第37話 第十章 ~眠れる遺跡と、共鳴する魂~(二)
山道を五時間も歩いただろうか。ゴツゴツとした灰色の岩肌が多くなってきた険しい景色の中、カタリはリンバの肩に乗せられながら息を荒くしていた。
「ハァ…ハァ……、ホダム使いってのは便利なんだな。山に慣れてる俺がこんなへばってしまうようなハイペースで歩いてきたってのに、ユウ達ときたらピンピンしてるんだからな。それに、険しくて危険なところもスイスイ登っちまうし……」
「でも、カタリがいなかったら、途中でそれと気づかずに迷いの霧に足を踏み入れてしまっていたかもしれない。やっぱり、カタリがいてくれて助かるよ」
悠が少し前に、霧が出てきたところをそのまま進んでいこうとして、カタリに止められたことを思い出しながらフォローすると、サリが明るい声で付け加えた。
「それにこのポンチョのお陰で寒い思いをしなくてすんだわ。足の裏はまだ慣れなくて少し冷たく感じるけど」
「この辺は尖っている石も多いから気をつけろよ。足の裏が冷えていると、感覚が鈍って怪我しやすいからな」
サリの言葉に、へばっていながらもカタリが道案内人らしく注意を促すあたりは流石だった。
「…それにしても、シンを案内してきたときは2日がかりだったんだぜ。この調子だと午後には着いちまうな」
悠たちが登ってきた方を振り返ると、周りには雄大な山々の眺めがあった。ワイラ族の村へ向かうと途中では見上げるようにしていた雪解け水で出来た滝も、今は眼下に流れ落ちていくのを見下ろすような景色が増えていた。
「わあっ、冷たい!」
小さく流れ落ちる水を手で受けたサリが、思わず手を引っ込めた。いかにも雪解け水ならではの冷たさであったが、清冽で透明な美しさは、まるで見る者の心まで洗われる様だ。
「素晴らしい景色ね」
クレアの金髪が風になびき、舞った髪は太陽の光で輝いていた。
「うん。サバンナとはまた違った壮大な景色だね」
悠とクレアの視線の先で、灰色狼のロボと黒豹のレイラが並んで景色を眺めている。悠の肩に乗ったシオンもまた、山の上からの風景を特別な想いで眺めている様だった。
「シオン、この山から見下ろす景色が気に入ったのかい?」
悠が尋ねると、シオンが体を摺り寄せる。シオンは『精神の翼』で上空から眺めることは出来たとしても、その空気や風をその身に感じることは出来ない。もちろん、マジマクウを見下ろした小高い場所や悠とクレアが住んでいた谷を登っていったところなど、高いところからみた景色を経験していないわけではなかったが、山の中腹から眺める景色と空気はまた格別だった。
「それにしても……こうしてみると、雲と霧の境目ってやっぱりここでも曖昧なんだね。カタリたちが迷いの霧と呼んでいる霧は、マジマクウのあの霧と同じなんだろうな。世界の果てと呼ばれるのがわかる気がするよ」
それは、もし人類が『宇宙の果て』に辿り着いたとして、今の自分たちにはその外側を想像することすら出来ないように、この霧こそが箱庭のような世界としての一つの答えなのだろう、と悠は思った。
「まあ、世界の果てと言っても壁があるわけじゃないからな。でも実際、霧の向こうに行ってしまった奴らは二度と戻ってこない。昔、縄を腰に巻き付けてどこまで行けるか試したやつもいるみたいなんだが、こっちの方で縄を握っていた人の話だと、ある瞬間にふっと縄が軽くなって、手繰り寄せてみたら人だけ消えていたって話だ」
「そんなことが……」
「ああ、だからこそ皆も、ここが『世界の果て』だと確信しているのさ。さてと……ありがとうよ、リンバ。そろそろ降ろしてくれ。道案内人がこんな様じゃ格好がつかねえからな」
カタリは地面に降りると、かなり元気を取り戻したようだった。この山に慣れていることはその回復力からも伝わってくる。
再びカタリを先頭に歩き出すと、小一時間も過ぎた頃には辺りの雰囲気が変わってきたことに気づいた。少し前から道の側を川が流れ、ゴツゴツした岩肌から、やや丸みを帯びた岩肌へと変わっている。心なしか風も柔らかくなったようだ。
「ほら、見えたぞ。あれがルガ族の村だ」
ずっと続いていた坂道を登りきると、目の前に急に開けた場所が現れた。ワイラ族の村と同じように石を積み上げて植物を屋根に敷いた家々と、竪穴式住居のような家が混在している。ただ、侵入者を防ぐように積み重ねられた石垣が、ルガ族の警戒心の強さを表している様でもあった。
「あそこに父さんが……」
悠は、胸の中で期待と不安が今まで以上に強く膨れ上がるのを感じていた。
「ユウ。早くシンに会いたいところだろうけど、俺が先に行って族長に挨拶してくるからここで待っていてくれるか?すぐ戻ってくるからな」
カタリは悠の心中を察するようにそう声をかけると、駆け足でルガ族の村へと向かった。去ってゆくカタリを見送っている悠の横にクレアが並んだ。
「私も、ユウのお父さんに会うの、楽しみだわ」
「クレア……」
クレアが気遣って気を紛らわせようとしてくれているのが悠にはわかった。ただ待っている…その時間がどれほど長く感じられるかは想像に難くない。
「私も、シンと会うのは久しぶり!…もちろん、ユウには適わないけどね」
サリもまた反対側の悠の隣に並んで立ち、笑顔で話しかけた。サリの笑顔を見ていると、ふっと心が軽くなって不安が消え去っていくようだ。
「あっ……カタリが戻ってきたわ!」
ほどなくして、カタリが急ぎ足で戻ってくるのが見えた。
「はぁ、はぁ……ユウ、シンはやっぱりまだルガ族の村にいたぜ。今は遺跡を見に行っているみたいだけど、いつも夕方には戻ってくるみたいだ」
悠の表情がパッと明るくなるが、すぐに会えないことには少しお預けを喰らった気分であった。
(でも、父さんはここにいる。本当にもうすぐ会えるんだ!)
悠の心の中に一気に安心感が広がった。ようやく父と会えるという確信を得ることが出来たのだ。
「良かったわね、ユウ!」
「シンはやっぱりここにいたんだね!」
クレアとサリが口々に声をかけながら、二人ともホッとしたような表情をしているのは、二人もまた心の中ではいかに悠と悠の父親のことを案じていたかの裏返しでもあった。
「どうする、ユウ?早く遺跡に行ってシンに会いたいところだろうけど、まずは族長のところに挨拶に行くのでもいいかい?」
「もちろんだよ、カタリ。それに遺跡に行くにもきちんと族長に話をしてからの方がいいだろうしね」
「まあ、確かにそれが正解だな。それじゃあ、行くとしようぜ」
カタリの後に続いて村に入っていくと、すれ違う村人たちが物珍しそうに悠たちを眺めている。
「あれは証人か!?白い肌に金色の髪……ホントにいたんだな」
「あの男の子がシンの息子ね。やっぱりどことなく似ているね」
「ああ。それにシンを見た時には彼こそ証人かと思ったが、こうして比べてみると微妙に肌の色が違うんだな」
そんな声が聞こえてくる。それでも警戒心が強いとされるルガ族の人々の目が意外に穏やかなのは、シンのお陰であることは間違いないように思えた。
(モリト族の時といい、ワイラ族の時といい、父さんにはホントに助けられている感じだな)
「ここが族長の家だ。……族長、カタリです!」
「入るがいい」
カタリが外から声をかけると、中からしっかりとした重みのある声が聞こえた。
「失礼します」
カタリに続いて三人が家の中へ入ると、奥に精悍な顔つきをした40代くらいの男が椅子に腰かけていた。身につけているものは麻で出来た簡素で粗末な衣服ながら、ポンチョの代わりに、ルガ族の間で北の方角の守護者と言われるピューマの毛皮で出来たマントを羽織っている姿はいかにも長にふさわしい格好に見えた。アディリやトゥパクのような老人を想像していた悠には意外にも感じたが、それ以上に目を引いたのは、見開かれた彼の瞳が白く濁っていたことだった。
「三人か……。男の子が一人に、女性が二人……どちらも若い女性のようだな。君がシンの息子だね?」
やはりと言うべきか、族長は目が見えていないようだったが、正確に悠の方に顔を向けながら尋ねた。
「はい。シンの息子のユウです」
悠が一歩前に出て答えると、族長の表情がふっと緩んだ。
「ふむ。声に覇気があるな。それに真っすぐな相手への敬意が伝わってくる。シンと少し性格は違うが、若者らしい良い気概をしている。私の名はトォヴァだ。この通り生まれつき目が見えなくてな。失礼があっても気にしないでもらいたい」
悠は、その堂々とした姿と物言いに、思わず尊敬の念が湧き上がるのを感じた。王者の風格とは、まさにこういうことを言うのかもしれなかった。
「そんな、失礼だなんて。こちらこそ、快く受け入れてくださって感謝しています。トォヴァ」
そう返事をする悠が、自分は上手く挨拶が返せているだろうかと気になってしまうほどだ。クレアとサリもそれぞれ自己紹介を済ませると、トォヴァは悠の気持ちを察しているかのように言った。
「ユウは、シンと2年以上も離れ離れだそうだな。しかもこの世界に来てからは一度も顔を合わせていないとか。まずは遺跡に行ってみてはどうだね?我々との話はそれからでも遅くはない」
『士は己を知る者のために死す』というが、逆にこうした視点を持ったリーダーこそ、真のリーダーと言えるのだろう。悠が今、一番望んでいることを、トォヴァは当然のことのように提案してくれたのであった。
「あ、ありがとうございます。トォヴァ!」
「そうとなれば、俺が案内するぜ!それでいいだろ、族長?」
「うむ。頼んだぞ、カタリ」
そう言いながらトォヴァが椅子から立ち上がったその時、窓から一羽の鳥が飛び込んできてトォヴァの肩に乗った。まるで目の見えないトォヴァを気遣っているようだ。
「ふふ、シフよ。大丈夫だというのに我が身を案じてくれるのか?……ちょうど良い。このホーホー(※ミミズクのこと)は、私の守護獣で、名はシフだ」
悠がシフを見ると、ミミズクのシフはあらゆるものを見通すような目で悠を見つめていた。それでいながら、ミミズクは視覚よりも聴覚で世界を把握する生き物である。あらゆるものを見通すような目でありながら、その実、見るのではなく聴いている。それはまるで、トォヴァその人の分身のようにも感じられた。
「……ほう、ホダムが4体…これは」
トォヴァが家の外に出るなり、ホダムの気配を感じ取ったように呟いた。
「…大きな人型の獣に、四つ足の獣が、二体。その一体に、鳥のホダムが乗っているのか。……なるほど、この二体はユウのホダム……二体もホダムを持つとは何と珍しい」
目の見えないトォヴァが、気配だけでここまで正確に読み取ることが出来るということ自体が、悠達には驚きであった。
「「はい。人型をした大型のホダムはサリのリンバ。四つ足のホダムは、クレアのレイラと、私のロボです。そしてロボの背に乗っている鳥のホダムがシオンです」
悠がまとめてホダムたちを紹介すると、トォヴァは頷いた。
「ホダムたちよ。そなた達もここまでご苦労であったな。これからもユウ達を助けてやってくれ」
それは押しつけがましいわけでもなく、決して上から目線の言葉でもなかった。ただ、リーダーとして分け隔てなくかけられた言葉そのものであった。その雰囲気がロボやレイラたちにも伝わったのか、彼らの視線がそれに答えていた。
「ところで、ユウよ。黒の信徒の幹部が身につけ、彼らが『古の聖盤』と呼んでいるものが、これからそなた達が向かう遺跡に残されていたものだということは知っておるな?」
悠はルジナが言っていた言葉を思い出しながら、今、それがはっきり事実なのだということを知った。
「はい、そういう噂があったことは知っています」
トォヴァは頷くと、悠の疑問に答えるように言葉を続けた。
「私たちが何故、それを肯定も否定もしなかったかというと、遺跡にはまだ秘密が眠っているからだ。だからこそ他に邪な心を持つ者たちが、遺跡に興味を持つことを避けたかったのだよ。……黒の信徒たちが、その聖盤を使って使役獣を呼び出したということには、むしろ私たちの方こそ驚きだった。ルガ族は当然のように長年遺跡を守ってきたが、なぜ、何のために守ってきたのかは正直よく分かっておらんのだ。だからこそ……ユウや証人のクレアが遺跡に訪れることは、何か新たな発見があるかもしれんな」
「そうだったのですね……」
カタリの話してくれた様子だと、父親は何度も遺跡を訪れているようだった。しかしそれは、未だに何の変化も現れていないということかもしれない。いずれにせよ、遺跡に向かうことは父親との再会以外にも、目的が出来たことは確かだった。
(遺跡にまだ秘密が残っている……一体何なんだろう?)
悠の好奇心が刺激されたことは事実だが、それよりもやはり、父親との再会が一番の心を占めていたことは15歳の少年としては当然だったかもしれない。
「さ、行くぜ!」
カタリの合図とともに、悠達は遺跡に向かって歩み出した。
(父さん……)
ややもすれば緊張で震えそうになる足で、一歩一歩、大地を踏みしめる。それはいよいよ父親との再会の予感が高まっている証でもあった。




