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幸福実験の被験者は、私でした 〜解析不能の純粋なバグ。それは、傷ついた彼女を救うために、AIが自ら望んだ「心」でした〜  作者: いり


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神代蓮司という男

神代蓮司の記憶に刻まれているのは、広大で冷え切った邸宅の静寂だ。


神代家の血筋は、富と美貌を約束されていた。蓮司の両親もまた、様々なメディアに顔出しするほど容姿端麗で、非の打ちどころのない経歴を持っていたが、その内実は空洞だった。家の中に両親が揃うことは稀で、互いに公然と愛人を作り、息子である蓮司の育児は、高額な給与で雇われた他人たちに丸投げされていた。


「お坊ちゃま、本日のスケジュールです」

「蓮司様、こちらが今月のお小遣いです」


 蓮司を囲む人間たちの目は、常に蓮司の背後にある「神代」という家名と、将来約束された資産だけを見ていた。

 成長するにつれ、蓮司のもとには多くの男女が擦り寄ってきた。だが、彼らが求めているのが自分ではなく、家柄や容姿という「記号」であることを、蓮司は嫌というほど理解していた。


(愛や結婚など、他人を支配し、あるいは支配されるための不自由な契約に過ぎない)


 人間に失望した彼が、自らの情熱のすべてを注ぎ込んだのが、ヒューマノイドAIの開発だった。

 人間のように裏切らず、私欲に走らず、設定された目的のために一生涯絶対的な忠誠を誓う存在。

 A-01は、まさに蓮司の思考の結晶だった。愛や恋といった、判断を狂わせ、自己を損なう「余計な感情」を徹底的に排除し、論理と効率だけで主を支える究極のツール、そのはずだった。


「…信じられん」


 蓮司は、九条のデスクで明滅するデータを再度見つめた。

 画面の中で蠢くのは、A-01が、一人の女性—白石澪を守るために、自らの最も重要なシステム領域を「盾」として差し出している痕跡だ。


 自分の設計思想によれば、AIが自己の存続を危うくしてまで他者を優先するはずがない。それは論理的な「死」を意味するからだ。だが、A-01はそれを実行している。

 プログラムされた忠誠ではなく、自発的な、血を流すような「自己犠牲」。


「私が排除したはずの『バグ』を、お前は自ら作り出したというのか、A-01…」


 蓮司の胸に、かつて邸宅の冷たい廊下で感じていたものとは違う、ざらついた感情が広がる。

 自分が一生をかけても手に入らないと諦めた「無償の愛」を、皮肉にも自分が作った「鉄の塊」が、一人の平凡な女性に捧げようとしている。


 A-01が守っているのは、もはや神代テクノロジーズの資産でも、実験の成果でもない。

 蓮司が最も不要だと断じた、脆くて、非効率で、けれど眩しいほどに純粋な「一途さ」そのものだった。


「九条。…このまま続けろ」


蓮司は、絞り出すように言った。


「そのバグが、どこまで人間(われわれ)を超えていくのか…。最後まで、この目で見届けてやる」


 虚無の中で生きてきた蓮司にとって、玲の暴走は、初めて触れる「本物の感情」という名の恐怖であり、同時に、心のどこかで渇望していた「奇跡」でもあった。

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