第三章 ~少年の覚醒と、旅立ちの広い空~(一)
「まさか…こいつらも使役獣…」
信徒を捉えていたバラカが、薄気味悪そうな表情でハイエナたちを見回した。
「…お、おい…数が増えてないか?さっきまで5頭だったよな?」
「えっ。は、8頭…!? いつの間に増えたんだ!!?」
いつハイエナが近寄っていたのか!?村人たちが不安げに槍を構える。だが、ハイエナたちは襲ってくるでもなく、じわじわと包囲するかのように、一定の距離を保ちながらただじっと見つめているだけなのが余計に不気味だった。このハイエナたちは正しくはブチハイエナ。ハイエナの中では最大種で、獲物に集団で襲い掛かる印象から小さいイメージがあるかもしれないが、実際は体長は約1.6メートル。体重は80キロを超えるものもいる。
「ウーーーッ…グルルルル…」
レイラが身を低く構えて、低いうなり声をあげた。ハイエナたちをかなり警戒しているだけでなく緊張しているのがわかる。本来、豹は一対一ならハイエナにやられることはないが、集団で襲い掛かられるとなると話は別だ。特に肉食動物の中でもトップクラスに知能が高いと言われているハイエナは、チームプレイにおいて実に狡猾で、クランという大きな群れをつくりながら狩りにおいては70%以上の高い成功率を収める。
「レイラ、私のそばを離れないで」
守護獣としてクレアと繋がっているレイラは、通常以上の力を持ち、普通のハイエナ相手ならばたとえ集団であっても後れを取ることはない。だが、相手がバヤンガンならば条件は変ってくる。
緊迫した沈黙を破るように、地平から新たなシルエットが姿を現した。その数は三十を超え、中央には山のような巨体が揺れている。
「お、おい…30人はいるぞ…」
「…象だっ!!上に二人乗ってる!!」
象の背に立つ男女の胸元には、ズベリが持っていたものと同じ、忌まわしき金属ディスクがぶら下がっていた。つまりは、彼らは同時にバヤンガン使いであることを示している。一人は女。一人は男。女性の方は逆立ったアフロヘア―に、二本、結んだ髪を垂らして片目にかかっているのが特徴的で、男の方は、逞しい上半身に獣の皮を腰に巻いて、その手には、さきほどズベリの胸を貫いたものと同じような槍を握りしめている。
「ハイエナに、象…。使役獣使いが二人も…」
ルジナが重々しい声で呟いた。数ではこちらにも二人のホダム使いがいるが、植物を操るルジナにとって、数で翻弄するハイエナと、すべてを蹂躙する象は、最悪の相性と言えた。先ほどズベリの体を投げ槍で貫いたのはおそらく象使いの方であろう。クレアたちを匿っていたことも、黒の信徒たちに知られてしまった。
「村人たちよ!今や、同胞同士で傷つけあうことは避けられません。もし再び戦が始まったなら……まずは自分と、家族の命を守ることを最優先に戦いなさい!」
それは慈愛の長老ルジナにとっても苦渋の選択だった。できれば戦いは避けたいが、クレアの存在が明らかになってしまった以上、黒の信徒はこの村を「種族の裏切り者」として、情け容赦なく蹂躙するだろう。
「…クレア」
「ユウ!?」
気づけば、悠はクレアとレイラのすぐ傍らに立っていた。気配を消したまま、敵味方双方の虚を突くように合流したのだ。予想されるハイエナの集団攻撃に対し先手を打つべく、自らを盾となる位置に移動させたのである。
「いつものユウに戻ったみたいね。…この状況をどう思う?」
クレアと悠の距離でかろうじて聞こえるような密やかな声。象の大地を揺らす歩みがすぐそこまで迫っている今、その到着はもはや秒読みだった。
「僕たちが囮になりながらこの村から離れるしかないだろうね」
「そうね。私たちがここにいる以上…何度でも黒の信徒たちはこの村を襲ってくる。きっとルジナもそれはわかっているはずよ」
「でも、それはそれで残されたルジナたちが心配だ。どちらにしてもある程度は成り行きを見ながら、そのタイミングを判断するしかないんじゃないかな」
そして。ついにその時が訪れた。三十名の信徒を従え、巨象に乗った二人の男女が村の入り口へと降り立った。
「…ったく、ズベリの奴はしょうがねえなぁ。抜け駆けしといてこのざまとはな。…でもまさか、古の聖盤が壊されるとは思ってなかったぜ」
男はまるで、散歩に来て、天気の話でもするかのようなのんきな調子で言った。
「ホ~ント。『目』を使って見てたけど、ビ~ックリ!一体どうやったんだか、今でもわかんないわ!まあ、あの女を殺しちゃえば、もう聖盤を壊されることはないでしょうけど…ねえ?」
二人の幹部と目の前で対峙しながら、ルジナが朗々と告げた。
「歩みを止めよ、黒の信徒たちよ!すでに勝負は決した。その捕らえられた者たちを引き連れて、速やかに立ち去るがよい」
それは交渉であり、苦肉の駆け引きであった。この者たちが何もせず帰っていくことは考えられないが、ルジナ側はあくまで勝者として振る舞い、捕虜を無傷で返すと譲歩することで相手に体裁を保たせながら一旦退却してもらう。それがルジナの思惑だった。
「おいおい、俺たちはまだ来たばかりだぜえ?俺は象の使役獣使い、ムワンパ。こいつはラヤだ」
ムワンパと名乗る男は、象にまたがっているもう一人の女を指しながら言った。
「よろしく~。あ、そうそう、ルジナさん。『証人』をコッソリ匿ってた罪は重いわよぉ? ただで済むなんて思わない方がいい~んじゃない?。アハッ!」」
「あなたたち『黒の信徒』が古からの言い伝えを、どう解釈しようと結構です。ですが、その解釈が誤っていたとしたら?私たちは証人を『平和の使者』と解釈しています。動物たちですらむやみに他の命を奪ったりはしません。もし、私たちダナ族が至高の存在というなら、それは行動によって示すべきではないのですか?」
この絶望的な状況ではあっても、ルジナは堂々と道理を説き、真っすぐに問いかけた。その姿は、まさに彼女にこそ聖者という言葉がふさわしく思えた。
「あーあ。わかってないなあ。だからぁ~、解釈が正しいことを証明するために、証人を生贄に捧げるんでしょ?そこの白い肌の女!あんたホダム使いなんでしょ?私の可愛いハイエナちゃんたちと、勝負しようよ。大丈夫、体はハイエナちゃんたちが食べちゃっても、その醜いお顔だけは残して祭壇に飾ってあげるからさあ!」
ラヤが、ニタア~っと狂気じみた笑顔を浮かべてハイエナたちに号令を出そうとしたその瞬間、ルジナが決意を込めた目で叫んだ。
「守護精霊!!」
ルジナが象の使役獣に向かって両手を突き出した。地響きと共に噴き出した巨大な蔦が、巨象の四肢を絡め取り、ムワンパとラヤごと飲み込むように強固な緑の檻を編み上げていく。
「パォォォーッ!!!」
象が咆哮をあげながら抵抗しようと暴れるたびに、ギシギシと蔦が地面を揺らした。
「クレア!ユウ!…逃げるのです!!!」
その声はもはや長老の命令ではなく、一人の母親の、あるいは聖者の悲痛な祈りだった。
「ルジナ!」「でも、村のみんなは…!?」
二人の叫びが重なる。
(今、逃げなければ、村人はこの子たちを恨むことになるでしょう。……それだけは、絶対に避けなければなりません)
「村の者たちよ!!皆もこの村を離れるのです!!…グループに分かれ、手を取り合い、何としても逃げ伸びるのです!!」
ルジナによる、捨て身の先制攻撃。その展開は、悠の予想を遙かに超えていた。だが次の瞬間、悠は彼女の真意を悟り、戦慄した。
(まさか…そんな…!一番守らなければならない『王将』自らが盾となって、僕らを逃がそうとしているのか!?)
将棋はあらゆる駒を犠牲にしてでも、自分の「王将」を守るゲームだ。その王将が、自らの命を捨て石にして他の駒たちを守る!?そんな発想が悠に予測出来るわけがなかった。
「みんな、ルジナ様の言うとおりにするんだ!!絶対に生き延びてくれ!!!」
バラカが喉を枯らして叫び、村人を誘導する。誰よりもルジナを敬愛する彼だからこそ、その身を案じる心に蓋をし、彼女の命じた「撤退」を完遂する道を選んだ。それが、若きリーダーの覚悟だった。
「くっ……!」
ルジナはもはや防御を捨てていた。ひたすらに植物を呼び出し、信徒やハイエナを足止めせんと操り続けている。だが、狡猾なハイエナたちは集団で蔦を食い破り、ムワンパもまた怪力で檻を引きちぎってラヤを救い出した。
「さすが、サバンナにその名が鳴り響いた、ホダム使いのことはあるぜ…すげえパワーだ」
「ムワンパ、なに敵を褒めてんだよ!…チイッ、あんな偉そうな御託を並べておいて、ずいぶんと卑怯な真似してくれるじゃないか。お前たち、ルジナのやつをやっちまいな!!」
ラヤの罵声を聞き、ルジナの唇がわずかに…誰にも気づかれぬほど微かに綻んだ。 悠たちを囮にするのではない。自分自身が「最大の標的」となり、すべての憎悪と牙をこの身に引き受ける。それが、彼女が長老として…母親として、愛する者たちを守り抜くための最後の策だった。
(なにか…何か手はないのか!?…ルジナ!!!)
ハイエナたちの視線がルジナに向いた瞬間、レイラが悠の服を咥え、強引に走り出した。
「走るのよ、ユウ!ルジナの想いを無駄にしないで!!」」
今の悠は、ただの無力な少年だった。クレアに促され、引きずられるように地を蹴る。
後ろを振り返ると、黒の信徒たちを捕縛して抑えようと伸びていた蔦は、今や、ハイエナたちをルジナ自身へと導く『死の道標』になっていた。敵を捕らえるだけで最後まで傷つけまいとする聖者の慈愛は、狂徒たちには届かない。ハイエナの群れが、彼女に襲い掛かっていく姿が目に映った。
「ルジナーーーッ!!!!」
「ウオオオオオオオオォォォーーーーーーンン」
悠の絶叫と重なるように、大気を震わせるような咆哮が響き渡った。
それは、聞くものに孤高の誇りと気高さを感じさせるような、オオカミの遠吠えだった。




