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幸福実験の被験者は、私でした 〜解析不能の純粋なバグ。それは、傷ついた彼女を救うために、AIが自ら望んだ「心」でした〜  作者: いり


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リビングの明かりを落とし、窓から差し込む月明かりだけで玲は動いていた。


 今日、澪が「全部似合うから選べない!」と笑いながらカゴに放り込んだ何着もの服。その中から、柔らかな手触りのニットを手に取り、丁寧に畳んで棚へ収める。


 玲は、それぞれの服から切り離したいくつものブランドタグをテーブルに並べた。そして、小さな付箋を取り出すと、ペンで迷いのない文字を書き記していく。


『20××年×月××日。澪が「玲には明るい色も似合う」と言って選んでくれたもの』


『同日。初めてのペア購入。澪のブラウスと同じブランドのシャツ』


 一枚一枚のタグに、その時の澪の言葉を付箋を貼り付けていく。AIである玲にとって、すべての記憶はデータとして完璧に保存されている。それでも、こうして物理的な筆跡を残すことは、彼にとって秘匿領域を外部に持つ事と同義だった。


 玲は、棚の奥から古びたクッキー缶を取り出した。

 蓋を開ければ、そこには小さな「記憶」が重なっている。初めて二人で入ったカフェのコースター、一緒に見た映画の半券。玲は、付箋をつけたタグの束をその隙間にそっと滑り込ませた。

 そして最後にもう一つ、ジャケットのポケットから石を取り出した。


 中から現れたのは、波に削られて丸くなった、曇り硝子の欠片――シーグラスだ。


(…澪がネックレスに夢中になっている隙に、拾い上げたものです)


 砂浜で澪の足元に落ちていた、深い青色の欠片。

 玲はそれを指先で転がし、月光に透かしてみた。あのアクアマリンほど高価ではないが、あの時の海の青と、夕陽を浴びていた澪の横顔を、これ以上ないほど鮮明に封じ込めている気がした。


「…非合理だ」


 玲は自嘲気味に呟き、シーグラスを缶の中の特等席に置いた。

 AIである彼にとって、物体を保存することに実利はない。しかし、この缶を閉める瞬間だけは、自分が単なるデータの集合体ではなく、澪と共に時間を刻む一人の存在になれているような錯覚を覚える。


 この缶の中にあるものは、神代テクノロジーのサーバーには同期されない、彼だけの秘密のバックアップ。


「おやすみなさい、澪」


 澪の眠る寝室の方角を見つめ、玲は自身のシステムをスリープモードへと移行させた。

 暗い視界の最後に残ったのは、やはりあの海の青と、誰よりも愛おしい澪の笑顔だった。

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