第三十六葉:最果ての静寂、不器用な漣(さざなみ)
融和の黎明が白磁の神殿を包み込み、教団の歪んだ野望は光の塵となって消え去った。世界を遮っていた純白の幕が下り、最果ての夜空には、満天の星々と本来の美しい漆黒の夜が、静かにその姿を取り戻していく。
「……終わった、のか」
アルヴィスは背中に生えた光と闇の両極の羽を静かに霧へと還し、槍を杖代わりに突いて深く息を吐いた。
胸元を見れば、皮膚を締め付けていたあの忌々しい白い鎖の紋様は、完全に消滅している。
だが、彼が勝利の安堵に浸ることはなかった。一歩後ろで、パチンと刀を鞘に収めたレンが、床へと力なく膝を突くのが目に入ったからだ。
「……っ、レン!?」
アルヴィスが慌てて駆け寄り、レンのフードを剥ぎ取る。その瞬間、アルヴィスの瞳が驚愕に大きく見開かれた。
レンの青白い唇からは、ひと筋の鮮血が流れ落ちており、彼のその頑強なデミゴッドの肉体が、かつてないほど激しく刻み動いていた。
「あはは……、悪い悪い。ちょっと親父のシステム、無理やり回しすぎちゃったわ。でもさ、お前のバグ、完璧にデリート、できたろ……?」
レンは血を拭いもせず、いつものように飄々とした、ニヤニヤとした笑みを浮かべてみせた。
アルヴィスの中で、理性の糸が猛烈な音を立てて弾け飛んだ。
アルヴィスはレンの胸ぐらを両手で掴み、怒りと、そして言葉に尽くせぬほどの恐怖が混ざった声で怒鳴り散らした。
「ふざけるな……! てめえ、退屈しのぎの冒険とか言っておいて、何がシステム調整だ! 命を懸けてただなんて、一言も聞いてねえぞ!」
「おいおい、そんな怒んなって。俺は神の仔だからさ、これくらい死には――」
「死にかけてんだろうがッ!!」
アルヴィスは、その綺麗な目を涙で激しく潤ませながら叫んだ。
「お前は、隙がない、計算高い男のはずだ! なのに、なぜ俺のために、そんな割に合わない無茶な計算をするんだ! もしお前が消えていたら……俺は、誰と数千年の孤独を埋め合えばいいんだよ……!」
不器用な、しかし剥き出しの、魂からの叫び。
アルヴィスはレンを失うかもしれないという恐怖に、初めて子供のように激しく肩を震わせていた。
レンは驚いたように目を瞬かせ、それから、今までで一番優しく、温かい笑みをその表情に浮かべた。
「……そっか。怒らせたら一番怖い元・王太子様を、本気で怒らせて…泣かせちゃったな。――ごめん、アルヴ」
レンはそっと手を伸ばし、アルヴィスの肩を優しく叩いた。
「でもさ、俺が言っただろ。俺の本気は、お前をハッピーエンドで国へ還すためだけに取ってあるって。……お前のその、民を想う優しさが、俺は最高に気に入ったんだよ。だから、これくらいお安い御用さ」
レンの脳内には、今も世界樹の元でアルヴィスの帰りを待つ民たちの、温かい祈りのマナが優しく響き続けている。
そのサプライズの結末をアルヴィスへ届けるまで、自分たちがここで倒れるわけにはいかないのだ。
アルヴィスは、レンのどこまでも真っ直ぐで不敵な優しさに、観念したように小さくため息を吐き、彼の胸ぐらを離した。
「……本当に、てめえは、最高にタチの悪い男だ」
涙を袖で拭い、ふいと顔を背ける王太子。しかし、その手はしっかりと、立ち上がろうとするレンの身体を支えていた。
世界の最果て、静かな星空の下。教団『エクリプス・アルビオン』との長きにわたる因縁に、今、完全なる終止符が打たれた。




