1階:未知の扉
閉じた瞼の裏で、淡く輝くウィンドウが開いた。
【完全回復が完了しました】
ケイルは片目を開けた。
天井は、眠りにつく前と何一つ変わっていなかった。湿った岩肌。壁際の小さな水溜まりへと、絶え間なく一滴の雫が落ちていく。
彼は起き上がり、身体を伸ばして左肩を回した。
痛みはない。
違和感もない。
傷跡すら残っていなかった。
「へえ」彼は呟いた。「大して時間はかからなかったな」
(一時間、というところか)
(ここ数ヶ月の記憶をひっくり返しても、今が一番体調がいいな)
袖をまくり上げてみる。
皮膚は滑らかだった。ハスクに爪で引き裂かれた場所には、心なしか周囲より少し白いだけの筋が残っているだけだ。
(なるほどな)
そのとき、彼の腹が鳴った。
それはお上品な音ではなかった。壁に反響し、吊るされたフラスコを微かに震わせるほどの轟音だ。
ケイルは自分の腹の上に手を置いたまま、ぴたりと動きを止めた。
「……おいおい。今度はこれかよ」
【告知:身体が食事を要求しています】
【任意の食料を摂取してください】
「任意の食料、ねえ」彼は繰り返した。「一体どこでそれを手に入れろって言うんだ?」
システムからの返答はなかった。
彼が腹を手で押さえると、さらに大きな音が鳴り響く。
(そう言えば、死んでから何も食べてないな)
(あれから……何日経った? 三日か?)
(そもそも、この場所に時間の概念なんてあるのか?)
(待てよ、俺は魂か何かの存在じゃなかったのかよ?)
彼はうめき声を上げ、壁に頭を打ち付けた。
「他の何かに殺される前に、この場所で餓死しちまうぞ」
* * *
彼は立ち上がり、現状の持ち物とステータスを確認した。
錆びた鉄棒が一本。
使用可能なスキルが一つの、使用不可が二つ。
袖に長い破れ目のあるシャツが一枚。
【残機:17 / 18】
【経験値:1 / 5】
【武技熟練度:5%】
(よし。まずは飯だ。経験値はその後だ)
(いや、やっぱり経験値が先か。腹ペコの状態で戦いたくはないが、戦っている最中に食料が見つかるかもしれないし――)
彼は思考を遮った。
「順番がめちゃくちゃだな」
首を振って鉄棒を拾い上げる。
(一歩ずつ、確実にだ)
彼は聖遺物保管庫の外へと歩み出た。
* * *
城壁の景色は、昼の光――あるいは、この場所で昼と呼ばれている光の下では、まるで違って見えた。
空の色は深い紫色へと変わり、その端にはオレンジ色の筋が走っている。いくつかの塔が、壁の向こうへとしなやかな長い影を落としていた。遥か下の森のどこかで、高くて細い何かの鳴き声が響き、そして不意に途絶えた。
ケイルはマップを呼び出した。
【マップ:城壁】
【探索率:24%】
(弓兵の塔。脇扉。俺の聖遺物保管庫。それと、長く伸びる城壁の一角か)
(それ以外は真っ白だな)
彼は姿勢を低く保ちながら、ゆっくりと歩き始めた。
最初に見つけたのは、一体のハスクだった。
それは通路の真ん中に立ち、彼に背を向けた状態でゆらゆらと揺れていた。
【魔物を識別しました:ハスク】
【脅威度:低】
ケイルの口元が吊り上がる。
「よお、相棒」
(前にもやった相手だ)
(それに今の俺は、やり方を知っている)
崩れた胸壁の陰に身を潜め、奴の顎がピクリと動く瞬間を待つ。
動いた。
彼は地を蹴った。
鉄棒がハスクの膝の裏を捉えた。ハスクが顎をがたつかせながら横へとのめり出す。ケイルはその爪の振りを屈んでかわし、相手の懐へと踏み込みながら、手の付け根をその顎へと突き上げた。
バキッ。
頭が後ろへと跳ね上がる。
彼はそのまま、折れた首筋に向けて鉄棒を振り抜いた。
ハスクの身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
【魔物を討伐しました:ハスク】
【経験値:2 / 5】
【武技熟練度:7%】
ケイルは死体の傍らに立ち、激しく息を吐き出した。
「二パーセントか」彼は言った。「あれだけで二パーセントも上がったぞ」
(間違いない、上手くいってる)
(戦うたびに、俺は少しずつマシな存在になっていく)
* * *
二体目の魔物は、それよりも小柄だった。
それは瓦礫の山の下からカサカサと這い出てきた。丸っこい灰色の肌をしており、細長い腕と、かすかにオレンジ色に発光する腹部を持っていた。
【魔物を識別しました:パウダーインプ】
【脅威度:低】
【警告:接触すると爆発します】
「爆発?」ケイルが声を上げた。
パウダーインプが彼に気づいた。
その腹部が一層強く輝きだす。
それは彼に向かって突進してきた。
「冗談だろ、ナシだ! ナシナシナシ!」
彼は最も近い壁の後ろへと飛び込み、頭を抱え込んだ。
ズドォォン!
壁が激しく激震した。煤けた塵が頭上から降り注ぐ。顔から腕一本分ほどの距離に、大きな石の破片が落ちてきて転がった。
耳鳴りがようやく収まったのを見計らい、ケイルは恐る恐る顔を覗かせた。
インプの姿は消えていた。
ただ、石の床の上に残された焦げ跡と、一本の細い煙の筋だけが揺らめいていた。
【魔物を討伐しました:パウダーインプ】
【経験値:3 / 5】
ケイルは冷たい床に頬を押し付けたまま、そこに横たわっていた。
「俺、一発も殴ってないぞ……」
(勝手に自爆しやがった)
(それでもいいのか?)
システム側としては、どうやら討伐扱いになるらしい。
彼は激しく咳き込みながら起き上がり、髪についた塵を払った。
「よし、学習したぞ。ちっこい奴らには絶対に触れさせるな、だ」
* * *
三体目の魔物を見つける頃には、彼は怯えるのをやめ、戦う相手を選別し始めていた。
今では遠くからでも奴らの姿が見える。城壁のあらゆる通路、あらゆる階段の先に、何かが動く気配があった。
彼は近づく前に、一体ずつその正体を確認していく。
【魔物を識別しました:ウォールガード】
【脅威度:中】
錆びついた鎧に身を包んだ人型の何か。重そうな盾と長剣を携えている。
「パスだ」ケイルは静かに呟いた。
彼は踵を返し、別の道へと歩いた。
【魔物を識別しました:チェインレイス】
【脅威度:中】
地面から手のひら一枚分ほど浮き上がり、長い鉄の鎖を引きずっている青白い人影。
「これもパス」
また別のルートを選ぶ。
(「低」だ。「低」の奴だけを狙うんだ)
(必要なのはあと二ポイント。必要なのは練習だ。死ぬことじゃない)
(「中」の奴らは後回しでいい)
壊れた階段の近くで別のハスクを見つけ、彼は最初と同じ方法で仕留めた。今度はさっきよりも早かった。動きも滑らかになっている。
【魔物を討伐しました:ハスク】
【経験値:4 / 5】
【武技熟練度:9%】
ケイルは数字を見つめた。
「四ポイント。あと一つか」
彼の腹がまたグウと鳴った。
「分かってる。分かってるって。すぐだからな」
* * *
階段は上へと続いていた。
狭く、急勾配で、何世紀にもわたって目に見えない足に踏み荒らされたせいで滑らかに磨り減っている。
ケイルは壁に片手を突き、ゆっくりと登っていった。空気は次第に冷たくなり、風が強くなっていく。最上段に達したとき、彼は広いテラスに出た。下の城壁よりも遥かに高いその場所からは、城壁の全貌が眼下に広がっていた。
マップの空白が埋まっていく。
【探索率:31%】
【探索率:36%】
「これだよ」彼は低く呟いた。「ようやくそれっぽくなってきたな」
彼は振り返った。
そして、足を止めた。
テラスの奥の壁に、一つの扉が佇んでいた。
背が高く、幅の狭い、黒い鉄で作られた扉だ。暗い石の枠に嵌め込まれている。取っ手はない。鍵穴もない。ただ、二つの扉が合わさる中央に、一本の淡い光の線が縦に走っているだけだった。
彼の前にウィンドウが開いた。
【未知の扉】
【注:すべての扉は未知である】
【十分な幸運に恵まれていれば、正しい扉へ入ることができるだろう】
ケイルはそれを凝視した。
(扉――)
(三つの入り口)
(これがそのうちの一つか)
心臓の鼓動が速くなる。
「運が良ければ、ねえ」彼はゆっくりと言った。「じゃあ、運が悪かったらどうなるんだ?」
システムは答えない。
(どうなるかは分かってる。神様が教えてくれたからな)
(間違った扉は背後で閉まり、二度と開かないんだ)
彼は扉に向かって一歩踏み出した。
その瞬間、彼の腹があまりにも凄まじい音を立てて鳴り響いたため、どこか遠くにいた鳥が一斉に飛び立っていった。
「……そうだな」ケイルは言った。「ああ、腹ペコの状態で挑むもんじゃないな」
彼は足を引いた。
(そもそも、正しい扉を見つけたところで、今の俺にその先へ進む準備ができているのかも分からない)
(奥に何があるかも知らないんだ)
(まずは飯を食って、鍛えて、残りのマップを埋めてからだ。話はそれからだ)
彼は手を挙げた。
【現在地を記録しました:未知の扉(1)】
マップの上に小さな印が現れた。テラスの端に位置する、ごく小さな黒い長方形だ。
「よし」彼はぼやいた。「まずは一歩前進だ」
彼は扉に背を向けた。
そこから立ち去るのは、あまり気分のいいものではなかった。
* * *
テラスの先は、崩れかけたアーチの裏に半分隠れた小さな庭園へと繋がっていた。
ケイルはアーチの端で足を止め、目を見開いた。
木だ。
砕けた敷石の広がる中庭の真ん中に、本物の木が一本立っていた。捻じ曲がった古代の巨木。樹皮は鉄のように黒く、枝にはずっしりと果実が実っている。
丸い果実。深い赤色。それはまるで埋み火のように、かすかに熱を帯びて輝いていた。
空気中には、蜂蜜のような甘い香りが漂っている。
【アイテムを検知しました:未識別の果実】
【食用:可】
ケイルの膝からガクリと力が抜けた。
「飯だ……」彼は囁いた。
脳が追いつくよりも先に、彼は実際に二歩、前へと踏み出していた。
(待て)
(なんでここには誰もいないんだ?)
(他に何もいない。魔物もいない。これを食べている奴もいない)
(どうしてこんな木が、手付かずのまま残されているんだ?)
彼は足を止めた。
木の根元の影に、一つの影が横たわっていた。
大きく、長い。猫のように身体を丸めている。
一瞬、ただの岩の塊かと思った。
だが、それは呼吸をしていた。
ゆっくりと、深く。肋骨が上下に動いている。
その毛並みは灰色で、黒い縞模様が入っていた。肩幅は巨岩のように広く、前足はディナー皿ほどの大きさがあり、その先には彼の指と同じ長さの爪が揃っていた。
虎だ。
あるいは、それに限りなく近い何か。
ウィンドウが滑り出てきた。
【魔物を識別しました:ヴェルカン】
【脅威度:中+】
【推奨:交戦を避けてください】
ケイルは動かなかった。
息をすることさえ躊躇われた。
(中プラス――)
(あの弓兵が「中」だった)
(プラスってことは、あれより凶悪ってことか)
身体のすべての細胞が、今すぐ引き返して立ち去れと告げていた。
だが、彼の胃袋は違う主張をした。
それは鳴った。
長く、低く、恥知らずなほどの音量が、静まり返った庭園に響き渡る。
ヴェルカンの耳が、ピクリと跳ね上がった。
ケイルの血が瞬時に凍りつく。
(嘘だろ。頼む、やめてくれ)
巨大な頭が持ち上がった。
琥珀色の、縦に裂けた瞳孔を持つ目が開かれ、ゆっくりと彼の方へと向けられる。
ヴェルカンは長い間、ケイルをじっと見つめていた。
やがてそれは急ぐ様子もなく立ち上がり、大きく身体を伸ばした。縞模様の毛皮の下で、全身の筋肉が波打つように躍動する。
それは大きく口を開け、鋭い牙を剥き出しにしてみせた。
ケイルの右手が、錆びた鉄棒をきつく握り締める。
彼はヴェルカンを見た。
それから、果実を見た。
彼の腹が、もう一度激しく鳴り響いた。
「……まあ」彼は口を開いた。その声は、自分でも情けないほど細く震えていた。「どうやら、選ばせてはもらえないらしいな」




