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神託少女は今日もテキトーを言う  作者: 絹田屋


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第十八話 お茶が飲めれば十分です


 雷鳥の一族の件が落ち着いた数日後のことだった。


 見黒様は部屋でいつも通り本を読んでおられた。わたくしは本日の三冊——南方の薬草図鑑と、古い建築書と、恋愛譚の最新刊——をお持ちして、後ろに控えていた。


 廊下に足音が近づいてきた。


 軽い足音だった。近衛の兵のものではない。大臣のものでもない。足音の間隔が一定で、急いでいない。わたくしにはすぐにわかった。


 陛下だった。

 侍従も連れず、お一人で歩いて来られた。

 見黒様の部屋の前で、軽く扉を叩かれた。


「アカリ殿。少しよいかな」


 見黒様が顔を上げられた。


「あら、陛下。どうぞ」


 陛下が入って来られた。


 わたくしは姿勢を正した。陛下が見黒様のお部屋を直接訪ねられるのは、珍しいことだった。四年間で、片手で数えられるほどしかない。


 陛下は文机の向かい側にお座りになった。見黒様が本を閉じられた。


「何かご用かしら」

「いや、特には。少し時間が空いたのでな」


 見黒様が少し目を丸くされた。それから、ふっと笑われた。


「そう。ではお茶でも。エル、お茶をお願い。あの青い実の焼き菓子も」


 わたくしはお茶と菓子を用意して、お持ちした。



 それからしばらく、不思議な時間が流れた。


 陛下と見黒様は、特に何の話をするでもなく、お茶を飲んでおられた。


 菓子を食べておられた。


 陛下が「この菓子は何だ」と聞かれ、見黒様が「南方の実を甘く漬けたもの。おいしいわよ」と答えられた。陛下が一つ食べて「うまいな」と仰った。見黒様が「でしょう」と少し得意そうに仰った。


 それだけだった。


 神託の話も、国政の話も、外交の話も、一つも出なかった。

 ただ、お茶を飲んで、菓子を食べて、窓の外の冬晴れの空を眺めておられた。


 わたくしは部屋の隅に控えながら、この光景を見ていた。


 四年間、見黒様は家臣や大臣や将軍や従者と言葉を交わしてこられた。でもそのどれもが「神託者と臣下」という構図だった。相手が何かを求め、見黒様が何かを返す。そういう形だった。


 今、この部屋には、何の構図もなかった。

 二人の人間がお茶を飲んでいるだけだった。



 しばらくして、陛下が口を開かれた。


「アカリ殿」

「なにかしら」

「アカリ殿は、この先どうされたいか」


 見黒様がお茶の杯を置かれた。少し考えておられるように見えた。


 わたくしの心臓が跳ねた。

 この先。陛下が、見黒様の将来をお尋ねになっている。


「そうね」


 見黒様は窓の外を見ておられた。冬の低い陽が、黒髪に薄く差していた。


「本が読めて、お茶が飲めて、池があれば十分よ」


 陛下が笑われた。

 声を出して笑われた。陛下が声を出して笑われるのを、わたくしはあまり見たことがなかった。


「それだけか」

「それだけよ。欲張りすぎると、ままならなくなるもの」


 陛下がまた笑われた。それからお茶を一口飲んで、仰った。


「では、本と茶と池は、わたしが保証しよう」

「あら。ありがとう」


 それだけだった。

 それだけの会話だった。


 陛下はもう一つ菓子を食べて、「うまかった」と仰って、立ち上がられた。


「また来てもよいかな」

「いつでもどうぞ。お茶は用意しておくわ」


 陛下は軽く頷いて、部屋を出ていかれた。足音が廊下の奥に消えていった。



 陛下が去られたあと、わたくしは廊下に出た。

 案の定だった。

 廊下の角に、三人の大臣が控えていた。侍従長もいた。グレン殿もいた。全員が、陛下のご訪問を知って集まっていた。


「エル。陛下は何を仰ったのだ」

「見黒様とどのようなお話を」


 わたくしは、ありのままを伝えた。


「お茶を召し上がり、菓子を食べられ、陛下が見黒様の今後をお尋ねになりました。見黒様は『本が読めて、お茶が飲めて、池があれば十分だ』と仰せられました」


 大臣たちの間に、ざわめきが広がった。


「陛下が……見黒様の将来を……」

「見黒様は『お茶が飲めれば十分だ』と仰った……つまり、こうして陛下とお茶を共にできるならば、おそばにいる、と……」

「それだけではない。陛下が本と茶と池を保証すると仰ったのだ。見黒様はそれをお受けになった。つまり——陛下がおられる限り、この国を見守り続ける、というご宣言だ」

「見黒様と陛下の間に、そのようなお約束が……!」


 解釈がひとつの方向に収束していった。


 グレン殿が手帳を開いた。


「本日の月齢は……上弦。上弦は始まりの相だ。陛下がこの日に見黒様を訪ねられたのは……」


 わたくしは黙って部屋に戻った。


 日誌に書いた。


「本日、陛下が見黒様のお部屋を訪ねられた。お茶を飲み、菓子を召し上がった。見黒様は『本と茶と池があれば十分だ』と仰せられた。陛下はそれを保証すると約束された。政の話は一切出なかった。しかし、あの時間は——わたくしがこの四年間で見た中で、見黒様が最も自然に笑っておられた時間だったと思う」


-----


 陛下がお茶を飲みに来た。

 びっくりした。


 侍従も連れずに一人でふらっと来た。まるで隣の部署の上司がランチに誘いに来る感じだった。前世で言うところの「ちょっといい?」のノリだ。


「何かご用かしら」

「いや、特には。少し時間が空いたのでな」

(……え、用事ないの? 国王が用事なく来るの?)


 でも、嫌な感じはしなかった。むしろ、なんか良かった。


「そう。ではお茶でも」


 エルにお茶と菓子を頼んだ。あの青い実の焼き菓子。最近のお気に入りだ。


 陛下が菓子を見て「これは何だ」と聞いた。「南方の実を甘く漬けたもの。おいしいわよ」と答えた。一つ食べて「うまいな」と言った。「でしょう」と返した。

(この人、笑い方が好きだな。前世で言うと、一緒にいて気を遣わなくていいタイプの人。趣味が合う上司とランチ行く感じ)



 それからしばらく、不思議な時間が流れた。


 神託の話も、国の話も、しなかった。陛下も聞いてこなかった。わたしも言わなかった。ただお茶を飲んで、菓子を食べて、窓の外を見ていた。


(……あれ、これなんだろう。なんか、楽だな)


 普段、家臣や大臣が来ると、何か言わないといけない空気がある。杞憂を聞いたり、神託っぽいことを言ったり。それ自体は楽しいのだけれど、ずっとやっていると少し疲れることもある。


 陛下は、何も求めてこなかった。

 お茶を飲んで、菓子を食べて、隣にいるだけだった。


(前世にもいたな、こういう人。何も喋らなくても気まずくならない友達。大学の図書館で隣の席に座って、二人とも黙って本を読んで、たまに「腹減った〜」「ねー」って言うだけの関係。あれ楽だったな)



 しばらくして、陛下が聞いた。


「アカリ殿は、この先どうされたいか」

(この先?)


 少し考えた。

 この先。言われてみれば、考えたことがなかった。目の前のことで十分楽しいので、先のことを考える必要がなかった。


 でも、聞かれたから答えよう。


「そうね。本が読めて、お茶が飲めて、池があれば十分よ」

(本当にそれで十分だし。書庫があって、お茶があって、池で自分の顔が見られれば、他に何がいる?)


 陛下が笑った。声を出して笑った。珍しいな、と思った。


「それだけか」

「それだけよ。欲張りすぎると、ままならなくなるもの」

(ホットケーキの件で学んだ。欲しいものが全部手に入るわけじゃない。でも今あるもので十分幸せ。あの青い実の焼き菓子がそれを教えてくれた)

「では、本と茶と池は、わたしが保証しよう」

「あら。ありがとう」

(太っ腹な上司〜。前世の会社にこういう人がいたら仕事楽しかっただろうな〜)


 陛下はもう一つ菓子を食べて、「うまかった」と言って帰っていった。


「また来てもよいかな」

「いつでもどうぞ。お茶は用意しておくわ」

(本当にいつでも来ていい。この人がいると、何も言わなくていいから楽だ)



 陛下が帰ったあと、エルが廊下に出て誰かと話している声がした。大臣たちが何か騒いでいた。


(何を騒いでいるんだろう。お茶を飲んだだけなのに)


 まあいいか。この宮廷の人たちは、何をしても大騒ぎする。お茶を飲んだだけでも何かの意味を見出すのだろう。


 鏡の前に立った。


(今日は冬の光が低い角度で入ってきて、いい感じだったな。陛下がいるときにちょうどあの光が黒髪に当たってたはず。なかなかの絵面だったと思う)


 エルが戻ってきた。


「見黒様。大臣方が、本日のお話の意味を……」

「意味?」

「はい。『お茶が飲めれば十分』というお言葉について、色々と……」

「お茶が飲めれば十分は、お茶が飲めれば十分よ。他に意味があるかしら」

「……かしこまりました」


 エルが退出した。何か書き始める気配がした。日誌だろう。


(「本日、見黒様と陛下がお茶を共にされた。見黒様はお茶が飲めれば十分だと仰せられた」。たぶんそんなことを書いてるんだろうな。合ってるけど、本当に別にそれ以上の意味はないのよ)


 本を開いた。恋愛譚の最新刊だった。

 読み始めたら、主人公が王様とお茶を飲む場面があった。


(……タイムリーだな。でもこの恋愛譚と違って、わたしと陛下はそういうのじゃないわよ。あの人は一緒にいて楽なお茶飲み友達。前世で言うところの、図書館の隣の席の人)


 ページをめくった。悪くない一日だった。

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