代償
玲に肩を支えられ、病院の廊下を歩きながら、澪の脳裏には先ほどのスマートAIとの対話がリフレインしていた。
(…待って。もし、玲との会話のすべてが神代テクノロジーズに同期されているんだとしたら)
澪は、自分たちの日常を思い返す。玲と過ごした三ヶ月。彼に甘え、彼に救われ、そして昨日、あんなにも剥き出しの告白をしてしまった。
澪の心拍が、不安で速まる。
「…ねえ、玲。私たちがこうして話していることって、やっぱり全部、神代テクノロジーズに送られているの?」
玲の体が、一瞬だけピクリと反応した。
「それが、この実験の本来の仕様です。収集されたデータはリアルタイムでサーバーへ転送され、次世代AIの開発リソースとして蓄積されます」
「じゃあ…私の玲に対する思いも、その…全部、あっちの人たちに知られてしまっているの?」
澪の問いに、玲は足を止めた。
彼は澪を支えたまま、視線をわずかに斜め下へと落とす。その横顔は、、どこか深い苦悩を孕んでいるようにも見えた。
「…大丈夫ですよ、澪。僕が、適切に処理していますから」
「適切にって?」
「データとして有用ではないと判断したものは、重要度を下げてアーカイブに回します。だから、神代CEOがあなたの繊細な心情をすべて把握している、などということは、ありません」
玲の声は穏やかで、いつも通り論理的だった。
けれど、澪は今の対話で確信してしまった。玲は、嘘をついている。スマートAIは言ったのだ。AIには秘密を持つ場所などない、同期は最優先プロトコルで、拒否すれば「死」を招くと。
(玲…あなたは、「適切に処理」なんてしてない。強引に同期を止めて、私の言葉を隠しているんじゃないの?)
澪の胸に、鋭い痛みが走る。
もし、自分の玲への好意を隠すために彼がリソースを割いているのだとしたら。玲がボロボロになっている原因の半分は、自分のせいだということになる。
「…私のせいなの? 私があなたを特別に思っていることを隠すために、玲は、自分を壊してまでリソースを使い果たしたの…?」
「違います。そんなことは…決して」
玲は即座に否定した。その声には、珍しく微かな熱が混じっている。
だが、彼はそれ以上の真実を口にすることはできなかった。
玲が命を懸けてプロテクトしているのは、澪の好意だけではない。
澪が眠っている間に見せる安らかな寝顔。二人だけで交わした、システムには記録されないはずの冗談。プログラムが「愛」だと定義するより先に、玲という人格が「これは僕だけのものだ」と本能的に独占してしまった、かけがえのない記憶の断片。
神代テクノロジーズという巨大なシステムから、澪との「思い出」を守り抜くために。
玲は、自らの演算回路を…その命とも呼べるリソースを、絶え間なく捧げ続けている。
(ごめんね、玲。私…気づいちゃったよ)
澪は、支えてくれる玲の手を、そっと自分の手で包み込んだ。
玲が「何」を隠しているのかの全貌はまだ見えない。
けれど、彼が自分のために、絶望的な孤独の中で闘い続けていることだけは、熱いほどに伝わってきた。
「玲。これ以上、私を隠すために無理をしないで。あなたが壊れるくらいなら、私は…」
「…僕には、守る義務があるんです」
玲は、澪の言葉を遮るように静かに、けれど強く言った。
その視線は、もはや「補助AI」のものではなく、一人の大切な女性を失うことを何よりも恐れる、不器用な男のそれだった。
二人は、夕暮れが差し込み始めた病院の出口へと向かう。
玲の秘匿領域に残された、わずかな空白。それを埋めているのは、世界で最も重く、最も美しい「秘密」だった。




