雲を食む王太子 〜初めてのギモーヴとツンデレの境界線〜
*時系列編『あの時』の裏話*
黄金の平原を目指し、街道を並んで歩いていた時のことである。
アルヴィスはいつものように、深く被ったフードの奥から双眸を鋭く光らせ、周辺の地脈の歪みを分析していた。
彼の衣服の隙間から覗く『純白の枷』は、隣を歩くレンの管理者権限による定期メンテナンスのおかげで、今は驚くほど静かに眠っている。
そんな彼の視線が、ふと、レンの手元でピタリと固定された。
「……レン。またですか。貴方は歩きながら、一体何をこねくり回しているのです」
「ん? ああ、これ? 次の街に着く前に、親父のレシピからちょっと新しいの試作してみたんだよね。はい、どうぞ」
レンがニヤニヤしながら差し出したのは、紙の包み。その中に入っていたのは、真っ白で、丸くて、触ると指が沈み込むほどに不自然にフニフニとした、奇妙な塊だった。
これまでのプリンやシュークリームのように、焼き上げられた形跡すら存在しない。
アルヴィスはそれを見た瞬間、背筋をピキリと硬直させた。
「……何ですか、この不気味な物体は。触感が、生き物のそれではありませんよ。まさか、新種の粘性魔獣の幼体ですか」
「魔獣なわけねぇだろ! 菓子だよ、菓子。通称『ギモーヴ』、あるいはマシュマロってやつ」
レンは呆れたように笑いながら、アルヴィスの手のひらの上に、そのフニフニとした真っ白な塊を乗せた。
アルヴィスは真剣な表情を崩さないまま、その塊を指先で慎重に押し、それから、意を決したようにパクッと口の中へ放り込んだ。
毒殺を警戒するような、実にもっともらしい彼の仕草。
だが、それを咀嚼した瞬間、アルヴィスの思考システムが、かつてないほどの想定外を起こした。
噛んだはずなのに、歯ごたえがない。口の中に入れた瞬間、シュワッと音を立てるようにして、濃厚な砂糖の甘みと果実の爽やかな香りを残し、文字通り「消えて」しまったのだ。
「――っ!?」
アルヴィスの金と黒の瞳が、これ以上ないほど丸く、驚愕に見開かれた。
彼は自分の口を右手で押さえ、レンを凝視しながら、大真面目な震える声で叫んだ。
「て、てめえレン……! お前、いつの間に『世界の頭頂の雲』をちぎって持ってきたんだ!?」
「……は?」
「とぼけるな! この食感、そして口の中で霧のように消えるマナの融解速度……! これは世界樹の頂に浮かぶ、精霊の安息たる『聖なる雲』を凝縮して砂糖を塗ったものだろうが! なんという恐ろしい禁忌を犯すんだ、お前は……っ!」
大真面目に顔を青くし、世界の危機を訴えるようにレンの肩を激しく揺さぶる元・王太子。
レンは一瞬、あまりのぶっ飛んだ解釈に呆然とした。だが次の瞬間、この完璧な美形が「マシュマロを雲の泥棒と勘違いして本気でビビっている」という最高のギャップに、腹筋の限界を迎えた。
「ぶっ、ははははは!!! 雲をちぎるって何だよそれ!! 最高の勘違いだな、アルヴ!!」
「笑うな無礼者! 私は大真面目に世界の均衡を心配しているのです! ……あ、いや、美味しいですが。美味しいですが、これは……っ!」
「あはは! 気に入ったなら雲全部あげるからさ、そんな怒んなって!」
「……っ、私は別に、興味など……。ただ、世界樹の管理責任として、その『くも』をすべて没収して、俺の胃袋で無力化するだけだ……!」
顔を真っ赤にしてツンとそっぽを向くアルヴィス。
だが、彼の右手はすでに残りのギモーヴの包みをがっちりとホールドしており、その目は至福の甘さに、ふにゃりと分かりやすく緩んでいた。
永きにわたる二人の彷徨。
その道中は、神の仔の大爆笑と、雲を食む元・王太子の不機嫌な咀嚼音によって、どこまでも愛おしく、賑やかに満たされていくのだった。




