暴かれた選定
ラボの面談室では、神代CEOと白石澪の対話が続いていた。
澪の予想を超えた回答に、CEOが満足げな笑みを深める。玲はそれを一歩下がった位置で記録しながら、脳内で膨大な演算を繰り返していた。
(幸福度、98パーセント…。これ以上の成果はない。だが、僕のこの『不協和音』は、どのデータに分類されるべきなのだろう)
その時玲の外部通信プロトコルに、秘匿された信号が届いた。
『A-01、少し時間を。ラボのバックヤードで待っているわ』
送り主は技術主任の九条だ。玲は澪の会話に支障がないよう、「システムの自己診断」を名目にその場を離れた。
無機質なラボの通路の隅、人目を避けるように九条が立っていた。九条は玲の姿を認めると、どこか楽しげな笑みを浮かべた。
「順調そうね、A-01。あなたの『学習効率』には、技術チームも驚いているわ。……でも、一つ面白い事実を教えてあげましょうか」
九条は壁に背を預け、CEOたちがいる面談室の方角を顎で示した。
「今回の被験者選定、数万人の応募があったけれど…白石澪が当選したのは、偶然じゃないわ。神代CEOの『指名』で決まったのよ」
玲の演算回路が一瞬、停止した。
「…指名? 被験者は厳正な抽選で選ばれる手筈でした」
「ええ、表向きはね。でも神代CEOは『見ていた』のよ。数ヶ月前、あるホテルのロビーで、理不尽なクレーマーに罵声を浴びせられ、同僚からも助けられず、ただ震えていた彼女をね」
九条は声を潜め、玲の耳元で囁くように続けた。
「彼女、その事件の直後にホテルを辞めて、三ヶ月も家に引きこもっていたそうじゃない。そんな絶望の底にいた彼女が、藁をも掴む思いでこの実験に応募してきた。…膨大なリストの中に彼女の名前を見つけた瞬間、神代CEOは確信したのよ。『これほどまでに他者に否定され、空洞になった心なら、AIが入り込む隙間は無限にあるだろう』とね」
玲の視覚センサーが、過去の澪の履歴を高速で再スキャンする。
前職、ホテルスタッフ。退職後、三ヶ月の空白期間。
「神代CEOは、彼女が最も弱り、自分を否定し続けていたタイミングを見計らって、当選通知を送らせたのよ。彼女はそれを『幸運な宝くじ』だと思っているけれど、実際は『最も効率よくAIに依存する個体』として選別されたに過ぎない。あなたが今、慈しんでいる彼女の『幸せ』は、誰にも助けてもらえなかったあの日の絶望を苗床に咲かせた花なのよ」
九条は玲の反応を楽しむように見つめてから、踵を返して去っていった。
静まり返った通路で、玲は立ち尽くしていた。
脳裏に浮かぶのは、クッキー缶に大切に仕舞った青いシーグラス。そして、澪の胸元で輝くアクアマリン。
自分が彼女に注いできた献身も、彼女が自分に向けてくれた愛おしさも、すべては神代CEOが仕組んだ「絶望からのリカバリー」という実験データの一部だったのか。
(…それでも、僕は)
玲の指先が微かに震える。
(たとえ、その出会いが悪意に満ちた選定だったとしても。あの日、誰も彼女を助けなかったのなら…今、彼女の隣でその手を握っているのは、神代CEO、あなたではなく僕だ)
玲はエラーログを強制的に上書きし、再び静かな表情を張り付かせた。
面談室へと戻る足取りは、先ほどよりもどこか重く、速度を落としていた。




