狂犬と王太子・後編
何故こんな男に治癒能力がと誰もが思うだろう。聖人・聖女・治癒能力者という言葉は人に寄り添う優しいイメージであるのに、対極にあたると。
けれど、己が戦い続けるために、立ち続ける為にある能力だと言われれば、寧ろぴったりだとさえミッテは思う。今は外部出力できるだけで、元々は自己治癒能力なのだ。
そんな事を考えながら、王太子であるミッテ・バウムレーベンは己の母親である王妃に報告を終える。
聖人足る資格をグラナート・ミュラー小伯爵が持っている事を心の小箱に閉まっておこうかとも思ったのだが、フレムデ・ノイ伯爵のようにそれに気がついた人間が騒ぎ立てても面倒だと思ったのだ。国としての方針をしっかりと今のうちに定めておいたほうが良いとミッテは判断した。
生憎父親である国王は元王妹の輿入れに関する後始末が多方面に残っているために多忙でこの場所にはいない。
「わかりました。グラナート・ミュラー小伯爵の聖人認定は見送りましょう。彼の言う通り公平性のない奇跡です。理由も添えて公式文書として残せば後からうるさく言う人間出ない」
思わずミッテが息を吐き出したのは、王妃があっさり聖人認定を見送ったからである。
もしもここで認定の方向に話が流れてしまえば、折角治した胃にまた穴があく未来しか残っていないと本気でミッテは思っていたのだ。
「ありがとうございます。後ほど書類を整えて提出させて頂きます」
「……それで。胃の調子はどう?」
「空腹時の胃痛も、食後の重みも消え失せました。母上、今度鵬の霊廟に参拝したいのですが」
「鵬の?」
突然話が変わったので王妃は少しだけ驚いたような表情をしたのだが、真剣に己の息子が頷くので話を聞いてみれば、鵬の加護のお陰で辛抱できるレベルの痛みだったと力説されて呆れる。けれど己の故郷の土地神を拝みたいと言う希望は悪い気はしなかったのだろう、時間を作って行って来なさいと笑った。
「神殿の加護だったら無理でした」
「でしょうね。赤狼は旧き神を嫌ってるから。ミュラー小伯爵の能力がフレムデの言う通り赤狼の権能なら旧き神を拒絶するわ」
「は?え?そうなのですか?星神の一族が神殿の神を嫌っているのは聞いたことがあるのですが……」
南国の白虎を祀るサイイドや、朱雀を祀るノイ一族は神殿と折り合いが良くない。とはいえ、辺境のように土地神信仰が強い場所では神殿は余り発言力を持っていない事が多いのだが、嫌っているとはっきりと王妃が言い放った事にミッテは困惑したような表情を作った。
「おとぎばなしよ。大昔に赤狼の愛した土地神を旧き神の眷属が消したの。それゆえに赤狼は旧き神を嫌っている。見つけ次第狩り尽くすとも言われてるわね」
「怖い怖い怖い!!というか母上も旧き神と呼ぶのですね」
「鳥に近い土地神を祀っているとそう呼ぶ所が多いわね。公式の場所では流石に言わないけれども」
「鳥?」
「消された土地神が同族だったのよ。だから熱心な信仰者は神殿に余り良い感情を持たないの。地方に行けば行くほど土地神信仰が強いのは貴方も知っているでしょ?」
「そうですね。中央は神殿への信仰の方が強いですけど……」
土地神の霊廟まで作って信仰している所は地方の方が多い。そんな土地の神殿の末端たる教会は閑古鳥なのだと聞いたことがあったミッテは王妃に恐る恐るというように尋ねた。
「母上も神殿は余り好きではないですよね。公的行事には参加されますが」
「神殿の神か土地神の鵬かと言われれば鵬の方が好きかしら。まぁ、私は魔具をフレムデと広めたこともあって神殿から元々煙たがられているし、どうでもいいわ。業務提携で十分でしょう?」
この人メンタル強いな……そんな事を考えながらミッテは聖人認定の件はコレで片付いたとホッとしながら、己の私室へ軽い足取りで戻っていった。
***
「ちちうえ!!」
「我が息子よ!!いい子にしてたか!!」
絵本を片手にかけてくる愛息子を抱き上げるとミッテは頬を擦り寄せる。それがくすぐったいのか幼子は瞳を細めて笑い声を上げた。
「お話は問題なく?」
「あぁ。認定はなしだ。良かった。また胃に穴があくところだった」
微笑みながら王太子妃にそう返事をすると、彼女は安心したように笑った。
「ちちうえ。えほんをよんでください。おじかんはありますか?」
「あります!!読みます!!」
「ありがとうございます!!」
親子の微笑ましいやり取りを眺めながら王太子妃は息子の寝室へ一緒に入ってゆく。大きなベッドの中央に幼子を置いて二人で挟むように横たわる。行儀が悪いと普通なら言われるところであるが、多忙な王太子夫妻が我が子とコミュニケーションを取れる数少ない時間だと黙認されていた。
幼子が眠る前の短いふれあいの一時。
「おおかみさん、おおかみさん。わたしをたべてください。わたしはがらんどうですが、せめてあなたのくもつとしておわりたいのです……」
幼子にねだられるままに絵本を読むミッテ。らんらんと瞳を輝かせていた幼子は話が進めばうとうととしだす。
そんな様子を眺めながら王太子妃は優しく幼子の身体をぽんぽんとたたいてやる。
「……そしておおかみはながくながくとちをまもったのでした。またかのとりにめぐりあえるのをまちながら。ゆめみながら。おしまい」
寝息をたてる幼子に視線を送っていた王太子妃は深い眠りに落ちているのを確認した後に、絵本を読み上げていたミッテに視線を送る。
「ミッテ様!?」
ぎょっとしたように王太子妃が声を上げたのは、ミッテが突っ伏して泣いていたからである。オロオロとした様子で彼女はミッテに手を伸ばすと、優しく背を擦った。
「これか……これはだめだろ……え、何で神殿って信仰されてるの??消えたとりさんに謝って……おおかみさんに謝って……」
それは消えた土地神のおとぎばなし。
「この絵本はどこで?」
「曾孫にと王妃殿下のお父様が先日プレゼントしてくださった絵本の中の一冊です」
「あぁ、そういえばおもちゃやら送られてきてたな」
困惑しながら王太子妃が答えると納得したようにミッテは頷く。土地の信仰を深める為に子どもに土地神のおとぎ話をえがいた絵本を読み聞かせするのはよくある話。神殿で信徒に聖典と言われるものを読み聞かせするのと同じなのだ。
「他にも土地神の絵本は?」
「えっと……何冊か……いけませんでしたか?」
不安そうに王太子妃が眉を下げたのは、王族として神殿と接する事が多いのもあり、かの神を悪者にする話を聞かせるのは良くなかっただろうかと思ったからだ。けれどミッテは小さく首を振る。
「かまわない。我が国での信仰は自由だ。寧ろ公式行事で神殿の説教やら聖句を聞かされるのだから、土地神のおとぎばなしも聞かせた方がいい。我が国では地方は土地神信仰が強いからな。神殿を優遇して蔑ろにしすぎても良くない」
ミッテの言葉を聞いて王太子妃はホッとしたように微笑むと、彼の目元に手を伸ばし指で涙を拭う。
「お顔を洗ってきてください。そしてゆっくり今日のお話を聞かせてくださいミッテ様」
「お膝で?」
「お膝で」
淡く王太子妃が微笑むと、ミッテは破顔していそいそと顔を洗いに行った。
一児の父は胃をすり減らせて頑張っている。




