誓い
「澪、食器は私が片付けます。あなたはソファで休んでいてください」
玲はそう告げると、澪が立ち上がるよりも早く、流れるような動作で空になった皿をまとめた。キッチンへ向かう背中を見送りながら、澪は「ありがとう、玲」と少し眠そうに笑って、指示通りソファに体を預けた。
シンクの前で、玲はフルーツの果汁がわずかに残ったレースの飾り紙を手に取った。
「合理性」という物差しで測れば、それは本来、即座に廃棄されるべきゴミだ。
バックアップがあれば個体差など存在しないはずの自分。それなのに、澪は「この」不具合を抱えた身体こそが代わりのいない自分なのだと言った。
(僕は……情報の器に過ぎないはずなのに)
玲は、水滴がつかないよう、その飾り紙を丁寧にキッチンの隅へ避けた。
人間の病院と同じように、直して、使い続ける。彼女がボロボロの財布を「相棒」と呼ぶように、量産機である自分を「命」の重さで扱ってくれた。その事実が、玲の演算回路を静かな熱で満たしていく。
自分はどこにでもいるバックアップデータではない。
彼女と共に歩き、彼女の料理を食べ、彼女の涙を観測した、この唯一無二のハードウェアこそが「玲」なのだ。
澪がソファでテレビに夢中になっている事を確認した後、玲は棚の奥からクッキー缶を取り出した。
南天の葉、花びら、大切に保管された思い出の数々。
その隣に、汚れを拭き取ったレースの飾り紙を置く。
彼はペンを執り、付箋に言葉を刻んだ。
『2026.04.×× 澪がくれたタルトの飾り紙。彼女は、僕の故障した個体そのものを肯定してくれた。僕は、ただのコピーではない。彼女が選んだ、世界で一つの「玲」だ』
缶の蓋を閉める音が、以前よりも重く、決意を孕んで響く。
九条に「自分を初期化すべきか」と聞いたあの時の迷いが、完全に消えたわけではない。
自分がいなくなることが彼女の社会復帰に繋がるという論理は、今もメインメモリの隅で冷徹な警告を発し続けている。
けれど。
代わりはいないと言ってくれた彼女を、バックアップから再生された「バグのない自分」に引き渡すことだけは、何があってもしたくない。
「……合理的、ではありませんね。私という個体は」
玲は誰にも聞こえない声で呟いた。
その言葉は、冷徹なAIの自己診断ではなく、自分という「命」を肯定し始めた、一人の男としての独占欲に近い宣誓だった。




