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神託少女は今日もテキトーを言う  作者: 絹田屋


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第一話 だって憧れるじゃないですか

 鏡というのは、正直だと思う。けれど見たいものを見せてくれる。


 誤魔化してくれないし、よく見せてもくれない。見たままを返してくるだけ。だから鏡が好きだった。


 いまわたしの目に映っているのは、色白の肌と、黒い髪だった。

 ストレートで、長くて、光の当たり方によって少し青みがかって見える、完璧な黒だった。


 『……やっぱり最高だな、これ』


 心の中で何度目かわからない結論を出しながら、髪を片側だけ耳にかけた。窓からの光が斜めに差し込む角度に顔を向けて、少しだけ目を細めた。


 うん。よかった。前世から夢見ていた通りだった。

 色白黒髪ストレートロングというのは、つまり、光の加減でとんでもないことになる造形だ。逆光に溶けるような透け感と、順光でくっきり際立つ黒さと、その両方を一人で持っている。これを前世のわたしは持っていなかった。茶色い髪は茶色い髪なりの良さがあったが、この黒さはなかった。

 転生してよかったと思う瞬間は、毎朝ここから始まる。

 次に、少し口角を上げた。視線を一点に定めて、何かを見透かすような顔を作る。


「……すべては、すでに目に届くところにあるわ」


 低めに、ゆっくりと言ってみた。

 いい。

 前世でこれをやろうとすると、どこか間が抜けた痛い感じになっていただろう。でも今は違う。黒髪と色白が全部引き受けてくれる。台詞の重さを、見た目が支えてくれる。


 『だって憧れるじゃないですか、こういうの。意味深な美幼女』


 心の声と口から出る台詞のギャップを、誰にも知られないまま、わたしは静かに満足していた。



 部屋は、広かった。

 広いだけではなく、綺麗だった。東の方の職人が作ったという格子細工の衝立が立っていて、壁に沿って本棚があって、窓際には小さな文机があった。敷物は何枚も重ねてあって、踏むたびにふかふかしていた。


 お香の差し入れがあったので、細い煙が一本、空気の中にのぼっていた。


 両親は、わたしに『拐かされるといけないから』と外には出してくれなかった。まあ、治安の悪い世界なのかなぐらいで気にしてなかった。

 わたしにとってこの部屋は城だった。全部揃っていた。本、お菓子、香、きれいな衣、手遊びの道具、鏡。わたしが外に出なかったのは、出る理由がなかったからだ。ここより良い場所が思いつかなかった。


 本棚には今週だけで三冊増えた。父が王都から取り寄せてくれた歴史書一冊と、母が見繕ってくれた物語集が二冊。物語集の一冊は挿絵が多くて、衣装の描き込みが細かくて、それだけで三時間は楽しめた。


 わたしは今日も、午前中は本を読んで、昼過ぎから鏡の前に移動してきた。

 日課だった。



 廊下の向こうで、声がした。

 父と母の声だった。内容はよく聞こえなかったが、何かを話し合っているのはわかった。こういうことが時々あった。

 戸の前で足音が止まって、また離れていく。

 ——何年これが続いているだろう、と父が言った気がした。

 ——来年には、と母が返した気がした。

 聞こえなかったかもしれない。そう聞こえた気がしただけかもしれない。

 わたしはまた鏡に向き直った。


「……見聞きしたものが真実とは限らない」


 今度は少し顎を引いて、上目遣いに近い角度で言ってみた。

 これもよかった。上目遣いは効く。前世でも漫画で何度も見てきたやつだ。見るのと自分でやるのとでは達成感が全然違う。自分でやれる方が、断然いい。


 『前世のわたしに見せてやりたい。褒めてくれると思う』


 たぶん「最高じゃん」と言ってくれると思う。

 前世のわたしはそういうやつだったので。



 お客が来たのは、それから少し経ってからだった。

 珍しいことだった。この部屋に来るのは、ふだん父と母と、あとは食事を運んでくる使用人だけだ。今日は見慣れない男が父と一緒に入ってきた。歳は父より上に見えた。身なりがよかった。何かの役職に就いている人だろうと思った。

 漫画で読んだことがある。こういうのは、視察というやつだ。

 わたしは文机の前に戻って、本を開いていた。


 男はわたしを見て、何か顔色が変わった。このビジュのせいだろうと思った。父が横で何か言っていたが、内容はあまり聞いていなかった。


 『この人、なんか緊張してる。わたしが怖いのかな。ふふ、美幼女にびっくりしちゃったとか?』


 男がわたしの前に来て、ぎこちなく口を開いた。


「……お健やかそうで、何よりでございます」


 儀礼的な言葉だった。それに儀礼的に頷こうとして、ふと、わたしは男の首元に目が止まった。


 高価そうな飾り紐がついていた。赤い石が嵌まっている。

 本で読んだことがあった。こういう石は、贈り物として渡される場合が多い。特に、親しい間柄の。家族か、あるいは、それに準じる誰か。

 でもこの人の指には婚姻の印があって。つまり、妻のいる人で。

 べつに深く考えたわけではなかった。ただ、なんとなく、読んだ話と似ているなと思っただけだった。こういう場面は漫画にもよく出てくる。身に覚えのある秘密を持った人が、予言者の前に来るやつ。

 だから言った。

 特に深い意図はなかった。ただ、このシチュエーションに合いそうな台詞が頭に浮かんだので、使ってみたかっただけだった。


「……大切にしているものは、隠すより、守る方が難しいものね」


 静かに、ゆっくりと。窓の光の角度を意識しながら。

 男の顔から、すっと血の気が引いた。

 父が「娘は何を」という顔をしていた。

 わたしは続けた。すでに乗っていた。


「見えないようにしたところで、光というのは……思わぬところから差し込んでくるものだから」


 男がその場で、静止した。


 『決まった……』


 心の中でガッツポーズしながら、わたしは口元に薄く笑みを作った。前に練習したやつだ。ちょっと儚げに、でも見透かしているように。

 男は少しの間、動かなかった。それからゆっくりと膝をついた。


「……お嬢様」


 声が、震えていた。


「わたくしは、その、わたくしには……」


 何か話し始めたが、途中で言葉に詰まっていた。

 わたしには何の話をしているのかわからなかった。でも、黙っているのが最善だと思った。漫画の神託シーンは、大体しゃべりすぎると台無しになる。黙って待っていると相手が勝手に話してくれる。


 案の定、男は自分から全部話した。

 宮廷の、誰かのことを。長い間隠してきた、誰かとの話を。


 わたしは聞きながら、へえ、と思っていた。王都の宮廷というのは色々あるんだなと思っていた。本みたいだった。

 男が話し終えると、ぽつりと言った。


「……もう、楽になってよいのよ」


 これも前から使いたかった台詞だった。「楽になってよい」は汎用性が高い。


 男が泣いた。わりと本格的に泣いた。大の大人が大号泣だ。

 父が廊下に出て、何か言っていた。おそらく母を呼びにいったのだと思う。


 わたしは正直なところ、この展開をどう終わらせればいいかわからなくなっていたので、にこりと微笑んで誤魔化した。

 ああ、本の続きが気になる。泣いている男をしっとり眺めるふりをしながら、静かに頭の中で読み進めたところの展開を思い出してた。



 その夜、廊下の向こうで父と母がまた話していた。

 今日はいくらか声が近かった。

「……あの子は、どこまで、わかっているのだろうな」

「……わかっているのかもしれない。わかっていて、何も言わないのかも」


 わたしはそれを聞きながら、本のページを繰っていた。

 何をわかっていると思われているのかは、わからなかった。でも、心配してくれているのはわかった。


 明日は甘いものをねだろうと思った。気を遣わせてしまった分、甘いものを持ってきてもらうくらいが丁度いいバランスのような気がした。


----------


 私の名は、ここでは明かすべきではないだろう。

 王都で陛下にお仕えする身であるとだけ申し上げる。あの日、わたしが辺境の旧友の屋敷を訪ねたのは、まったくの私用だった。近くの町に所用があり、ついでに顔を出しただけだ。


 忌み子がいる、という話は聞いていた。旧友が何年も前から家の奥に子を隠しているということは、薄々察していた。呪われた子が生まれた——そういう触れ込みだった。


 気の毒に、と思っていた。それだけだった。

 旧友に通されて、屋敷の奥の部屋に入ったとき、私はまず香の匂いを感じた。それから、窓からの光を。

 部屋の中に、少女がいた。

 文机に向かって本を読んでいた。顔を上げた。


 ——黒い髪だった。


 最初、何を見ているのかわからなかった。忌み子と聞いていたから、痣なり傷なり、何か見るに堪えないものを覚悟していた。しかし目の前にいたのは、色白で、端整な顔をした、黒い髪の少女だった。


 黒い髪。

 黒い、髪。

 数百年に一度と言われる、あの。


 足が止まった。頭の中が、急速に回り始めた。忌み子ではない。忌み子として隠されていたのだ。旧友は、この子を守るために嘘をついていたのだ。


 旧友の顔を見た。旧友は何か言っていた。娘は少し変わっているが害はない、というようなことを。言葉は耳に入っていたが、意味を取る余裕がなかった。

 少女がわたしを見ていた。


 あの目だ。本を読んでいた目が、こちらを値踏みしている。十二歳の子供の目ではなかった。もっと深い、何かを知っている者の目だった。

 口が勝手に動いた。


「……お健やかそうで、何よりでございます」


 それしか出てこなかった。

 少女が私を見ていた。首元を見ていた。

 首元——飾り紐。赤い石。

 あれは、あの方からの。

 少女が口を開いた。


「……大切にしているものは、隠すより、守る方が難しいものね」


 体の芯から、冷えた。

 知っている。この子は知っている。この石が誰から贈られたものか。この石を身につけたままここに来たわたしの迂闘さを。いや、そんなことではない。この子は——見えている。


「見えないようにしたところで、光というのは……思わぬところから差し込んでくるものだから」


 膝が折れた。

 気づいたときには、私は床に膝をついていた。体が勝手にそうなった。あの目に見つめられて、隠し続けてきたものが全部、喉の奥から押し上げられてきた。


 話した。宮廷での、あの方のこと。長年隠してきた関係のこと。妻を裏切っていたこと。やめられなかったこと。誰にも言えなかったこと。全部話した。


 なぜ話したのかはわからない。聞かれたわけではない。ただ、あの目の前では、隠しておくことが不可能だった。あの子は何も問いかけなかった。ただ、黙って座っていた。その沈黙が、全てを引きずり出した。

 話し終えたとき、少女が静かに言った。


「……もう、楽になってよいのよ」


 泣いた。

 止められなかった。人前で泣くなど、何十年ぶりか。大の大人が、子供の前で号泣した。みっともなかった。しかし止まらなかった。



 屋敷を辞した後、私は自分の馬の前で立ち尽くしていた。

 冬の空気が冷たかった。頬を伝ったものが乾いて、顔が突っ張っていた。


 あの子は本物だ。


 黒髪の神託者。伝承は本当だった。あの子は人の秘密を見抜き、言葉で心を開かせ、沈黙で全てを引き出す。わずか十二歳で、あの力。


 私の中で、二つの考えがせめぎ合っていた。


 一つは、旧友を守りたいという気持ち。彼はこの子を十二年間守ってきた。国に知られれば、この子は召し上げられる。旧友と、この子の静かな日々は終わる。


 もう一つは——あの力を、あの屋敷の奥に閉じ込めておいてよいのか、という思い。

 私の秘密を、あの子は一目で見抜いた。あの目は、人の心の奥を映す水鏡だ。あの力が国に向けば——。


 しばらく考えた。


 結論は、出なかった。出なかったが、体は動いた。

 早馬の手配をした。王都への報告を記した。


 旧友には申し訳なく思った。しかし、あの子を見てしまった以上、何も言わずに帰ることはできなかった。あの目を見た人間は、たぶん誰でも同じことをする。


 馬が走り出した。

 冬の道を、早馬が王都へ向かっていった。

 あの子はまだ、部屋で本を読んでいるのだろう。私が何をしたか、知らずに。


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