ノイ一族とランゲ伯爵家・前編
番外編第二弾。
アルフォンス・ランゲ伯爵令息の実家といえば、完全に地元密着型の地方貴族。嫡男は近々婚約者との結婚も決まっており、家族仲も良好。領地運営は自然災害も少ないので安定している。
神殿の末端である教会との関係は最低限の義務のみ。これに関しては次男であるアルフォンスの魔眼を神の祝福だと言い放ち伯爵夫妻が激怒したことに起因している。
「……嫡男より先に次男が結婚って問題かしら」
「状況次第だろうよ。俺は何が何でもミュラー家に婿入りしたかったから兄貴より結婚早かったしよ」
「あぁ、アンタを辺境伯に推す連中黙らせる為よね」
病弱であった辺境伯嫡男より四男のグラナートを推す声は中々消えず、彼の父である辺境伯も苦慮していたのだが、グラナートがアリーセにベタ惚れで、学生時代からミュラー家にべったりの上に義父との関係も良好だとこれでもかと見せつけ続けて学園卒業後に速攻で結婚した。
そこで漸く嫡男の体調も安定していたこともありグラナートを推す声はなくなったのだが、例えばランゲ伯爵家の跡取り問題はないに等しいので微妙と言えば微妙だとグラナートは書類から顔を上げたヒルダに視線を送る。
「まぁ、嫡男は婚約者との関係も良好だし坊主は婿入りだから、ランゲ伯爵家としては強く反対はしねぇかもな。外野がとやかく言うのが気になるんだったら婚約期間で調整すりゃいい」
お互いに最初の婚約者であるが、婚約期間は貴族間の場合は最低三か月取る事が多い。これは再婚等の時にどちらの種かという下衆な勘繰りを避けるためにそうするのが無難だと言われているだけであり、法的に規定はない。それが婚約期間にも適応されるようになっているだけの話である。
ノイ伯爵家は貴族としては新興である上に当主があの天才とも奇人とも言われる男なのもあり非常にその辺りは緩いのだが、ランゲ伯爵家は真っ当な家なのでそちらの感覚に合わせるのが無難だとヒルダは考えているのだろう。
アルフォンスがヒルダの所に婿入りすると言う話になったのは数時間前。
というのに既にランゲ伯爵家の調査書がグラナートの手元にあるのが解せないと言う顔をヒルダがしたのだが、小声でそばに立つヴォルフが彼女の耳元に言葉を落とした。
「この屋敷にフリーで出入りさせんのに必要でよ。俺も手伝った」
「あぁ、それで」
鉄壁を誇るミュラー伯爵家。外交の要であり、魔具の販売権を持ち、魔具を作成できるノイ伯爵令嬢も滞在していると言う理由で非常に人の出入りに厳しいのだ。
その上、グラナートの愛妻であるアリーセがいる。
使用人の身辺調査を定期的に行っている中に、アルフォンスも入れていたのだろう。
「本人に問題なくても家族が腐ってる場合もあるしよ」
「まぁ、別にあの子も家族は普通だって言ってたし調べられて困るとも思ってないでしょうね」
ヴォルフの言葉にヒルダは頷くと、もう一つの紙束を手に取り顔を顰めた。俗に言う婿入りの際の契約書。財産や相続権に関しての覚書や、離婚の時の財産分与など多岐にわたり細かく文章化されている。
「細か……」
「ここまで作る所はあんまねぇけどな。ミュラー伯爵が全部作った。このまま流用できっけど、坊主と鳥女で確認して、奇人……は読まねぇか、ランゲ伯爵にも確認してもらえ」
元を正せば政略的な婚約だったアリーセとグラナートであるので、事細かにミュラー伯爵がお互いに不利益にならないようにとせっせと作ったのだろう。
「婚約期間に関してはランゲ伯爵が明日来っからそん時に向こうの都合のいいように調整すりゃいいんじゃねぇの。嫡男の婚姻と被っても面倒だしよ」
「あ、明日来るの?早いわね」
「侍女も身の回りの世話させる二名だけで、嫡男は留守番だと。護衛はミュラー商会で出すし、宿泊はウチでって話したら直ぐ来るとさ。使用人の人数多けりゃ離準備したんだけどよ、少ねぇし本館の客間準備する」
手回しがいいし話も早いのはグラナートの評価すべき所だとヒルダは考えながら頷いた。
「そう言えばランゲ伯爵家が王都でいつも使っている宿ってあるのかしら。アルフォンス君に聞いておいて欲しいの」
「宿?」
アリーセの問いかけにヒルダは何故そんな事をと首を傾げる。するとアリーセは小さく笑って理由を説明しだす。
始まりの夜会と終わりの夜会にしか王都に来ないランゲ伯爵家なので、恐らく貴族用の決まった宿に泊まっているだろうと。そこに問い合わせをすれば、例えば宿泊時の注意事項の申し付け等がわかるという話。
食べられないもの、部屋の趣味など貴族を相手にしている宿などは細かく対応している事が多いのだ。普通ならば顧客情報を外に流す事はないだろうが、王家の事情でミュラー伯爵家に滞在するので、王太子が宿宛に一筆書いてくれているらしい。
客をもてなすのは夫人の役目であるのだが、ミュラー伯爵家は夫人がいないので、小夫人であるアリーセが対応するのだ。
「あぁ、あそこ。シュテルン亭よ確か。あの子ご両親がこっちに来た時に食事するって何度かうちから馬車で行ってたから」
「ありがとう。アルフォンス君はご両親と仲が良いのね」
アリーセの何気ない言葉にヒルダとヴォルフが微妙な顔をしたので、彼女は少しだけ驚いたように二人に視線を送る。
それに気がついたグラナートはヴォルフに話を促した。
「……坊主な、多分実家帰ってねぇんじゃねぇか」
「そうよね。よく考えたらあの子学生時代も長期休みの間ウチの領地かここに入り浸ってたし……」
「そうなの?え、でも家族仲は良好なのよね?」
アリーセが確認するようにグラナートに視線を送れば彼は面倒臭そうに口を開いた。
「調べた限りってこった。どうやってあの坊主が出来上がったのか分からねぇレベルで善良で真っ当な貴族。けどよ、あの坊主自体が真っ当とは言い難いんじゃねぇの。だとすると、純粋に相性が悪いとか、合わないって事はありうる」
あぁ、とヴォルフが思わず声を零したのは、アルフォンスと言う人間との付き合いがそれなりにあったからである。彼は彼なりに貴族の常識をきちんと学園で学んでいるのだが、それでもどこか上手く合わせきれない部分が目立つ。ヒルダやグラナート程擬態が上手くないのだ。他はそれなりに小器用にこなすというのに、どういう訳か浮いてしまう。
「嫌いではないみたいなのよ。良い親だってあの子も言うし。けどあの子、今回の件でご両親が来るって伝えたら、何で?って言ってた」
例えばヒルダは家族への愛情が重たいノイ一族なので、家族に何かあればすっ飛んでいく。けれど普通の貴族はどうだろうとその時ヒルダは考えたのだが、やはりなんやかんや言っても来ないという選択肢はないのではないかと思ったのだ。だからアルフォンスの発言が僅かに引っかかった。
「……普通来るわよね?」
「くっそ忙しいミュラー伯爵でもすっ飛んで来るんじゃねぇの。まぁ、その辺は俺の仕事じゃねぇから気になるなら手前ェで何とかしろ。婿に貰うの鳥女だしよ」
「まぁそうね。後でちょっと話してみる。気持ちよくお婿さんに来て欲しいし」
「そういやノイ伯爵夫人はこっち来れんのか。顔合わせも纏めてした方が良いだろ」
「お母様は今南国なのよねぇ。お父様の知人迎えに丁度行ってて……できるだけ早く戻るよう連絡は入れたけど。最悪お父様だけで……」
「余計なこと言わねぇように奇人に言い含めとけ。座ってるだけでいいって言っときゃ問題ねぇだろ。ダメそうならミュラー伯爵投入する」
「はじめからおじさま投入しておいて」
大真面目にヒルダがそう返事をしたので、グラナートは呆れたような表情をするが、彼としてもアルフォンスはノイ伯爵家の婿に据えたいと思っているので頷いた。
「書類は終わったの眼鏡君」
「さっき騎士団に届けるようにお願いした」
暫く休暇……どちらかと言えば出勤停止となるアルフォンスは手続き用の書類を作成していたのだがそれは終わったのだろう、部屋で本を読んでいたようだ。
ヒルダが部屋に入ってくれば本を閉じて彼女に視線を送ったのだが、僅かに眉間にシワが寄っているのに気が付きヒルダは彼のそばに歩いて行き人差し指で眉間をグリグリと押す。
「難しい書類だった?」
「大丈夫」
「そう?難しい顔してるから……」
ヒルダも伯爵代理としての書類を見ている時は眉間にシワが寄っているとよくアリーセに言われていたのでてっきり面倒臭い書類だったのかと思ったのだ。
「ヒルダ」
「何?」
「折角婚約したし名前で呼んで」
「はぁ?」
まだ婚約は締結していないのだが、既にアルフォンスの中では確定なのだろう言い草にヒルダは思わず声を上げたのだが、その上で放たれた彼の言葉にマジマジと視線を送る。
「名前?」
「俺を起こす時は呼んでくれた」
「そうね」
あの時はとりあえずアルフォンスを叩き起こすために片っ端から彼が呼ばれている名前で呼んでいったのだ。もしもあそこで起きなければアルちゃん、青狼と続いていただろう。
「アルフォンス」
「アルがいい」
あらやだ、愛称で呼んでほしいとかかわいいじゃないの、とヒルダは戦慄したのだが、かわいいが学園を卒業した男性にとって褒め言葉ではない事ぐらいヒルダは理解している。理解しているがかわいいと言葉が漏れそうになって口端をむずむずとさせた。
「アル」
「うん」
ホッとしたような満足そうな表情をアルフォンスが作ったので、ヒルダは結局心に浮かぶ言葉を吐き出す。
「かわいい」
「俺の事かわいいって言うのヒルダぐらいなんだけど」
「ご両親もかわいいと思ってるわよ」
彼女の言葉にアルフォンスが心底驚いたような表情を作ったので、ヒルダは思わず瞳を細める。あぁ、この子はやっぱりわからないのだと。そう考えてヒルダはアルフォンスの隣にぽふっと座った。
「あなたご両親苦手なの?」
「……苦手……は違うと思う」
彼なりにぴったりな言葉を探しているのだろう。それがわかったヒルダは考え込むアルフォンスの顔を眺めながら次の彼の言葉を待つ。
その沈黙にアルフォンスは少しだけ視線を彷徨わせた後口を開いた。
「わからない」
「ご両親の事考えたことない?」
「違う。スペアとして役に立たない自分に手間や金を掛ける意味がわからない」
大真面目にアルフォンスはそう言い放ってヒルダの顔を眺める。すると彼女はそれを笑うわけでもなく、怒るわけでもなく、小さく首を傾げた。
「わからないことがあったら聞きなさいって赤狼に言われてるでしょ。折角こっちに来るんだから聞いてみなさい」
「……」
「相手の答えが受け入れられるかどうかは別問題だけど。アリーセの生みの親みたいに意味がわからない人もいるし」
「アリーセ様?」
アリーセの母親の話は詳しく聞いたことがないとぼんやりとアルフォンスは考える。婿養子に入ったミュラー伯爵が離婚の際にアリーセだけを連れて来た。そんな話。
「アリーセの事要らないんですって。だから私が貰ったの」
「……は?」
「おじさまもアリーセ守るための足場づくりに忙しかったし、アリーセは自分が要らない子だと思ってたわ。まぁ、事情を知ればおじさまはアリーセを大事にしてるのわかるんだけど」
そうでなければ商会をここまで大きくしなかっただろうし、そうでなければ辺境伯に頭を下げて末っ子を婿養子にと等しなかっただろう。
アリーセを守るために奔走した。それは端から見ればわかりにくい愛情。
「……俺は要らない子だって思った?」
「はぁ?要らない子じゃないでしょあなた。だから、あなたのご両親にちゃんとおたくの大事なお子さんくださいって話をしないと駄目なんでしょうが。そうでなきゃアリーセみたいに勝手に持って帰ったわよ。いい?ちゃんとご両親に婿入りの許可取るのよ。決めたことだからってゴリ押ししないで、向こうの話も聞きなさい」
「……反対されたら?」
「あなたが私の隣にいるのが幸せって言うなら、何年かかっても私が説得に通うわ。朱雀の一族のしつこさ舐めないで欲しいわね!あなたは絶対私が幸せにする。そもそも幸せにしてって言ったのあなたでしょうが」
胸を張ってそう言い放つヒルダを見てアルフォンスは口元を緩める。
「ヒルダは俺のどこが好き?便利な所?」
「そうね。全体的にかわいいところね」
「……」
「幸せになったらかわいさ倍増になるのかしらと思ったら面倒見たくなるのよ。アリーセは実際倍増どころか、何十倍もかわいくなったわ」
騎士をやっているデカい男を捕まえてかわいいを連呼されれば流石にアルフォンスも何でだ、と言う表情を作ってしまう。それにヒルダのそばにいるために自分は使えるとせっせとアピールしていた所は割とどうでもいいと言うような発言をされれば、その努力が無駄だったとは思わないが、もっと別のやりようがあったのではないかとさえ思ってしまう。
「寧ろあなたは私のどこが良かったのか聞きたいわね!自慢じゃないけど、家格や魔具の利権以外でモテた事ないの」
「ヒルダの好きが真っ直ぐな所がいい。好きなものに対して嘘がないから」
アリーセも魔具も家族も大好きで、それに対して真っ直ぐであるヒルダ。焦がれる様な感情だったのかもしれないとアルフォンスは考える。
長生きできないと言われて、そんなもんかと思っていたが、自分なりに貴族令息として家族の迷惑にならないように最低限は取り繕っていた。
それでもどこか空虚だったのかもしれないし、それなりに何でもやれば形になっていたのが良くなかったのだろう。熱中することもなく、例えばもっと生きる時間が欲しいと願うこともなく惰性で形だけ取り繕って生きていた。
だからこそ好きなものを全力で好きだと主張するヒルダは強烈だった。
ただそうしたいと思ったからそうした。そう言い放ってドン引きするほどの熱量をお惜しみなく捧げる。真っ直ぐで折れない。
「好きなものは好きって言ったほうがいいじゃないの」
「……長くなった人生をヒルダと生きられたらきっと楽しいと思った」
きっと自分はヒルダがいなくても生きていける。生きていけるけれど酷く無味乾燥なものになるのはわかりきっていた。
一度彼女の世界に触れてしまえば手放したくなくなる。それなのに真っ当な貴族として生きろと突き放してきたのだから死ぬ程無神経だとも思う。
けれどそう思うのに、自分を特別だと思っているからわざわざ真っ当な道に押し出そうとしているのも理解しているので、その特別が嬉しくもあるという面倒臭い感情。
恋なのか愛なのか執着なのかはアルフォンスにはわからない。
「愛してるのかわからない。恋してるのかわからない。ただの執着なのかもしれない。でもヒルダが好きなんだ」
小さく、伺うようにアルフォンスの口から零れる言葉にヒルダは笑う。
「かわいいわね!私はあなたが大好きよ。死ぬ時にその感情に好きな名前をつければいいわ。そしたらあなたの墓標に刻んであげる」
「……死ぬ時なんだ」
「来世でもいいわよ」
「ヒルダの墓標にはなんて刻むつもりなの?」
「朱の姫は伽藍洞の君と烏の娘を幸せにしましたって刻むわ!」
未来を司る朱雀の一族がそういうのならきっと自分は幸せになれるのだろう。既に幸せなのだが。そんな事を考えながらアルフォンスは笑った。




