第二章 ~迫りくる狂信者の影と、古の聖盤~(三)
「ユウ、レイラを頼みます! 村の守りは私に!」
ルジナが悠に向かって叫んだ。弓を構えた村人たちは、下手に打てばレイラの邪魔になるばかりか傷つけてしまいそうで、射るに射れないでいる。
「グァーーッ、グルル!!」
まだ獲物の息を止めてはいない。レイラはヌーに噛み付いたまま、目の前には黒の信徒たちの槍が迫っていた。次の瞬間、悠が一人の戦士の腕をつかんだと思うと、近くにいた三人の信徒たちをまとめて巻き込むように、地面に叩きつけた。
「!!!?」
「うわわわわっ!!!!」
何が起こったかわからないというような声が上がった。信徒たちはお互いの腕や足が絡み合ってすぐには立ち上がれない。…それは日本で将棋と共に学んでいた古流柔術、大和流柔術の多人数捕りの技法だった。そこで終わりではない。悠の動きはそこで止まることなく、相手の手首を捻って相手の武器を次々と奪い取っていく。
(やっぱり役に立つんだ…。レイラに徹底的に鍛えられたからこそ「そっと相手の手に添える感覚」「螺旋の力で相手の関節を極めながら投げる」というのが、皮膚感覚や内部感覚でわかる!!)
例えば合気道でいう小手返しの応用では、人間の手は甲側に曲げると強いが、内側に曲げると握力がなくなる。その理合いを利用して武器を奪う。
(…昔習ったことが、こんなにもクリアに感じるなんて!)
もちろん、それは悠がこの厳しい状況の中で鍛えられたというバックボーンがあっての境地だった。現代的な生活における感覚で、ただ言葉のみ「脱力して」とか「自然に」と言ってもそれは意味をなさなかったであろう。そもそも、この厳しい世界においての「脱力」や「自然」という言葉の重みと求められる質が違うのだ。悠は奪取した槍を投げ捨てると同時に、次の相手に向かって走り出している。
「も、モリト族!?なぜ森の連中がここに…うわぁあ!!!」
悠が躊躇なく飛び出していけた理由。それがここにあった。肌が日焼けした悠は一見すると、モリト族の肌の色に見えなくもないのである。
「ぃヤッ!」
正面から相手の手首を掴んだと思うか否や、「ぃヤッ!(矢のように速く!)」という言霊が宿った気合と共に捻りあげながら、相手の死角へしゃがみ込む。一瞬にして相手の体は宙を舞っていた。合気道の技に例えるなら四方投げだった。だが、大和流の場合は、入りが独特なだけでなく、投げた後に相手を固めて武器を奪うまでが一連の流れである。
「このガキ!槍を返しやがれ!!」
倒れた信徒が叫びながら立ち上がった、その刹那だった。
空気を切り裂く鋭い音が響き、直後、耳を刺すような絶叫が上がった。たった今まで悠がいたところに、吹き矢が飛んできたのである。そしてそれは、武器を奪い返そうと急いで身を起こした信徒の体に、まともに突き刺さってしまったのだった。
「ぎゃーーーっ!!!」
ただの吹き矢が刺さっただけで上げるような声ではなかった。信徒の表情には恐怖の色がありありと浮かんでいる。そのあまりの声のおぞましさに、悠が思わず振り返った時には、その信徒は白目を剥きながら口から血が混じった泡を吹き始めた。
(ま…まさか……毒!?)
悠の動きは止まってしまっていた。信徒を心配する気持ちと、大変なことになってしまったというショックが入り混じる。
「危ない!!!」
血なまぐさい戦場に場違いにも思えるような、凛とした美しい声が響いた。その声に重なるようにバシッバシッバシッっと吹き矢をはじく音がしたかと思うと、悠のすぐ傍にクレアが…野に咲く一輪の花のように佇んでいた。金色に輝く髪が、ふわりと静かな音を立てて肩に降りる。
「クレア…」
悠は呆然とした表情をしていた。クレアが黒い信徒たちの前に姿を現している。自分のせいだと悠は悔やんだが、その考えがますます重い楔となって悠の心をかき乱した。
「ひゃーーーはっはっ!!!やっぱり、この村に隠れてたんじゃねえか。見つけたぜぇ!!証人よぉ」
ズベリが、槍を構えながらクレアに襲い掛かった。男の身体から、どす黒い血の色をしたオーラが立ち昇る。槍先は空を切るが、クレアの美しい髪をわずかに切り裂いて、金色の光が宙に舞った。
「毒で殺しちまうわけにはいかねえからなア!!その白い体がどす黒い紫色になっちまう。ひゃははっ、ちいっと痛い目をみてもらうぜぇ!!」
ズベリの槍が荒れ狂う猛攻となってクレアに襲い掛かった。華麗な動きで躱し続けるクレアだったが、見た目にも徐々に動きに余裕が感じられなくなっていく。見ていた誰もがハッとしたその時。
――ガキィィィィィィィン!!!
戦場に、金属同士が激突したかのような硬質な音が鳴り響いた。
ズベリの槍を受け止めていたのは、クレアの「爪」だった。
彼女の瞳孔は獣のように細く、その指先からは、黒ヒョウの如き鋭い爪が伸長している。
「グルゥルルッ……」
クレアの喉から微かに獣のような音が鳴った。獣人化…というにはまだ部分的なものであった。だが、彼女を包む淡いオーラは、いまや視覚化されるほど強まっている。
「き、貴様!!!守護獣の力をそこまで引き出しているのか…!!!」
「…あなたはもう、終わりよ。あなたの使役獣はもうじき息絶える」
「な、何!!!?」
レイラがヌーの喉笛を深く食い破った、その瞬間――ズベリの全身を包んでいた赤黒いオーラが、煤のように霧散していく。
同時に、ズベリの視界からクレアの姿が消えた。
「!?あの女、どこにいきやがっ…!!!!き、貴様、それを返せ!!」
再び目の前に音もなく現れたクレア。その手には、ズベリが首から下げていたあの異質な金属ディスクが握られていた。
「これがなければ、使役獣はもう呼び出せない」
力を失ったズベリは、なりふり構わずクレアに飛びかかった。だが、獣の力を失った彼では、触れることすら叶わないだろう。その背後から、力強い雄叫びが上がった。
「クレア!あとは俺たちに任せろ!!!」
「うおおおーーーーっ!!!!」
先頭のバラカに続き、ルジナの村人たちが一斉に信徒たちへ躍りかかる。
「ズベリ、もうあきらめろ。おとなしくするんだ!!」
数人を引き連れたバラカが、槍を構えながらズベリを取り囲んだ。
それを見たクレアは、息絶え絶えのヌーの傍らへと静かに歩み寄った。
「ユウ、こちらにいらっしゃい」
悠はいまだにショックから立ち直れないでいた。クレアを見つめる視線がどことなく頼りなげな子供のような目をしている。
「これから大事なことを伝えるわ。今は辛くて苦しくても…歯を食いしばってこちらに来るのよ」
クレアの言葉が、胸に響く。「歯を食いしばって」…その言葉が悠の折れかけた心を鼓舞した。
…一歩足を踏み出した。一歩足を出せれば、次の足も出る。そうして、悠はクレアの傍に辿り着いた。
「それでいいわ。ユウ…さっき、『戦いが終われば、なぜあれを使役獣と呼ぶのか、その訳がわかる』…そう言ったのを覚えている?」
悠は頷いた。それは力ない動きではあったが、目は死んでいない。この気持ちを乗り越えようとする悠の意志が伝わってくる。
「今からそれを教えるわ。…使役獣は、これが元凶になっているのよ」
離れた場所でその言葉を聞いたズベリが、大きく目を見開きながら驚愕の表情を浮かべた。
「き、貴様、どうしてそれを知っている!?」
「ユウもよく見て。これをどう思う?」
クレアはその物体を悠に渡した。形はカスタネットが重なり合った様子に似ていて、未知の金属でできている。表面には不気味な文字列が刻まれていた。だが、何より異常なのは、二枚の金属の間に「何もない空間」があることだった。片方のパーツは、目に見えない力に固定されたように、空中に静止している。
「う、浮いてる!!?もし磁石ならくっつくか反発するかだ。なのに、押しても離そうとしてもビクともしない…。一体どういう原理なんだろう!?」
「…ふ、ふははは!!!どうすることもできまい!!!その古の聖盤は、火で焼いても象で踏みつけても傷一つつかぬ!!お前たちに壊せる代物じゃないんだよ!!いずれは我が同志がそれを必ず取り戻す!この村を何度でも襲ってな!ひゃはははは!!」
ズベリが、悠を見て嘲るように笑った。だが、クレアは悠からその物体を受け取ると、静かに金属の空間の部分に手をかざした。
「貸してごらんなさい。…これの壊し方は、こうするの」
「!!?」
思わず、悠とズベリが同じ反応をする。クレアはいったい何をしようというのか!?
「わかる?ここから発せられている振動が、動物たちを狂わせ、命令に従うよう魂を縛り付けているのよ。この空間に…」
クレアは目を閉じた。耳をそばだて、皮膚全体でその大気にまき散らしている振動を感じ取ろうとしているかのように、集中している。その瞬間、クレアの掌から見えない波が放たれた。
「――っ!!」
「キィィィィィン……ッ!!」
それは、鼓膜を突き刺すような超高周波だった。クレアが物体固有の振動数と同調し、その波を極限まで増幅させたのだ。
そして驚くべきは、絶対に傷一つつけることさえ叶わないであろうと思っていた未知の金属に、ピキ……ピキピキッ!と亀裂が走ったのである。
「ま、まさか…!!?そんなことが!!!」
ズベリの叫びと共に、その金属は内側からはじけるように粉々に砕け散った。
それは現代の物理学で解釈すると、物体の固有振動数と同調させて内側から崩壊させる『共振破壊』だった。もちろんクレアはその理屈を知っていたわけではない。過去に、この嫌な振動を止めようとして偶然発見したのだった。そして、その金属が砕け散ると同時に息絶え絶えだったヌーの巨体が、陽炎のように透け始めた。
「ヌーの体が……消えていく!?」
悠が目を凝らしてよく見ようとする間に、そこには初めから何もなかったかのように、ただの地面だけが残された。土と血の混じった匂いだけが虚しく風に攫われていった。
「これは一体…」
「これがバヤンガンの正体よ。彼らはあの不思議な物体に呼び寄せられ、命令に従うだけの哀れな存在なの。でも、この血の匂い…彼らの感じていた痛みだけは真実なのよ」
クレアの横顔は相変わらず無表情だったが、その目はどこか寂しげであった。ヌーに対する憐れみなのか…それとも、ヌーの姿に何かの姿を重ね合わせてしまっているのだろうか。
「き、貴様何をしやがった!!聖盤が我らにとってどれだけ、貴重で神聖なものなのかわかってるのかっ!!?」
ズベリが逆上し、クレアを指差しながら罵声を浴びせた。その指先は何かにおびえるようにワナワナと震えている。だが、周囲を見渡せばズベリが連れてきた黒い信徒たちも全員捉えられ、明らかに勝敗は決していた。ルジナは改めてズベリに向かって告げた。
「今一度、問いましょう。大勢は決しました。汝らはまだ戦いを望みますか?それとも、素直にここから立ち去りますか?」
ルジナの言葉に、ズベリが興奮した様子で何か言おうとした、その時だった。遠くからすごい勢いで風を切る音が近づいてきたかと気づいた瞬間には、ズベリの背後から槍が胸に深々と突き刺さっていた。
「ぐわああああっ!!!!!!」
「…!?」
悠たちは息を呑み、地平の彼方を見た。まさかあの距離から正確に打ち抜いたというのか!?誰もがそう思った。
気づくといつの間にかハイエナが村の周りに近づいてきていて、ガラスのような無機質な目で見つめていた。それも一頭ではない。3頭…いや5頭…。何かを観察するような目で、悠たちや村の様子を見つめているのだった。
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