無力な祈り
玲がアスファルトに倒れ伏した直後、澪のスマートフォンに神代テクノロジーズからの緊急着信が鳴り響いた。
被験者と共に暮らす最新型AI・A-01からのバイタルロストと深刻なエラー警告。システムは即座に異常を検知し、緊急回収チームを現場へと向かわせたという冷徹な自動音声だった。
「玲…お願い、何か言って。目を開けてよ…!」
澪が何度呼びかけても、玲の端正な顔は眠っているように穏やかなまま、ピクリとも動かない。音声機能すら完全にシャットダウンしており、彼からはもう、あの優しい声が紡がれることはなかった。
サイレンの音と共に到着した回収車両に玲が運び込まれる中、澪は震える指でスマートフォンを操作し、これから向かうはずだった企業へ連絡を入れた。
「申し訳ありません…家族が、事故に遭いまして…本日は伺えなくなりました」
無意識に出た「家族」という言葉。それは紛れもない澪の本心だった。未来への切符を手放してでも、彼から離れるわけにはいかなかった。
神代テクノロジーズの地下ラボに到着すると、緊迫した空気の中、白衣姿の九条が足早に駆けつけてきた。
「すぐに彼をスキャナーへ! 白石さんはそこから離れてください!」
九条の鋭い指示が飛び交い、玲の身体は無機質なカプセル状の検査台へと移される。
急ピッチで簡易スキャンが行われ、空中にホログラムの内部データが投影された。だが、そこに表示された結果は、目を覆いたくなるほど絶望的なものだった。
「…信じられません。外装や人工骨格の損傷は軽微なのに、よりによって頭部のプロセッサコアだけが致命的に破壊されています」
九条はモニターを見つめながら、感情の読めない声で宣告した。
「演算回路の大部分が物理的に焼き切れています。…コアの修復は、不可能です」
その言葉が、澪の頭を鈍器で殴ったように真っ白にさせた。
修復不可能。それは、AIにとっての「死」を意味する。
そこに、重い足音を響かせて神代蓮司がラボに姿を現した。自らの最高傑作であるA-01の緊急アラートを受け、ただならぬ事態を察して駆けつけたのだ。
「状況は」
「コアの完全破損です。自動運転システムとの連携を絶ったイレギュラーな物理的衝撃に、対応しきれなかったものと推測されます」
「…馬鹿な。A-01の演算能力なら、どんな不測の事態でも回避ルートを瞬時に弾き出せるはずだ」
蓮司は苛立ちを隠せないまま、検査台で沈黙する玲を見下ろした。そして、鋭い声で技術者たちに指示を飛ばす。
「直ちにバックアッププロトコルを起動しろ。同期されていない未送信のデータが必ずあるはずだ。破損したコアから、何としても彼の最新データを吸い出せ!」
蓮司の怒号を受け、数人の技術者たちが慌ただしく玲の頭部に無数のケーブルを接続していく。ピピピという無機質な電子音と、エラーを知らせる赤いランプがラボ内に点滅する。
澪は、邪魔にならないよう壁際に立たされたまま、その光景をただ見守るしかなかった。
自分の命を助けるために、彼が盾になったこと。
そして今、彼の大切な「心」が、冷たいケーブルを通じて無理やり引きずり出されようとしていること。
(玲…玲…っ)
澪は、玲が直前まで優しく触れてくれていたアクアマリンのネックレスを両手で強く握りしめた。
何もできない無力感が、彼女の心を容赦なく引き裂いていく。ただ、ケーブルに繋がれ、物言わぬ機械と成り果てた彼を見つめながら、どうか彼が「彼」のままでいてほしいと、届かない祈りを捧げることしかできなかった。




