1階 - 城壁
カエルの旅は、喪失と、与えられた二度目のチャンス、そして、一つのミスが大きな代償を伴う過酷な試練から幕を開ける。18の命と101の階層を前にした彼にとって、最大の難関は単に生き残ることではない。死がもはや「終わり」ではなく、決して無視することのできない「教訓」となってしまう世界で、それでもなお歩み続けるための強さを見出すことなのだ。
お読みいただきありがとうございます。ぜひ、カエルの旅路を見届けてください。『18の命:再生の迷宮 ~二度目のチャンスのダンジョン~』。
悲鳴は二度と聞こえなかった。
その方が、かえって恐ろしかった。
カイルは冷たい石の床に伏せたまま、肋骨を叩くように激しく脈打つ心臓の音を聞いていた。闇のどこかで、静かに水滴が滴る音がする。ポツン。ポツン。ポツン。
(動け)
身体は動かなかった。
(動け、この間抜け。もうあの白い空間じゃないんだぞ)
彼は唾を飲み込み、何とか膝をついて起き上がると、ようやく周囲をまともに見回した。
部屋は狭かった。幅は三歩、奥行きはせいぜい四歩。壁には一本の錆びた鎖がボルトで固定されている。ベッドもなければ、窓もない。
そして、あの薬瓶だ。
奥の壁に沿って、何十本もの瓶が細い針金で吊るされている。丸いガラスの膨らみ、細い首、コルクの栓。風もないのに、それらはわずかに揺れていた。
そのすべてが、空っぽだった。
「……」
彼は長い間、それらを見つめていた。
それから、触るなと言われたものに手を伸ばす子供のように、指先で一本の瓶を軽く叩いてみた。
チーン、とガラスが微かに鳴る。
【ピコン】
目の前に、薄青く静止したウィンドウが滑り出すように開いた。
【ステータス】
氏名:カイル・レンファル
識別:青(BLUE)
残機:18 / 18
階層:第1層(城壁)
装備:なし
解放アイテム:0
「……」
カイルはその中に手を振ってみた。
何も起きない。ウィンドウは忠実な犬のように、彼の視線にぴったりと追従してくる。
「……これが、システムってやつか」彼は呟いた。
最初のウィンドウの下に、二枚目のウィンドウが開く。
【お知らせ】
ここはあなたの『保管庫』です。解放されたアイテムはここに記憶されます。
空の薬瓶は、あなたがまだ獲得していないアイテムです。
アイテムを使用するには、まず迷宮内で発見し、登録する必要があります。
「発見し、登録する……」カイルは繰り返した。
彼は自分の空っぽの両手を見下ろした。
「つまり、俺は何も持ってない。戦うことすらできないってわけか」
これまでの人生で、まともな喧嘩など一度もしたことがなかった。荷箱を運び、床を磨き、街の半分を駆け回って雑用をこなす日々。一度、泥棒を三つ先の通りまで追いかけたが、荷車につまずいて転んだのが関の山だ。
(百一層のダンジョン……)
(これは、随分と短い試練になりそうだな)
扉は施錠されていなかった。
丸一分ほど扉を凝視し続けて、ようやくそのことに気づいた。誰かが急いで出て行ったかのように、一本の錆びた蝶番だけで辛うじて繋がったまま、斜めに開いている。
カイルは通路へと足を踏み入れた。
空気が変わった。より冷たい。古い鉄と、湿った石の匂い。そしてその奥に、名前もつけたくないような、奇妙に甘ったるい何かの臭いが漂っている。
壁のあちこちで松明が揺らめいていた。両側には、全く同じ構造をした『保管庫』がずらりと並んでおり、どれも扉が開け放たれ、中の薬瓶は空だった。
(他の奴らの保管庫か)
誰の姿も見えなかった。
通路の遥か先、アーチ型の入り口からかすかな光が漏れている。
カイルはその光に向かって歩いた。
自分の足音が、妙に大きく響く。
【ミッション:生存せよ】
【ミッション:武器を見つけよ】
「アドバイス、どうも」彼は囁いた。
システムからの返答はなかった。
アーチを抜けると、そこは城壁の上の通路だった。
カイルは足を止めた。
中庭か、あるいは別の通路に出るものとばかり思っていた。空が広がっているとは予想していなかった。
灰色の雲が筋を引く、巨大で、どす黒い紫色の空。その下を、ある場所は崩れ、ある場所はひび割れた長い石壁が、両方向へと無限に伸びている。不揃いな間隔で塔がそびえ立ち、壁の向こうには、霧の中に消えていく暗い森がどこまでも広がっていた。
【第1層:城壁(Rampart)】
(まるで、世界の果てだな)
彼は壁に沿って、身を潜めながら前へ進んだ。靴が浮いた砂利をこする。風が袖を激しく引っ張った。
最初の直線の半分ほど進んだ時、崩れた柱の影に、何かが横たわっているのが見えた。
死体だ。
カイルは息をのんだ。
それは、破れた灰色の服を着てうつ伏せになっている男だった。腕を伸ばし、その指先は松明の光を浴びて鈍く光る何かを握りしめている。
「……おい?」カイルは静かに声をかけた。
返事はない。
彼はしゃがみ込んだ。
男の皮膚は完全に生気を失い、灰色に変色して弛んでいた。彼が横たわる石の床には、どす黒い染みが乾ききっている。
(死んでる……)
(それも、ずいぶん前からだ)
カイルは唾を飲み込み、男の手に握られているものに目を落とした。
自分の前腕ほどの長さがある、一本の鉄の棒。錆びついており、片方の端が折れ曲がっている。
【アイテムを感知:錆びた鉄棒】
【レア度:コモン】
「武器だ……」カイルは息を漏らした。
不格好だった。惨めな代物だった。
だが、この場所に来て初めて、彼に差し伸べられた『使えるもの』だった。
彼は手を伸ばし、一瞬躊躇してから、硬直した男の指を一本ずつ優しく解きほぐした。
【錆びた鉄棒を登録しますか?】
【はい / いいえ】
迷う余地はなかった。
「はい」
【アイテムを登録しました:錆びた鉄棒】
【システムストレージに格納されました】
背後のどこかで、チーンとガラスの鳴る音がした。
カイルは振り返らなかった。その必要はなかった。先ほどの空の薬瓶の一つが、今、満たされたのだと分かっていたからだ。
鉄の棒は、見た目よりもずっしりと重かった。彼の掌には、すでにじっとりと汗がにじんでいる。
(剣には程遠いな)
(だけど……何もないよりはマシだ)
目にするよりも先に、その音が聞こえた。
ベチャリ、ベチャリと、重い何かを泥の中で引きずるような音。
カイルの身体が凍りついた。
音は、隣の塔の方から聞こえてくる。
松明の光の中に、一つの影が踏み出してきた。
それは、かつて人間だったものだ。二本の腕、二本の足、不自然な角度に傾いた頭――形状はその通りだった。しかし、皮膚は灰色の剥がれかけの端切れのように垂れ下がり、目は白濁している。外れた顎は、もはや機能しない蝶番のようにだらりとぶら下がっていた。
【モンスターを識別:ハスク(亡者)】
【危険度:低】
【推奨:徒手空拳での戦闘は避けてください】
「素手じゃないさ」カイルは微かに呟いた。
彼は両手で鉄の棒を構えた。
腕が、ガタガタと震えていた。
ハスクの頭が、ゆっくりとこちらを向いた。
その顎がピクリと動く。
次の瞬間、それは動いた。
カイルの予想を遥かに超える速さだった。とんでもなく速い。つい一瞬前までは十歩も離れた場所にいたはずなのに、次の瞬間には、その影が眼前に迫り、破壊された足で恐るべき速度を以て突進してきた。
「待て! 待て、待て待て……!」
彼は棒を振り下ろした。
しかし、鉄棒は空を切った。その重さに引きずられ、カイルは大きく体勢を崩す。
冷たい手が、彼の喉を締め付けた。
凍えるように冷たく、そして強い。あまりにも強すぎた。
(嘘だろ……)
【警告:致命的なダメージを検知】
カイルは悲鳴を上げようとしたが、声にならなかった。
一瞬の、妙に静かな瞬間の間に、彼の意識は全く別の場所へと漂っていった。
色褪せた黄色の毛布。
自分の手の中にある、小さな手。
(ユニ……)
(ごめん。俺、何も、できなくて……)
世界の端から、急速に白に染まっていく。
【残機が減少しました】
カイルは激しく息を吸い込んだ。
石だ。
背中に、冷たく湿った石の感触がある。
彼の両手が、反射的に自分の喉へと飛んだ。皮膚は繋がっている。傷もない。痣すら残っていない。
彼は床に倒れたまま天井を見つめ、溺れた男のように何度も激しく呼吸を繰り返した。
「……っ、……っ」
錆びた鎖。狭い小部屋。どこかで滴る水の音。
戻ってきたのだ。
【ステータス】
残機:17 / 18
階層:第1層(城壁)
装備:なし
解放アイテム:1
カイルはゆっくりと首を巡らせた。
奥の壁に並ぶ空の薬瓶の中に、一つだけ、明らかに異なる様子で吊るされているものがあった。
そこには、微かな灰色の光が満ちていた。その中で、まるで小さな幽霊のように、あの折れ曲がった鉄の棒の形状がぷかぷかと浮いている。
【錆びた鉄棒】
【未登録。再度発見する必要があります】
カイルはそれを見つめた。
笑い出したかった。
泣き叫びたかった。
彼はどちらもしなかった。
ただそこに横たわり、心臓の鼓動が落ち着くまで、じっと呼吸を続けた。
(十七……)
(俺は死んだ。なのに、まだここにいる)
(命を一つ失った。それも、あんなにあっさりと)
彼は身体を起こした。
足に力が入らない。指先はまだ小刻みに震えている。
しかし、何かが変わっていた。
麻痺した心の奥底に、小さな、たった一つの火花が灯る。
(鉄の棒がどこにあるか、もう分かっている)
(あのハスクがどこにいるかも分かっている)
(あいつが、どれだけの速さで動くかも……)
彼の顎にぐっと力がこもる。
(次は……)
【新しいミッション:錆びた鉄棒を回収せよ】
【ヒント:モンスターはパターンに従って行動します】
カイルは立ち上がった。
出口へと歩き、一度足を止めると、最後にもう一度だけ光る薬瓶を振り返った。
「命一つだ」彼は静かに言った。「代償は、それだけだった」
彼は通路の闇へと顔を向けた。
「二度目は、絶対に払わない」




