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そしてアルフォンス達と入れ違いにミュラー小伯爵夫婦がフロアの中央に移動したので、ヒルダは小さく首を傾げてアルフォンスを見上げた。
「お花摘みに行ってくるから誰か誘って踊りなさい」
「一人じゃ心配だからついてく」
「……他の子と一緒の時に絶対ついてくとか言っちゃ駄目よ?もう、他の子誘いやすいように席外そうと思ったのに」
そう言ってヒルダは辺りを見回す。チラチラとこちらを見ている人も多いのでアルフォンスを誘いたいのだと思ったのだ。けれどアルフォンスはその気がないのか己から離れようとしないのに困惑した表情を浮かべる。
すると一人の男が声をかけてきたので、ヒルダは柔和な微笑みを浮かべて淑女の礼をとった。それに合わせてアルフォンスも騎士の礼をとる。
「久しぶりだねヒルダ嬢。アルフォンス・ランゲ君も中々話す時間を取れなくて申し訳ない」
「お久しぶりですおじさま。先日は父の急な同行の申し出を快く受けて頂きありがとうございました」
「いや、東雲国の皇帝はノイ一族の参加を喜んでいたよ。それにフレムデも桜花の宴に相応しい出し物を準備してね。こちらの仕事もやりやすかった」
そもそも東雲国との国交は珍しい魔物がいると聞いて商船に乗ったフレムデ・ノイが東雲国へ出かけ、そこで魔物を狩りまくったところそれが皇帝の目にとまり、リーニエ王国への手紙を預かり帰国したのがきっかけである。その時通訳としてフレムデに連れて行かれたのがミュラー伯爵で、それをきちんと取りまとめ正式な国交となった。
東の海沿いの街には東雲国と交易をしていた商人がいたために、ミュラー伯爵はフレムデの頼みで言葉を覚えたのだ。
しかしながら今だに東雲国の言葉は難易度が高い上に講師がいないという理由で、学園でその言語を教えることはなく独学で学ぶしかないのだ。それもあって外交官になりたければ東雲国の言語を取得するのが有利だとさえ言われている。
桜花の宴は年に一度東雲国で行われる星神の祭りで、ミュラー伯爵はリーニエ王国代表として毎年参加しているのだが、宴が終われば大急ぎで戻り、北国の外交官を迎えるというハードスケジュールなのだ。
雪の多い北国国境沿いの山岳地帯。雪解けを待たねば安全に越えられないのもあり、北国との外交の季節は制限されている。アルフォンスがミュラー伯爵邸に出入りしているというのに、年に数度すれ違うレベルでしかミュラー伯爵に会えないのはこのせいであった。
「アルフォンス君は第二騎士団だったかな?最近は騎士団で魔具素材を採取しているらしいね」
「はい」
「魔具素材はこれからもっと必要になってくるから、そちらの申し出はありがたい話でね。ミュラー商会もできるだけ国を守る君たちに協力していきたいと思っている。私は外にいることが多いから、何かあれば婿殿に」
あ、これは貴族的な話かと思いアルフォンスは丁寧に礼を言う。ミュラー商会は第二騎士団に請われた協力関係であると周りにアピールしたいのだろう。グラナートのいう内からか外からかと言う建前部分。
「そう言えばおじさまは明日から北国よね?アリーセも行くって言ってたけど」
「そうだね。十日も馬車に揺られて外交官のお相手だよ」
「あら?この時期なら半分位の行程では?」
ヒルダが不思議そうな顔をしたので、アルフォンスはぼんやりと山岳地帯の地図を頭に浮かべる。まだ騎士団員としては行ったことはないのだが、学生時代にノイ伯爵領の討伐部隊と行ったことがあった。南の辺境とも言えるノイ伯爵領からでもそんなに日程はかからなかったように記憶している。
「ちょっと問題があってね。迂回路を取る必要がでたんだよ。僕個人で行くなら突っ切るんだけど、他国の外交官も一緒だからね」
例えば山岳地帯なので冬に大規模な雪崩が起こってしまえば、雪解け後に道が倒木で通行不能になっていたのが発覚したなどよくある話。それに高低差が多いので少しの雨でもぬかるんで馬車が遅れがちになる。南国は砂漠を越えるのに馬からラクダに乗り換える必要はあっても、平坦な道のりなので砂漠で迷いさえしなければ北国に向かうほど天候に左右されない。精々、国境を跨いでいる森林地帯で起こる突発的な雷雨に数時間足止めを食らう程度である。
「その件でヒルダ嬢に少々頼みたいことが……」
「アルフォンス・ランゲ、いいかしら?」
例えミュラー伯爵がメインで話を振っていたのがヒルダであっても、アルフォンスは彼女のパートナーとしてこの夜会に参加している。いわばニコイチ状態であるのにも関わらず己の話を遮る声にミュラー伯爵は露骨に不快そうな表情を作った。
「王妹殿下。話の途中ですが」
「あらごめんなさい。彼が退屈そうだったのでダンスに誘おうと思ったのだけど」
冷ややかな声色でミュラー伯爵が苦言を呈すると、王妹・クレイはそう言い放ちアルフォンスに視線を送った。
「いえ。今日はヒルダ嬢から離れないようノイ伯爵から言われていますので側を離れる事はできません」
聞いてない、とヒルダは一瞬考えたのだが、アルフォンスが王妹に絡まれるのを面倒臭いと思っているのは知っているので黙って相手の反応を伺う。するとクレイは己の護衛騎士にちらりと視線を送る。
「私が踊ってる間はこの子がヒルダ嬢のダンスの相手をするわ」
「父の許可がない相手と踊ることはできませんので。それとも、事前に許可を?」
確認するようにヒルダが言葉を放つと、クレイは口元を不快そうに僅かに歪め、いいえ、と短く返事をした。
「それに久しぶりに踊ったせいで足を痛めたようですの。ミュラー伯爵とのお話が終わった後にでも、この子に医務室に運んで貰う予定でしたのでダンスはご容赦下さい」
「……あら。足を痛めたなら王城に出仕するお仕事も大変でしょうに。遠慮なく領地で療養なさってもいいのよ?」
周りの空気が凍りついたのは、実質王城への出仕禁止にも近い言い回しだったからだろう。しかもそれを王族が発したのだ。それにすぐさま反応したのはミュラー伯爵であった。
「王妹殿下。ヒルダ嬢が領地療養しては魔具研究所が困るのでは?」
「……どうして?たかが臨時講師でしょ?伯爵令嬢一人いなくなった所で困りはしないわ」
その返事を受けてミュラー伯爵は心底嬉しそうに口元を緩める。そしてヒルダに視線を移した。
「だそうだ、ヒルダ嬢。王妹殿下の心遣いありがたく受け取る方向で構わないかい?フレムデには僕から言っておこう」
視界の端に外交官の相手をしていた王太子が顔色を変えて向かってくるのを捉えて、ヒルダは口元に微笑みを浮かべて頭を垂れた。
「それでは遠慮なく。わたくしことヒルダ・ノイは魔具研究所の臨時講師の任を王妹殿下の命により辞させて頂きます」
小さく悲鳴が上がったのは、恐らく魔具研究所の出資者か研究者だろうとアルフォンスは素早く会場内に視線を巡らせる。そして視界に入ったのは驚きの表情を浮かべるクレイの姿。王城への出仕は貴族にとってステータスである。その権利を剥奪されたヒルダが謝罪でもすると思っていたのだろうが、あっさり了承した事に驚いている様であった。
「ミュラー伯爵!!その話は!!」
慌てて言葉を放つ王太子の声を聞こえなかった事にしたのか、王太子の後からついてきていた外交官夫婦にミュラー伯爵は明るい声色で声をかけた。
「朗報ですよ!!ヒルダ・ノイ嬢が職を辞してフリーになりましたので、帰国の行程を短縮できそうです!!」
「本当か!!助かる!!いやぁ、まさかこの時期に氷竜が出るとは思わなくてな。迂回路を取らねばならないと困っていたのだ」
満面の笑みで喜びを表現する外交官を前に王太子はやられた、と思わずミュラー伯爵に視線を送った。これだけの貴族を前に王族の発言を覆すだけでも大変であるのに、他国の外交官まで巻き込んでしまえばもうそれは決定事項だと。
「あら、氷竜?露払いしてくればいいのかしら?」
「いや、ヒルダ嬢は……えっと、足を負傷していたのでは?」
何とかクレイの失言を挽回しようと王太子が言葉を発すると、外交官は無理は申し訳ないと言う表情を作ったのだがミュラー伯爵は笑顔で中央でダンスを踊る娘夫婦に視線を送った。
「我が婿殿は治癒魔法を使えましてね。まぁ、普通の治癒魔法と違い魔力相性が悪いと死ぬ程痛いらしいのですが、南国の第五王子サイイド殿下お墨付きの能力ですよ。ヒルダ嬢、後で婿殿の治療を受けてくれるかな?」
「氷竜が討伐できるなら!!喜んで!!痛いのは我慢します!!」
「え、俺も氷竜討伐行きたい。見たことない」
この人サイイドの件を知っているのかといささかアルフォンスは驚いたのだが、それとは別に氷竜は見たことがないで連れて行ってくれないかと思いそう口に出す。
「一週間程度纏めて休みは取れるかな?最低三日」
「休日溜め込んでいますので申請すれば可能かと」
「そうか。団長から休暇許可を貰ったらヒルダ嬢と一緒に行ってきなさい。第二騎士団の君が経験を積むことはいいことだしね。一人なら担いで飛べるね?」
「……いけますけど……この時期でも山岳地帯寒いわよ?大丈夫?」
「行く。後で団長に許可を取ってきます」
ミュラー伯爵の後押しもあり、アルフォンスはヒルダとの同行をもぎ取れて満足気に笑うと、小声でヒルダに言葉を零した。
「後で団長の所行ってくる。今日は使用人口の警護してるはずだから」
「そうね。私はアリーセが戻ったら別室に移動するわ、そこで話を詰めましょう。……悪いけど運んでくれる?狂犬に運ばれるのは嫌なの」
怪我の治療の話を大々的にしたので、退場の時は足を痛めた風にせねばならないとヒルダは思ったのだろう。申し訳無さそうにアルフォンスに頼む。例え足が折れていたとしてもグラナートに運ばれるのは断固拒否なのは簡単に想像できた。
「それにしても、魔具研究所の方もヒルダ嬢が不要なら早く言ってくれればいいものを。ご心配なく王太子殿下。ヒルダ嬢にはこれからもノイ伯爵と共に魔具の改良と開発を存分にしてもらえるようミュラー商会が全面サポートしますので」
「我が国の国土でも凍結しない浄水魔具は本当に素晴らしかった……次にお会いする時にまた素晴らしい魔具を紹介していただけるのを楽しみにしていますよ王太子殿下」
トドメをガッツリ刺してきたミュラー伯爵を苦々しく思いながら、王太子は外交用の笑顔を貼り付けて外交官と固い握手をする。ここだけ見れば北国との今回の外交は大成功であるし、次に繋がる話も相手が積極的にしてきた。しかしながら、魔具研究所の臨時講師をヒルダが降りるというのは痛手であった。
一瞬助けを求めるように国王と王妃に視線を送ったのだが、元々魔具研究所の必要性を感じていなかった国王はこれと言って表情を動かさず、王妃に至ってはとりあえず王妹を退場させろと顎で命令してきた。王太子妃のお膝で泣きたいと思いながら王太子は王妹・クレイに視線をうつす。
他国の外交官の前であるために辛うじて表情は取り繕っているが口元が僅かに歪んでいた。
「あぁ、そう言えばヒルダ嬢。近々中央のノイ伯爵邸が完成するよ」
「……それ聞いてないんですけどおじさま」
「温室魔具が大型だったからうちの離れでは手狭だとぼやいていただろう?道を隔てた隣の区画をノイ伯爵が買い上げてね。本館はこじんまりしているのだが、広い庭に工房と倉庫を追加で建てているんだ。普段は我が家にいてくれたほうが防犯上安全なのだけれど、素材の保管や、大型魔具の作成の時はそちらを使えば良いとフレムデが言っていたよ」
「本当、あの人事後報告で……えぇ、でも丁度魔具研究所も辞することですし、本腰を入れて魔具の改良作業ができそうです」
「家具の方は君の自由にとのことだから、北国での仕事が終わったらアリーセと選ぶといい。アリーセも君も仕事漬けだったが王妹殿下のお陰で時間もたっぷりある、ゆっくり選びなさい」
ミュラー伯爵の言葉にぱぁっとヒルダは表情を明るくする。アリーセと楽しく家具を選ぶという予定に心を奪われているようであった。
あぁこの人はノイ一族の扱いが上手い、そうアルフォンスはミュラー伯爵を眺めて思う。唯一あの奇人だの変人だの言われている天才フレムデ・ノイを口説き落とし魔具の販売権をもぎ取った男。
「フフ……ありがとうございます王妹殿下」
「……」
クレイが震える手で握る扇子をヒルダに投げつけなかっただけマシだろうと考えながら王太子は柔和な微笑みを浮かべると口を開く。
「こちらこそ長くヒルダ嬢に負担をかけていたようで申し訳ない。今後もノイ伯爵共々素晴らしい魔具を作成してくれることを期待している」
どう考えても挽回は無理だと判断して、せめてノイ伯爵家とは友好的である事をアピールする形で話を無理矢理王太子はまとめた。今の国王の治世はいい。ノイ伯爵が国王を友だといい、国王もノイ伯爵を友と呼ぶ。けれど王太子はノイ伯爵に嫌われてはいないが、好かれてもいない。それはヒルダとて同じ。
好きにさせておくのが一番よ。
王妃がノイ一族に対してそう言う扱いをするのが一番無難なのだと嫌と言うほど王太子は感じる。王城への出仕など面倒であるし、魔具さえ作れれば政治に興味はなく口出しなどしてこず、引きこもって黙々と己の技術を研磨する。
「アリーセ、婿殿。すまないがヒルダ嬢と一緒に別室で予定の調整をしてくれるかい。北国への露払いを引き受けて貰ったんだ。アルフォンス君も休暇が取れれば同行する」
いつの間にかダンスを終えたミュラー小伯爵夫妻が戻っており、義父であるミュラー伯爵の言葉を聞いたグラナートは小さく頷いた。
そろそろ王太子の笑顔も引きつるだろうとミュラー伯爵は瞳を細めて話を纏めだす。
「アルフォンス君、ヒルダ嬢を運んでくれるかい?」
「はい」
足を痛めた云々を聞いていなかったアリーセは驚いたような顔をしたが、グラナートは可笑しそうに口元を歪める。
「それでは王太子殿下、王妹殿下、御前失礼します」
優雅に礼を取るミュラー伯爵家と、ヒルダを抱き上げているため小さく頭を下げるアルフォンスとヒルダ。
ミュラー伯爵は外交官と共に他の貴族への挨拶に回るのだろう、にこやかな表情を浮かべて外交官夫妻を案内する。
「叔母上。お疲れのようですのでこの場はお気になさらず部屋へお戻り下さい」
憎々しげに会場を出てゆくアルフォンスとヒルダの背中を眺めるクレイに王太子が小声で言葉を落とすと、彼女は驚いたように王太子の顔を見上げた。
「王太子殿下、私はっ……」
「あぁ、歩くのが辛いのでしたらヒルダ嬢のように抱えさせましょう。そこの君、王妹殿下がお疲れだ。部屋までお連れしろ」
素早く移動してきた近衛騎士の姿にクレイは反射的に先王の姿を探したが、今日は挨拶が終わったら直ぐに離宮へ戻ったのを思い出して唇を噛む。
「……自分で歩けます」
「そうですか。夜会が終わりましたらお見舞いに伺いますので、ゆっくりなさって下さい」
部屋から出るなと遠回しに王太子が釘を刺す。そして近衛騎士に小さく彼女を見張るようにと指示を出した。会場を出た途端にヒルダやアルフォンスの所に突撃されたら敵わないと思ったのだ。
ミュラー伯爵は一応王家のメンツを建ててくれたが、今ヒルダたちはミュラー小伯爵夫妻と一緒にいる。ヒルダが攻撃されるだけならグラナートも然程気にしないかもしれないが、うっかりアリーセに飛び火すれば目も当てられないと思ったのだ。
そして夜会が漸く終わりぐったりとした王太子はクレイに付けた近衛騎士から報告を聞く。案の定一旦部屋に大人しく戻ったが、侍女や護衛騎士の手引で部屋を抜け出そうとしたので連れ戻したと言われれば、心底嫌そうな顔をする。
「今日ほどあの女と血がつながっているのが嫌だと思ったことはない」
吐き捨てるように零したのはしかたないだろう。あの後夜会に参加していた魔具研究所の人間には、勝手にヒルダを辞めさせたことに対し文句を言われたのだ。しかし予定より長い年月彼女を拘束していたことを指摘し、魔具を扱う事が難しければ無理をすることはない、いいにくければ自分から国王に報告しようと圧をかけた。元々国王が魔具研究所に対して乗り気でないことは彼らも承知しているので一応黙ったが、かの研究所に出資している貴族達から明日以降あれこれと言われるのを考えると気が重い。
王太子などしょせん中間管理職であるとさえ彼は思っていた。
「殿下。この後は」
「叔母上の所へ行く。その前に父上と母上に話をしておくか……」
背中を丸めて顔を覆う王太子の姿を見た彼の側近は胃薬を調達しておこうと考えて瞳を伏せた。




