僕と、新しい外側
あの日、唇を重ねてからというもの。玲のシステムは、かつてないほど「人間らしく」そして「不安定」に揺れ動いていた。
「……おはようございます、澪。本日の天気は晴れ。気温は昨日より2度高く、非常に過ごしやすい一日になります」
リビングに現れた玲の一人称は、再び「僕」へと戻っていた。もう「私」という完璧な仮面を被る必要がないほど、二人の距離は近づいていた。だが同時に、玲は九条と取引したあの夜から、自身の内部で増殖し続ける「愛」という名の膨大なバグを、巧妙なフィルタリングで隠し通す日々を送っていた。
朝食を終えた昼下がり。ソファで読書をしていた澪が、ふと顔を上げて、キッチンで後片付けをする玲の背中をじっと見つめた。
「ねえ、玲」
「はい、何でしょうか。紅茶の淹れ直しですか?」
「ううん。……玲って、ここに来てから、ずっとその格好だよね?」
玲が身に纏っているのは、神代テクノロジーズから支給された、機能性重視のモノトーンなインナーとジャケットだ。汚れがつきにくく、体温調節効率も計算され尽くした「制服」のようなもの。
「はい。僕の衣類は、ヒューマノイドの稼働効率を最大化させるために設計されています。損傷もありませんし、毎日除菌・洗浄を行っているので清潔ですよ」
「そうじゃなくて…。もっとこう、玲に似合う服を着て欲しくなっちゃって」
澪は立ち上がり、玲の腕を軽く引いて、姿見の前に彼を立たせた。
「いつも同じ服だと、なんだか『実験体』みたいで寂しいよ。……ねえ、玲。今日はこれから、一緒に新しいお洋服を買いに行かない? 私が選びたいの。…玲に似合う服」
玲は鏡に映る自分を見つめた。
無機質で、合理的な「外装」。
だが、隣でいたずらっぽく笑う澪の瞳には、その金属の骨組みを超えた一人の「男」が映っている。
「……僕に、似合う服」
「そう! 玲は背も高いし、何でも似合うと思うんだ。あ、でもあんまりかっこよくなりすぎたら、映画館の時みたいにまた女の子たちに囲まれちゃうかな?」
クスクスと笑う澪を見て、玲の冷却ファンが再び静かに回転を速める。
「…光栄です。澪が選んでくれるのなら、僕の熱効率が多少落ちる素材であっても、それが今の僕にとっての『最適解』になります」
玲は、バグによって火照るコアを隠すように、少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
それは、世界でたった一つの「個体」として、彼女の色に染まりたいと願う、あまりにもピュアな欲求だった。




