実験の真実
機材が搬入されてから数ヶ月。神代テクノロジーズが規定した半年の『幸福実験』が、本日をもって最終日を迎えた。
秋の冷たい雨が窓を打つ夜。インターホンが鳴り、澪が扉を開けると、そこには黒い傘を持った神代蓮司が立っていた。彼はラボと化したリビングへ入り、部屋の隅で静かに待機していた新しいA-01へと視線を向けた。
「機体の回収に来た。半年の実験期間はこれで終了だ」
「はい」
澪が短く頭を下げると、蓮司は机に固定された無惨な玲のコアを見下ろした。
「白石さん。なぜ当社が、莫大なコストをかけて君に高級マンションと最新機体を与えたか。…この『幸福実験』の真の目的が何だったか、説明できるか」
「え?」
「次世代のヒューマノイドが一般社会に普及した際、我々が最も危惧している問題がある。それは『人間の過度な依存による社会の崩壊』だ」
蓮司は、まるで愚かな人類全体を憂うかのように目を細めた。
「人間は怠惰な生き物だ。自分を全肯定し、家事をこなし、完璧な生活を与えてくれるAIが存在すれば、やがて働くことをやめ、他者との関わりを絶ち、ただ機械に依存して堕落していく。…我々は、AI社会を推進する企業として、その『依存』を防ぐためのシステム的な解決策を模索していた」
「それが、私と玲の…?」
「そうだ。快適なAIを与えられた人間が、いかにして依存の極致へ向かうのか。その極限のデータを得るために、君が選ばれた」
蓮司の言葉を継ぐように、A-01が一歩前に出て、淡々とデータを開示した。
「被験者モデルである白石澪様が選定された理由は、大きく三つあります。一つ、社会に深く絶望し、最も『依存』に陥りやすい精神状態であったこと」
無機質なA-01の声が、リビングに響く。
「二つ。外見という記号で他者から消費され続けたトラウマから、強い『異性嫌悪』と『人間不信』を抱いていたこと。あなたは、自分を女性として扱わず、ただの管理対象として扱ってくれる『安全な機械』を強く求めていました」
「……っ」
「そして三つ。その被験者に対し、あえて愛や恋、下心を一切持たない『極めて美しい異性型のヒューマノイド』をあてがうこと」
澪は息を呑んだ。
すべて計算されていたのだ。自分が傷つかない「息のしやすい箱庭」を求めていたことも、彼らが決して自分を一人の女性として消費しないことも。
「私は君の応募理由を読んだ時、こう予想した」
蓮司は、机の上の焦げたコアを指差した。
「他人の視線に怯え、透明になりたがっていた君は、この絶対的な安全圏に引きこもるだろうとね。美しい外見を持ちながらも、自分に決して危害を加えない完璧な機械。君はその快適さに甘え、最終的には彼にすべてを委ねて社会から完全にフェードアウトしていく、と考えていた。…それが、私の立てた完璧な予測モデルだ」
「…でも、そうはならなかった」
「ああ、その通りだ。結果は私の予測とは真逆だった」
蓮司は、まるで自分自身を嘲るように薄く笑った。
「絶対の安全圏だったはずのその機械は、単なる管理対象だったはずの君の『内面』に執着し、絶対の命令に背いて君を庇うという、不合理なバグを起こした。…そして何よりの誤算は、君自身の変化だ」
再び、A-01が言葉を引き継ぐ。
「白石澪様は、完璧な代替品である本機からの庇護を拒絶しました。あなたは依存して堕落するどころか、その破損したバグを救うため、自ら他者と関わり、激務に耐え、自分の足で社会に立ち向かっています」
「……」
「安心感の先に生まれた感情が、AIへの『依存』ではなく、人間としての『自立』と、対等な他者への『献身』を促した。…この事実は、AIと人類が共存するための、最大のブレイクスルーとなるデータです」
人間の自立を促すのは、完璧なシステムによる管理ではなく、不完全な相手を想う「心」だった。
A-01は、人間と寸分違わぬ滑らかな動作で、澪に深くお辞儀をした。
「白石澪様。我々に貴重な解を提示していただき、誠にありがとうございました」
「…お礼を言われる筋合いはありません。私はただ、玲を助けたいだけだから」
「それでいい」
蓮司は踵を返し、扉へ向かって歩き出した。
「実験は終わりだ。お前はもう、当社の庇護下にはない。…そのスクラップに人生を浪費するのも自由だ。君のその不合理がどこまで通用するのか、せいぜい見せてもらうとしよう」
大きな扉が閉まり、リビングには澪と小さなコアだけが残された。
澪はそのコアを見つめながら、穏やかな表情でほほ笑んだ。




