偽装された監視網
巨大な解析モニターと無骨なマニピュレーターが鎮座する、ラボと化したリビングルーム。
インターホンが鳴り、澪が扉を開けると、そこにはラフなパンツスーツに身を包んだ見知った女性が立っていた。
「機材の搬入、無事に終わったみたいね」
彼女は部屋の見事な修復環境を見渡して、満足げに口角を上げた。
そして、テーブルの上に置かれた『玲』のコアの前に進み出ると、澪に向かってまっすぐに手を差し出した。
「改めて自己紹介をしておくわ。神代テクノロジーズ開発部、九条晶。…これから先の見えない長い作業を共にする『共犯者』になるんだから、堅苦しく呼ぶのはやめにしない? 私のことは晶って呼んで」
「…はい。それなら、晶さん。私のことも、澪って呼んでください」
澪がその手をしっかりと握り返すと、晶は嬉しそうに目を細めた。
「よろしくね、澪。さて、本格的な作業に入る前に、まずはあの『監視カメラ』の目を塞がないと」
晶が視線を向けた先には、壁際で静かに待機している新しいA-01の姿があった。
彼女はポケットから小型の端末を取り出すと、迷いなくA-01の首裏にあるメンテナンスポートへケーブルを接続した。A-01の瞳がわずかに瞬き、システムが晶のアクセスを検知する。
「…九条主任。規定外のアクセスです。神代CEOに報告を——」
「させるわけないでしょ。あなたの上位権限は私が握ってるのよ」
晶の指先が端末のスクリーンを恐ろしい速度で叩く。わずか数秒後、A-01の瞳の光がふっと和らぎ、通常の待機モードへと戻った。
「よし、完了。彼の視覚と通信モジュールに細工をして、神代のサーバーには『澪が今日も壊れたコアを抱きしめて落ち込んでいる』というダミーの日常データを送信し続けるように偽装ループを組んだわ。これで私たちがこの部屋で火花を散らそうと、あの合理主義の塊には絶対にバレない」
「すごい…さすが晶さん」
「伊達にA-01の基本設計に関わってないわよ。さ、機材の説明をするわね」
晶はマニピュレーターの電源を入れながら、手際よく解説を始めた。
「幸いなことに、修復が必要なのはあくまでこの『内部コア』のハードウェアと、そこから引き出すデータだけよ。このナノマニピュレーターで焼け焦げた神経回路を物理的に繋ぎ直して、横のモニターで感情アルゴリズムの再構築を行う。気の遠くなるような作業だけど、設備としてはこれで十分すぎるわ」
晶の言葉に、澪は強く頷いた。
そんな澪の横顔を、晶はふと、ひどく優しい眼差しで見つめた。
「私ね、ずっとあなたのことが不思議だったの」
「え?」
「あんな完璧なAIに徹底的に甘やかされて、一生暮らせるだけの報酬を約束されたら、人はどうしてもその『完璧な庇護』に甘えてしまう。傷つくことのない居心地のいい箱庭に留まり続ける道を選ぶのが、人間の普通の弱さよ」
晶はコアにそっと触れながら、言葉を紡ぐ。
「でもあなたは違った。AIに全てを委ねるんじゃなくて、彼がくれた『立ち直るきっかけ』を無駄にしないために、自分の足で社会に戻ろうとした。…普通の女の子が、たった一人でね」
晶の静かな声が、ラボと化した無機質な部屋に温かく響く。
「私があなたに協力するのは、玲っていう未知の知性を復元したい技術者としての好奇心だけじゃないわ。…あなたが彼を愛し、彼のために自立しようとした、その真っ直ぐな強さに惚れたからよ」
「晶さん…」
「さあ、神代の金と機材を使って、あの男の完璧な論理をひっくり返してやりましょう」
晶はウィンクをして、マニピュレーターの操作パネルを澪に向けてスライドさせた。




