ、と撫でると痛みが幾らかひいた。

「治癒力の活性化です。無理矢理治す方法もありますが自然治癒力を損ねてしまいます。」

 そんなものか、と腕を動かしてみたが痛みはほとんどない。

「私の包帯が無意味になった……」

 アンナがボソッといいながら道具を片付ける。

 セランが焦る。

「いや、その、アンナ、そんなつもりは」

「構いませんよ。機動力が落ちないに越したことはありませんから。」

 箱を持って立ち上がる。

(何だか、トゲがあるなあ……。この間から。)

 思った言葉は決して口に出さない。

 ドアを開ける前にアンナがぴたりと足を止めた。セランがビクッとする。

 ボソッと呟く。

「治療なんてしなきゃよかった。」

 サーッとセランの血の気が引く音が聞こえた様な気がした。

「何だか怒ってたぞ。それも、セランに。」

「ううむ……どうしましょう?」

「知らん。自分で考えろ。痴話喧嘩に口を出すつもりはない。」

「ちっ、ちわ──」

 絶句している。

 呆れたものだ。人の事にはあれだけ冷静に判断して冷徹になれるクセに、自分のことになると泡を喰っている。

 あんまりオロオロしているのがかわいそうになって助け船を出してみる。

「ま、とりあえず普通にしてればいいと思うよ。事が落ち着いてから考えれば?」

「そうですね。そうします。」

 何度か咳払いをして深呼吸をしている。

(笑っちゃいけない、が……)

 背当てのクッションを抱えて必死に堪える。

 まったく、翔子に見せてやりたい。

 ようやく笑いの虫が収まった頃にアンナが帰って来る。

「お待たせしました。本題に入りましょうか。」

 アンナから切り出した。

「情報が入ったのでしょう?」

 それに応えるセランの表情がひきしまる。

「ショウ様の居場所が分かりました。」

「どうしてそれを早く言わないのです!」

 立ち上がるアンナをセランは目で制する。アンナは途端に座り直す。

 拓哉の心臓はバクバクと音を立ててなっている。

「これがかなり難しい場所でね。隣国ロランの大河、ロラン川のほとりにあるサンリタ城です。」

 アンナの顔に緊張が走る。

「セラン様!」

 セランはゆっくりと頷く。

「どういうことだ?」

 どうも厳しい状況らしい。

「サンリタ城はここから2日。街道沿いに行けば難しい場所ではありません。しかし、川を渡るのに関所があります。私などが行けばまずは通してもらえないでしょうね。」

「俺なら?」

「どうでしょうね……。国へ入る理由がなければ中々許可がでません。現実にはきまった商人と隣国の許可がある者だけが通っています。」

「川はどうなんだ?」

「10ガル毎に見張り塔があります。という事は見えない所はないということです。」

 1ガルは約1キロ。

「5キロも見えるのか?」

「間に何もありませんから。点でも動けば双眼鏡を使って確認する。その上、川の流れも速く、横幅も広い。かなり難しい場所です。」

 セランが黙り込む。その表情からも厳しい状況なのがわかる。

「方法があるとすれば。」

 アンナが口を開く。

「ロランからの商隊に潜り込む。ただし、関所からかなり距離をとって商隊を離れなければならないので2日は余分にかかります。もう一つは──。」

 言い淀む。

「もう一つは?」

 促すと、意を決したように話し出す。

「雨を狙って川を渡ります。単純ですが、視界が悪くなるので見つかり難い。水を掻いても目立つこともありません。が、文字通りの命の危険があります。」

 川の流れは速くなり、雨で身体も冷える。冷えで体力を消耗すれば溺れる可能性もある。

「まったく、とんだ所に隠れてくれたよな。」

 拓哉は溜め息をつき、靴を放り出すとソファの上であぐらをかく。

「川を渡ろう。それしかないんだろう?」

 セランは拓哉をじっと見つめる。

「本気ですか?」

「翔子を助けられるなら。」

 何処へでもいく。

「私も行きます。」

「アンナ!」

 セランが咎めるように呼ぶ。

「2人いれば助け合うこともできます。それに、こちらの地理も分からない拓哉を1人で行かせるつもりですか。」

 セランとアンナが睨み合う。

 翔子がいなくなってから一週間、何度こんな場面があっただろうか。

 アンナは、人間的な視点から、セランは世界的な視点から物事を捉えている。

 視点の違いから論争が起こる。

 とはいえ、これは着地点を見出すための方法の一つで放置しても平気なのたが。

(心臓に悪いよな、これ……。)

 どちらも迫力満点なだけに横で見ていてキツイのだ。

 セランが根負けした。

「分かりました。では身体を冷えから守る魔法と水を味方につける魔法を掛けさせて下さい。同時にかけるのは簡単ではありませんし貴方達の精神力も必要になります。よろしいですね?」

 アンナが頷く。

 拓哉は勿論イエスだ。

「ただし、帰りの補助はできません。覚悟して行って下さい。」

 朝焼けの空が窓から見える。

「朝焼けは雨といいますが、降るのは夜ですね。明日の朝にしましょう。それまでしっかり身体を休めておいてください。」

「了解」

 拓哉は軽く返事をして、朝焼けの空を見上げる。

 必ず守ると、約束した。

 ようやく助け出すことができる。

 ──貴方の中にもこの国の血が流れています。それはショウ様を守るものと私自身が預言していたもの、そして古い忘れられていた伝承の中でも触れられていてものでした。

 セランが告げた言葉は、拓哉の中にすとんと収まった。

 けれど、それだけではないとも思える。

 これまでにみせた翔子の表情。

 ずるい、となじった顔。

 夕焼けの空を見つめていた横顔。

 ありがとう、と別れ際に見せた泣きそうになりながらの笑顔。

 こちらへ来てからの泣きじゃくった顔。

 まだまだこれからたくさんの顔が見たい。

 アンナが朝食が出来たと呼ぶ。

 食堂へと向かい、靴を置きっぱなしにしてきた事に気付く。長年の習慣は恐ろしいと思いながら戻ると半開きのドアから声が聞こえる。

「これを持って行って下さい。」

 セランの声。

「セラン様、いけません、これは!」

「いいんだ、持って行ってくれ。私の身を今まで護ってきてくれたものだからこそ。今回の相手は人じゃない。自然だ。本来なら逆らってはいけない物。」

 少し間が空く。

「いいかい?油断は禁物だ。必ず生きて戻ってこい。」

「……ありがとう。」

(やれやれ、ようやく一歩前進、かな。)

 そっとドアから離れて、食堂へと向かいながら、あてられてしまった気がして、にやつく。

「靴は……まぁ、いいか。」

 諦めて裸足のまま向かう事にした。


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