漆黒の盤面(チェックメイト)、管理者の隙なき思考
*平和な日々編『現在』の話*
月明かりが静かに差し込む王宮の書斎。
机の上には、黒と白の格子模様が刻まれた美しい大理石の盤面と、精巧に彫刻されたガラスの駒たちが並んでいた。
「……チェックです、レン。貴方の『王』の退路は、これで根こそぎ塞がれました。大人しく降伏しなさい」
アルヴィスは漆黒の夜会服を纏い、最高に「腹黒い」不敵な微笑みをその美しい唇に湛えていた。 彼は『騎士』の駒を優雅に進め、盤面を完全に支配したと確信していた。
民を護るためにあらゆる戦術を計算し尽くしてきた元・王太子の頭脳。
アルヴィスにとって、この異世界のボードゲーム『ちぇす』は、己の戦術眼を試す最高の戦場だった。
だが、対面に座るレンは、いつものチャラチャラとした軽薄な笑みを完全に消し去っていた。
刀を壁に立てかけ、顎に手を当てて盤面を睨みつけるその瞳は、数千年の世界の歴史を裏側からすべて統治してきた、一ミリの隙もない『真の管理者』の冷酷な輝きを放っていた。
「……甘いね、アルヴ。お前の計算、やっぱり『一方通行』なんだわ」
レンの聲音が、低く、背筋が凍るほど冷徹なトーンへと切り替わる。
レンはすっと細い指先を伸ばし、自陣の奥に眠っていた、最も地味な歩兵の駒――『兵卒』を、静かに一歩だけ前へ進めた。
「なっ……!?」
アルヴィスの金と黒の瞳が、驚愕に大きく見開かれた。アルヴィスが完璧に支配したと思っていた盤面の隙間。
レンが放ったその地味な一手は、アルヴィスが10手先まで組み立てていた鉄壁の防御陣形を、内側からボロボロに瓦解させる『最悪のカウンター』だった。
「お前が俺のキングを追い詰めるために戦力を集中させた瞬間、お前の本陣のセキュリティはガバガバなんだよね。――兵卒が敵陣の最奥に達した。システム書き換え。『女王』へ変異」
レンが指先を弾くと、安価な歩兵の駒が、最高出力の破壊兵器である『女王』へと形を変えた。
「これで、お前の全ルートは隔離された。――チェックメイトだ、王様」
レンがクイーンをパチンと置いた瞬間、アルヴィスの『王』の駒が、力なくカタリと盤面に転がった。
完全なる敗北。
アルヴィスは青白い顔のまま、自分の脳内で何度シミュレーションを繰り返しても、レンの張った100手先の網から絶対に逃れられない事実に、ただただ戦慄していた。
普段はだらしなくプリンをねだっているこの男が、盤面を支配させたら、自分など足元にも及ばないほどの『絶対の支配者』に変わる。
「……おのれ、レン……。てめえ、普段は隙だらけのフリをしておいて、なぜチェスを指す時だけそんなに完璧な悪魔になるんだ……っ!」
素の顔で悔しさを剥き出しにして、レンの胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄るアルヴィス。
レンはそんな相棒の悔しそうな美しい顔を見ると、一瞬でいつもの飄々とした、ニヤニヤとした軽薄な笑みへと戻り、首を軽く鳴らした。
「あはは! 当然じゃん。俺、数千年間何してたと思ってんの? 世界の人口推移から地脈のエラーまで、すべてを盤面として24時間体制で管理してたんだよ? お前がどれだけ腹黒い戦術を組もうが、俺の管理権限をハッキングできるわけないっしょ、元・王太子様」
レンはそう言って、机の下から、約束の『ナッツのカラメリゼ』が入った紙包みを取り出してカリカリと齧り始めた。
「さあ、俺の完全勝利のご褒美。明日の朝食は、最高級の『フレンチトースト』に決定ね! 負け犬の王様?」
「……っ、う、うるさい男ですね! 万死! 根こそぎ万死に値しますよ!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすアルヴィス。
だが、彼は悔しそうに転がった駒を見つめながらも、レンのその底知れない「管理者としての格好良さ」に、内心で深くシビれ、無二の相棒としての誇らしさをさらに募らせているのだった。
優雅に竪琴を奏でるアルヴィスと、盤面を手のひらで転がす神の仔。お互いに一級品の「本気」を持つ二人の夜は、甘味を巡る頭脳戦と共に、どこまでも深く、賑やかに更けていくのだった。




