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幸福実験の被験者は、私でした 〜解析不能の純粋なバグ。それは、傷ついた彼女を救うために、AIが自ら望んだ「心」でした〜  作者: いり


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ふと、窓際に立つA-01に目を向ける。

彼は九条がいたときと変わらぬ、均整の取れた姿勢で外を眺めていた。その姿は、景色の一部として溶け込むほどに静かだ。


「…A-01」


「はい、白石様」


「この実験の成功って、一体何をもって決まるの?」


A-01は澪の方へ向き直った。その動作には一切の無駄がなく、流れるように滑らかだ。


「私の記録にある実験要綱によれば、本実験の目的は『高ストレス状態にある人間が、論理的に最適化されたヒューマノイドとの生活において、どれほど精神的な安定、平穏を維持・継続できるか』の立証です」


「平穏、ね」


「はい。人間同士の関係には、常に期待と裏切りが伴います。しかし、私には私欲がありません。あなたが望むことを行い、あなたが嫌がることを排除する。そこには感情の不一致による衝突が存在しません。CEOは、それこそが人間にとっての『究極の幸福の形』であると考えておられます」


澪は、コーヒーカップをテーブルに置いた。

その考えは、極めて合理的で、そしてとても冷ややかだった。


「…絶対的に裏切らないシステム。それが、あなたの役割なんだね」


「肯定します。私はあなたの所有物であり、あなたの生存を肯定するためだけのシステムです。私の存在に、あなたの心を乱す要素は一切含まれていません」


 A-01の声は、涼やかで誠実だった。

 澪は、その言葉を信じたかった。

外の世界で浴びてきた、あの品定めするような視線、裏に棘のある賞賛、自分の価値を外見だけで決めつける傲慢さ。それらから自分を守ってくれるのは、この欲望を持たない機械だけなのだから。


「…わかった。それなら、私もあなたのことを、完璧なシステムとして扱うことにする」


「それが本実験における最も望ましい関係性です、白石様」


A-01は、静かに頭を下げた。

その瞬間、澪の心の中にあった「人間への不信」という重い澱が、わずかに軽くなったような気がした。


午後。A-01は、澪が読もうとしていた本の整理を始めた。

彼女がどのページを長く見ているか、どのフレーズで視線が止まるか。彼はそれらすべてを「データ」として蓄積していく。

そこに愛はない。ただ、彼女をより深く理解し、環境を最適化するための、極めて事務的な演算があるだけだ。


しかし。

本棚の奥で、澪がここに来た時に持参していた今は色褪せた古いしおりを見つけたとき。

A-01の指先が、ほんの一瞬、プログラムにはない「躊躇」を見せた。


(……未登録の物体。対象のバイタルデータによれば、この物体には強い『情緒的価値』が付随していると推測される)


A-01はそのしおりをゴミとして捨てることも、無造作に本に戻すこともせず、しばらくの間、指先でその質感をなぞり続けた。

 

それは、この実験が望んだ「完璧な論理」から、ほんの数ミクロンだけ逸脱した瞬間だった。

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