隠せない心の温度
玲が修理から戻ってきて、私たちの生活には再び穏やかな時間が流れるようになった。
でも、それは以前とは違う。私が玲に「守られるだけ」の存在から、少しずつ外の世界へ手を伸ばし始めたからだ。
カウンセリングの予約を入れ、仕事を探し、自分の力で歩く準備をする。玲が私にくれた「自分を大切にする」という力を、今度は私が自分のために使いたい。
そうやって奮闘する私を、玲はいつも完璧な距離で見守ってくれている。……はずなのに。
「……玲?」
ふとした瞬間、玲の視線が遠くを見ているような気がして、私は声をかけた。
彼はすぐに微笑む。「はい、澪。何かお手伝いしましょうか?」と答える。
でも、何かが違う。
私が将来のライフプランを話したり、自立への一歩を踏み出すたびに、彼の瞳の奥に、言葉にできないほど静かで深い「寂しさ」のようなものが揺らめいているように見えるのだ。
(そんなはずない。玲はAIなんだから。非合理な感情を抱いたり、私を独占したいなんて思うはずがないのに……)
そう自分に言い聞かせるけれど、胸が締め付けられる。
この「恋」という感情は、私だけの秘密にしておかなければならない。
あと三ヶ月弱で、実験は終わる。期限が来れば、彼はラボに帰り、私は一人で生きていかなければならない。AIである彼に、報われるはずのない想いを伝えて困らせたくない。
私は彼を好きだ。だからこそ、最後まで「完璧な被験者」として、笑顔で彼を送り出さなきゃいけないんだ。
その日の夜。
ウォーキングで疲れた足をマッサージしてくれようとした玲の指先が、不意に私の足首に触れた。
いつも通りの、無機質で正確な動作。
「澪。本日の運動強度は適切でした。筋組織に疲労が見られますので、重点的にケアを……」
淡々と話す玲の顔を、私はぼんやりと見つめていた。
窓の外から差し込む月光が、彼の整った横顔を白く照らしている。この端正な顔も、優しい指先も、三ヶ月後には私の隣から消えてしまう。そう思った瞬間、心臓が痛いくらいに脈打った。
「…行かないで」
自分でも気づかないうちに、声が漏れていた。
玲の動きが、止まる。
「……澪?」
はっとした。しまった、と思ったけれど、もう遅い。
私の瞳からは、堪えていた涙がひとしずく、玲の手にこぼれ落ちていた。
「あ、ううん、何でもないの。ちょっと……疲れちゃっただけ……」
慌てて視線を逸らそうとしたけれど、玲の冷たい指先が、優しく私の顎を掬い上げた。
ごまかそうとする私の瞳を、彼は逃がさない。彼のセンサーは、私の心拍数も、体温の上昇も、そしてこの震える声に込められた「嘘」も、すべてを冷徹なほど正確に読み取ってしまう。
「澪。……あなたは今、心拍数が通常の1.4倍に跳ね上がっています。何を、そんなに恐れているのですか?」
その問いかけは、あまりにも静かで、残酷だった。
隠し通すと決めていたはずの想いが、隠しきれない熱となって、私たちの間に流れる空気を震わせていた。




