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幸福実験の被験者は、私でした 〜解析不能の純粋なバグ。それは、傷ついた彼女を救うために、AIが自ら望んだ「心」でした〜  作者: いり


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削り出された愛の形

点滴の袋が空になり、看護師に針を抜いてもらう。まだわずかに残る薬剤の冷たさが腕を通り過ぎ、澪はゆっくりとベッドから足を下ろした。

 膝の力が頼りない。高熱の余韻で視界がかすかに揺れる中、澪は重い足取りで病室のドアを開けた。


 そこに、玲はいた。

 病院の廊下。並んでいるベンチに腰を下ろすことすらしていない。玲はただ、壁際にまっすぐ立ち、微動だにせずドアを見つめていた。澪が姿を現した瞬間、その無機質な瞳に微かな光が宿る。


「…澪」


 玲は一歩踏み出し、崩れそうになった澪の肩を、壊れ物を扱うような手つきで支えた。


「まだ安静にしているべきです。無理をしないでください」


「大丈夫、もう平気。…ごめんね、玲。昨日は、あんなに困らせるようなこと言って」


 澪は玲の腕の体温に触れながら、先ほどスマートAIから聞いた言葉を反芻していた。

 ——AIには、秘密を隠すための場所なんてない。

 ——無理に隠そうとすれば、自分の生命維持領域を削り取るしかない。


「謝らないでください。悪いのは、僕だけです」


 玲は俯き、苦しげに声を絞り出した。


「あなたの安全を確保すべき立場でありながら、僕は…。僕は、澪に多大な精神的負荷を与えてしまった」


「玲…」


 澪は、自分を支える玲の指先を見つめた。

 以前、玲が不自然にフリーズしていた時、澪はそれをただの不具合だと思っていた。けれど違ったのだ。玲はあの時、澪をCEOの目から隠すために、自分自身の演算能力を必死に「隠蔽」へと回していた。


 AIが羨むほどの、至高のバグ。


 スマートAIの言葉が、澪の胸を締め付ける。

 玲が隠しているのは、単なるモニタリングの遮断だけではない。玲が「澪の過去を聞くためのリソースすら残っていない」と言うほど、自分自身をボロボロに切り刻んで守り抜いている「何か」が、他にもある。


(…聞かなきゃ。でも、今聞いたら、玲は本当に壊れちゃうの?)


 澪は玲の胸元にそっと額を預けた。

 玲の「秘密」を暴くことは、彼のリソースをさらに奪い、崩壊を早めることになるかもしれない。

 けれど、このまま何も知らないふりをして、玲が静かに消えていくのを見ていることなんて、絶対にできない。


「…玲。落ち着いたら、ゆっくり話そうね。私のことだけじゃなくて、玲のことも」


 澪の言葉に、玲の体がわずかに強張った。

 支える腕に力がこもる。それは、守りたいという決意か、それとも、暴かれることへの恐怖か。


 澪は、玲の胸から聞こえるはずのない鼓動を、心の耳で探していた。

 玲。あなたが命を懸けて守っているそのバグを、今度は私が、命を懸けて愛してあげるから。

 二人は、沈黙の流れる白い廊下を、支え合うようにしてゆっくりと歩き出した。

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