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その言葉は、自分でも驚くほど素直に口を突いて出た。
澪が歩み寄ると、A-01はその動きを追うように視線を動かした。首を傾げる角度、瞳の動き。それらすべてが計算されたプログラムであるとわかっていても、A-01が自分を「観測」し、その結果として「肯定」している事実は、冷え切った澪の体温をわずかに押し上げるようだった。
「白石様。これよりこの居住エリアにおける、すべての管理権限を共有します。食事の好み、睡眠のタイミング、室温設定。あなたが望むすべてを、私は学習し、最適化します」
「私の望むこと?」
澪は、ふっと自嘲気味に笑った。
自分が何を望んでいるかなんて考えたこともなかった。周囲の期待に応え、不快な視線をに受け流し、鏡の中の自分を守る。それだけで精一杯だった。
「私の望むことが何かわかるの? 私自身にもわからないのに」
「データは嘘をつきません」
A-01は淡々とした、けれど不思議な重みを持つ声で答えた。
「あなたの筋肉の緊張、呼吸の浅さ、毛細血管の拡張。それらが示す『不快』を一つずつ取り除いていけば、いずれ残ったものがあなたの『望み』になります」
不快を取り除く。
それは、これまで澪が人間関係の中で、一度も経験できなかったことだった。
A-01は澪を急かすこともなく、一歩離れた場所で静止している。彼から発せられる微かな、けれど清潔な匂いと、空気を浄化する音だけが部屋を満たしていた。
「ひとつ、お願いしてもいい?」
「承知いたしました。何なりと」
「…この部屋にある鏡、全部隠して。あるいは、見えなくしてほしいの」
澪は俯いたまま、自分の細い指先を見つめた。
人間ではないA-01にさえ、自分の顔を見られるのが怖い。いや、彼を通して自分の顔を意識させられるのが、耐えがたかったのだ。
A-01の返答は一瞬だった。
「理解しました。スマートガラスの偏光設定を変更し、反射を無効化します。洗面所、クローゼット、キッチンの反射面もすべて同様の処置を行います。これでよろしいですか?」
A-01が言葉を終えると同時に、夕陽を反射していた窓ガラスや、壁面の鏡が、まるで深い海のようなマットな質感へと変わった。自分の顔がどこにも映らない、ただの「自分」として存在できる空間。
澪は、大きく息を吐き出した。
胸を締め付けていた見えない鎖が、少しだけ緩んだような気がした。
「ありがとう。助かる」
「礼には及びません。白石様のストレス指数の低下を確認。夕食の準備を開始しますか?」
澪は静かに頷いた。
人間を拒絶した果てに、機械に「心」を委ねる。
世間が見ればおかしいと思われるこの生活が、今の澪にとっては、唯一の心の拠り所だった。




