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昼下がりのミュラー伯爵邸本館。
幼い嫡男がグズりなかなか昼寝をしてくれなかったのだが、ミュラー小伯爵であるグラナートが抱き上げて歩き回ればウトウトと漸く静かになる。
その様子に乳母はホッとしたように表情を緩め、そろそろと仕える嫡男を抱いて部屋へと戻っていった。それを見送った男は隣に立つ愛妻・アリーセの髪にくちづけを落とす。
「俺もたまには役に立つだろ」
「ありがとう。お仕事大丈夫?」
「大丈夫だ。茶ァ淹れろ」
部屋に控えていた侍女はすぐさま茶器の準備をするために部屋を出てゆくのだが、それと鉢合わせたヒルダ。
「あら、ごめんなさい」
「いえ……あの、ヒルダ様の分もご用意いたしましょうか?」
侍女が視線を送ったのはグラナートではなくアリーセの方。それはグラナートに聞けば準備しなくて良いの一択返事であるからだろう。
するとアリーセは柔らかく微笑み小さく頷いた。それを確認して侍女は部屋を出てゆく。
「邪魔すんな鳥女」
「そんな長くはいないわよ。お茶の一杯ぐらい辛抱しなさい」
些かグラナートが驚いたように瞳を見開いたのもしかたないだろう。いつもなら一杯どころか、嫡男の昼寝が終わるまで居座るのだ。何か急ぎの仕事でも入っているのだろうかとも思ったのだが、ヴォルフからその様な報告もグラナートには上がっていなかった。
「あのねアリーセ。刺繍糸分けてほしいの」
「え!?いいけど……」
面食らったような表情を一瞬アリーセは作ったのだが、直ぐに頷く。そして可愛らしく彼女は小さく首を傾げた。
「何を刺繍するの?」
例えば刺繍糸も山程色があるので、作るものによって必要な色は変わってくるのだ。そもそもヒルダが学園の授業の課題以外で刺繍をしているのを見たことがなかったアリーセは、どうしたのだろうと刺繍の理由も気になりだす。
「私の朱雀よ!」
「なら赤ね」
とはいえ赤と言っても濃淡が多い上に、グラナートの実家である辺境伯の家紋が赤い狼であるためにアリーセは赤の糸を山程持っていた。
今はミュラー伯爵家の八咫烏を刺繍することも多いのだが、赤はグラナートの髪や瞳の色なので、ワンポイントに赤を入れることも多い。
朱雀の刺繍に使えそうな糸を棚からアリーセがより分けていると、グラナートは僅かに瞳を細めヒルダの髪を飾る藍の花に視線を送った。普段は余り装飾品を作業の邪魔だとつけることのない彼女が髪飾りをつけているのが珍しかった上に、その花びらに刻まれる魔術刻印に気がついたのだ。
「それ魔具か」
「眼鏡君が作ったのよ」
己の髪からそれを外すとヒルダはグラナートの前に置く。すると彼はポケットから手袋を取り出すとそれをはめて慎重に持ち上げた。
深い藍の花びらを重ねた花が三連になっている髪飾り。素材は飛竜の鱗だろうと察してグラナートは口を開く。
「あのガキ思ったより魔具作成の才能あるな」
「そうなの?」
糸を持ってアリーセが側によるとグラナートは小さく頷く。基本的に魔具に関してはノイ伯爵領の魔物討伐部隊に出入りしていたグラナートの方が詳しく、アリーセもヒルダの話からある程度の知識はあるのだがそれでも彼には敵わない。
「全く同じ出力で刻印刻んでやがる。その上連結か。三番工房に弟子入りしたのか?」
「特定の工房には弟子入りしてないわね。でも連結はそこの親方に教えてもらったんじゃないかしら」
例えば魔物素材一つとっても全く同じものは存在しない。どうしても品質的な誤差がでるのだ。けれどアルフォンスの刻んだ魔術刻印は全く同じ出力で機能している。素材に合わせて微調整をし、出力を調整しているのだろう。
同じ魔術刻印を連結させようとすれば出力を揃えなければ弱い所に負荷がかかり上手く機能しないのだが、アルフォンスの花はその花びらの数だけ強度をきちんと重ねているのだ。恐らくこれだけの連結ならば、飛竜の火炎程度防御しきるだろう。それを三つもつけているのだから魔具を見慣れているグラナートも些か驚く。
浄水魔具一つとっても、全く同じ性能のモノを作るのは難しい。素材からある程度吟味はしているのだが出来上がりにどうしてもばらつきが出る。出荷の際に品質チェックをミュラー商会がきちんとして流通させているのもそれが理由で、基準以下のものは流通しない。
「……騎士にすんのもったいねぇな」
新作魔具をどんどん作る天才フレムデ・ノイや、改良を得意とするヒルダ・ノイよりはずっと地味ではあるのだが、これだけ均一のモノを作れるのはある意味才能である。大量に生産して国中にばらまく魔具を作らせれば安定した品質を生産し続けるだろう。そんな事をグラナートが考えていると、ヒルダが眉を寄せた。
「あの子は第二騎士団に入るの!!」
「あいつ高位貴族だから第一じゃねぇの」
「魔物討伐がしたいんですって。だから魔具制作に引っ張るのはだめよ」
「そうか。そりゃ残念だ」
「えっと……ヒルダはそれをアルフォンス君から貰ったのよね?じゃぁ刺繍はその御礼?」
話に割って入るのは申し訳ないと思ったのだろう、小声で確認するようにアリーセが言葉を放てばヒルダは大きく頷いた。
「あの子商会の手伝いで創立祭には出ないから、気分だけでもって思ったんじゃない?婚約者もいないし」
「……えぇ??」
困惑したようにアリーセは眉を下げたのだが、余りにもヒルダが自信満々に言い放つので助けを求めるようにグラナートの方へ視線を向ける。すると彼は藍の花を卓に戻すと手袋を外しながら口を開いた。
「せいぜい可愛いひよこ刺繍してやれ」
「朱雀だってば!!それにあの子はかわいいって気に入ってるから丸くていいの!!」
かわいいと褒めていたので問題はない、そういうようにヒルダが力説するとグラナートは口元を歪める。
イラッとする表情だとヒルダは思ったのだが、侍女が茶の準備をして部屋に入って来たので一旦会話は止まった。
そして侍女が茶の準備をしている間にヒルダはまたその髪飾りをつけ直す。
「布はあるの?」
「白なら」
学園の課題の余りがあったはずだと長らく開けていない裁縫用具一式を思い浮かべながら言葉を放つと、アリーセは瞳を丸くしてまた立ち上がる。
そして刺繍糸が入っていた棚とは別の棚を開けて布を数枚ティーセットの邪魔にならないように並べた。
「持っていって」
「薄茶と黄色……薄茶は私の色だけど、黄色は?朱雀に合うかしら」
「貴方の瞳は屋内だと琥珀色だけど、日に透かすと黄金色になるの。だから黄色もいいと思うわ」
髪の色は茶色。瞳は明るめの琥珀。例えば髪も瞳も真紅なグラナートのような派手さはないし、髪も瞳も漆黒のアリーセのような珍しさもない。比較的地味な色合いであることを自覚しているヒルダはアリーセの言葉に少しだけ驚いたような表情をする。
「そうなの?外で鏡を見たことないわ」
「綺麗だから私は好きよ。……そうねアルフォンス君のピアスが一番近いかしら。あれも日に透かすと黄金色に見えるわ」
「アレはお父様の技術の賜物よね。私じゃあそこまで綺麗に色が乗らないわ」
そこではない。そこではないの、とアリーセは心の中で思ったのだが、本人のいない所で余計なことを言い過ぎるのもなんだと思い直して曖昧に笑った。
「つーか、一週間しかねぇのに間に合うのか」
「急ぎの仕事もないし大丈夫。……だと思うわ。長くやってないから手間取るかもしれないけど」
普段から刺繍をしているアリーセならともかく、普段は魔具作成の方に時間を割くヒルダは言うほど刺繍は得意ではない。学園の課題もヒィヒィ言いながらしあげていたのだ。手先は器用なのでできは悪くはないのだが。ただ慣れないので時間がかかる。魔具は思うように作れるというのに、その才能の十分の一も裁縫には割り振られていない。
「手間取る所とか、わからない所があったらいつでも言ってねヒルダ」
「ありがとうアリーセ!!それじゃぁ早速頑張るわ!!」
あっという間に令嬢らしからぬスピードで茶を飲み干したヒルダは、糸と布を持って軽やかに部屋を出ていく。それを小さく手を振って見送ったアリーセは、扉が閉じられるとガバっとグラナードの方へ身体を向けた。
「これはアレよね!アルフォンス君からの気持ちよね!?」
「外野がとやかく言うもんじゃねぇだろ」
「それはわかってるけど……でも気になるわ……。年齢は下だけど、ヒルダの事理解してくれてるし……」
普通の貴族令嬢としてかけ離れているヒルダ。そもそもノイ伯爵家自体が枠からはみ出している上に、それを気にしていない。魔具の本家の娘という肩書は魅力的であるのだろうが、本人がいかんせん普通の枠から外れているので縁談などはほぼ魔具の利権狙いのものばかりであるのだ。そしてその手の縁談はヒルダが全て蹴ってしまっている。
学園卒業後に婚約なり婚姻なりをする令嬢が多いので、まだ二十歳そこそこなら行き遅れとまでは言われないが、それでも普通であるならば婚約ぐらいは結んでいる令嬢が多い。
アリーセとしては、ヒルダはヒルダだから良いのにと世の中の男の見る目のなさに絶望したくなる。
「まぁ、あの鳥女がアリーセや家族以外の為に時間を割くってのは珍しいけどな」
魔具作成関連ならともかく、余り得意としていない刺繍である。そう考えれば、ヒルダもアルフォンスに対してそれなりに情なりがあるのだろうとグラナートは薄っすら察する。察するが別に興味はなかったので仲を取り持ってやろう等というおせっかいな気持ちは全くわかない。
「周りがあれこれ口出しして萎縮しちゃうのもだめよね……相談されたら話を聞くとかでいいのかしら?」
「手前ェが鳥女にしてもらってた事すりゃいいんじゃねぇの」
「そうね」
「……まぁ、あのガキが本気で鳥女がいいって言って、鳥女がそれを受け入れるなら、ノイ伯爵家の方でも調整するように話はしとくけどよ」
「あぁ……そうよね……」
アリーセがグラナートの言葉で思い出したのはノイ伯爵家の継承権の話。もしもアルフォンスがヒルダと婚姻すれば色々と調整せねばならないことを思い出したのだ。
漸く落ち着いた愛妻に苦笑すると、グラナートは少し冷めた紅茶に口をつける。
自分は余り興味はないが、なんやかんやで面倒を見続けているヴォルフ辺りはやきもきするだろうか、それとももう既にしてるだろうか。そんなことを考えながら、刺繍糸を片付けるアリーセの背中を眺めた。




