第十章 ~眠れる遺跡と、共鳴する魂~(一)
「着いたぜ。ここが俺たちワイラ族の村だ」
カタリの言葉に三人が足を止めてあたりを見渡すと、山の斜面に沿うように、大小の石を積み上げた家々が段々畑のように広がっていた。屋根の部分は藁ぶき屋根のように植物で覆われている。一方で、村のはずれには地面を掘り下げた竪穴式の住居も残っている。入り口には獣の皮が垂らされ、地面の温もりを利用した古い知恵がそのまま受け継がれているようだった。
「風が鳴っているわ」
サリが目を閉じて耳を澄ませた。山の稜線を越えて流れてくる乾いた風は、村の隅々まで通り抜けながら、どこかで笛を吹いているかのような微かな音を立てている。
「ああ。この村ではめったに風が止むことはないんだ」
「この村では、風が自然の音楽を奏でているのね」
「そうだな。俺たちはこの風の音楽を聞きながら育つのさ。祭りの時なんかは、笛や太鼓の音がこの風に乗って谷全体に広がるんだ」
カタリが両手を広げながら話す様子は、いかにそのお祭りが賑やかで楽しいものかを物語っている。辺りは徐々に日が傾き始めていた。いつの間にか一日の仕事を終えた村人たちが道を行き交い、物珍しそうに悠たちを見ている。男性は麻や綿のような素材でできた衣服を着て、女性はスカートを履いている。いずれも、いかにも民族衣装らしい色鮮やかな模様が入っているが、一人一人よく見ると微妙に模様が違っていた。
「そのお祭りというのは、どんな感じなの?」
すれ違う人々と軽く会釈を交わしながら、クレアが興味を持ったように尋ねた。
「ワイラ族のお祭りと言えば踊りが有名でね。広場の真ん中に棒を立てて、男女でその周りを囲むんだ。棒のてっぺんには彩り豊かな布が何本も垂れていて、それを手に持って男女で交互に踊るのさ」
「まあ。布を手にしながら男女で踊るなんて、なんだか想像するだけで素敵ね」
「それだけじゃないんだぜ。踊っていると、その棒から垂れた布がどんどん編まれていくんだ。ルガ族の中にも俺たちワイラ族みたいにいくつか小さな部族があって、その踊りによって編まれる模様も違うんだぜ」
「へえ、面白いね!部族ごとに独特の踊りと模様があるんだね」
「ああ。でも、独自の文化を残している部族もかなり少なくなっちまったけどな。おっと。長老の家はそこさ」
カタリが前方にある建物を指差したその時、上空から突然舞い降りてくる大きな影があった。バサバサと羽を広げて大きなコンドルが入り口の前へ降り立った。まるで来訪者の前に立ちふさがるかのようだ。
「やあ、マリュック。お客さんを連れてきたんだ。長老はいるかい?」
マリュックと呼ばれたコンドルは、視線で建物の中を示した。ロボやレイラと同じくカタリの言葉を理解しているようだ。
「こいつは長老の守護獣で、マリュックっていうんだ。さあ、中に入ろうぜ。……長老!シンの息子を連れてきたぞ!」
カタリの後に続いて中に入ると、建物の中にいたのは寝床で横になっている老人であった。他のワイラ族と同じで赤銅色の肌に長い白髪。こちらに向けた表情は柔らかく身体は横たわっていながらも、入り口に向けられた眼光だけは鋭い光を放っている。その横で、黒髪を三つ編みに編んだ若い女性がカタリの方を振り向いた。
「あら、カタリ。またお客さんを連れてきたの?」
「またとは何だよ。ここにいるユウはシンの息子だぞ!」
「まあ、シンの!?…長老、お聞きになりました?……それに、そちらの女性は証人!?」
三つ編みの女性が驚きの声を上げる中、老人はそれに応えるように身を起こした。
「その男の子が、シンの言っていたユウかね?」
「はい。僕の名前はユウ。シンの息子です。そして、証人のクレアと、」
悠が名乗りでると、長老の鋭い眼光がふっと和らいだ。
「儂の名は、トゥパクじゃ。この隣にいる、儂の世話をしてくれている女性は、チャスカ。それにしても、ようやく来おったな。待っておったぞ」
悠を歓迎するようなトゥパクの言葉に、悠は一歩前に出ると礼を述べながら、クレアとサリを紹介する。
「ところで、父は……シンは、この村にもしばらく滞在していたと伺いましたが…」
「おお、その通りじゃ。おかげで儂もチチャを飲んだのは久しぶりじゃったよ」
チチャという聞きなれない言葉に、チャスカが助け船を出す。
「チチャって言うのはトウモロコシを摺りつぶして発酵させたお酒よ。長老ったら、シンとの会話ですっかり盛り上がっちゃったのよ。普段はこんな感じでずっと横になっているのにね」
チャスカは冗談めかして笑顔で話しているが、トゥパクが直前まで横になっていたのは悠も気にかかっていたことだった。少し心配そうな表情を浮かべながら、
「もしかして病気なんでしょうか?」
と尋ねると、トゥパクは笑って答えた。
「いやいや、もう歳なだけじゃよ。身体がいうことをきかなくての。日中も時々体を休めてないとよう動かんのじゃ」
「そうなんですね……」
「それより、ユウよ。お前もルガ族の村へ行きたいと思っておるのじゃろう?だがこれより上は、空気がぐっと冷たくなるぞ。お前たちの今の装いでは、とても保たぬじゃろう」
トゥパクはそう言うと、傍らの三つ編みの女性に目配せをした。女性は頷くと、部屋の奥から大きな籠を運んできた。中には、鮮やかな幾何学模様の織られたポンチョが何枚も重ねられていた。
「この村でさえ、夜になるとかなり冷えるぞ。これを持っていくといい」
「ありがとうございます」
悠が頭を下げると、チャスカが一枚ずつ手渡してくれた。クレアが受け取ったポンチョは、深い藍色のもので、裾の方には様々な模様に階段状の模様が組み合わさって彩られている。サリのものは赤茶色の地に、動物のような模様と波打つような線が連なっていた。
「…うわぁ!」
「まあ、素敵だわ……」
早速ポンチョを身にまとったサリとクレアが、その暖かな感触と見事に織り込まれた独特のデザインに感嘆の声をあげた。
悠が受け取った黒地のポンチョにも、同じように複雑な模様が織り込まれており。指先でその模様をなぞりながら、悠はふと既視感を覚えた。
「この菱形を中心に散りばめられた模様……上の赤い模様は山で、下の青い模様は水の流れみたいだ。もしかしてこれは…」
「そうじゃ。その菱形は世界の四つの方向と、それぞれの風の形を表していると言われておる。ワイラ族に伝わる古い伝承がそのまま模様になっているというわけじゃが、ユウの想像通り、北のアルトゥーラス山脈と南のマジマクウを現しておるのじゃろう」
悠は、他のポンチョの模様が裾にだけしかないにもかかわらず、このポンチョにだけその上に微妙に大きさの違う点と線とがまるで意図的であるかのように散りばめられているのに気づいていた。
「この菱形と周りの模様が世界を表しているとしたら……この点と線の模様はもしかして星の運行を表しているのでしょうか」
トゥパクは驚きの表情で悠を見つめた。
「おおっ、よくわかったのお。さすがシンの息子じゃ!儂らワイラ族は、長年、天体観測を行ってきた部族でもあるのじゃよ」
「……でも、その中でこの一つだけ複雑な線になっているのは何か意味が?」
「それは『惑い星』じゃ。『明けの明星』……つまり、太陽を連れてくる星であり、『宵の明星』として月を連れてくる星でもある。その星は『太陽と月の間を行き来する特別な星』なのじゃ。儂らワイラ族は長年、天体観測を行ってきたんじゃが、星空は綺麗に一年で一周するのに、なぜかその星だけは他と違った複雑な動きをしているんじゃ。順行しているかと思えばしばらくその場に留まり、時に逆行しながら、それこそ数十年、数百年に一度の大周期を描いておるんじゃよ」
(なるほど。金星は星じゃなくて惑星だってことを知らないんだ…。だから、この世界では金星だけが特別な存在に見える。でも……この閉ざされた世界で、これらの星は僕たちの知っている星と本当に同じものなのだろうか……?)
悠は、元の世界の知識に照らし合わせながら、この世界においても同じ星空が見えているだけでなく、星と惑星の軌道までが反映されている不思議さを感じていた。
「一番星ってそうだったのね。全く気にしていなかったわ。……もしかして、この模様にも意味があるのかしら?なんだか見たことないような奇妙な動物みたいな模様が、びっしり帯状になっているんだけど」
マジマクウ、そしてアルトゥーラスの景色をその目で見たサリが、トゥパクの話に聞き入るようにしながら改めて自分の来ているポンチョの模様を眺めている。
「その模様は、ウク・パチャと言ってな。地下の世界や死者の世界を表しておるのじゃ」
現代の我々の感覚では死者の世界と聞くと不気味に感じるが、サリやクレアの目はむしろ、神聖なものに触れたかのような色を湛えている。
「私たちが『大地に還り、命が廻る』ということと、なにか関係があるのかしら?」
クレアが思い浮かんだことを口にすると、トゥパクが我が意を得たりというように頷いた。
「その通りじゃ。ウク・パチャとは『過去の命が還る場所』であり、同時に『未来の命が生み出される場所』なのじゃよ。先祖への恩を忘れてはいけないという戒めと同時に、女性が子を産むための祈りと願いが込められているのじゃ」
「子供を……」
サリは、無意識に悠を見たかと思うと、慌てたようにすぐに目をそらした。心なしか頬が赤くなっている。悠はというと、すっかりトゥパクの話に興味が奪われてしまっていた。
「……すごい。織物の模様の中に、まるで本のように知識が詰め込まれているなんて。それじゃあ、クレアのこの階段のような模様になっているのは……」
「それは、天と地を繋ぐ階段を表しているのじゃ。『ハナン・パチャ』…太陽や月、星々が住む天上の世界。我々人間や動物や植物が生きる地上の世界、『カイ・パチャ』。そして死者が還る場所であり、地の底の世界である「ウク・パチャ』。儂らの祖先は、この三つの層で世界が出来ていると考えていたのじゃな。この村へ来る途中で、アルトゥーラス山のあちらこちらに雪解け水の滝が見えたじゃろう?あれもまた『天と地を繋ぐもの』と考えられていたのじゃよ」
悠はトゥパクの言葉に、山々から流れ落ちるあの美しく銀色に輝く細い筋を思い出していた。
(天と地を繋ぐものか……。本当に……この世界はなんて美しいんだろう)
あらためて模様を見直すと、アルトゥーラス山脈から流れ出る水が、マジマクウへと繋がっていくイメージが重なった。
(これらの模様が世界の姿そのものを表している……昔、父さんと博物館に行ったときに説明してくれた荘厳な曼荼羅を思い出すなあ。あれも詳しいことはわからないけど、宇宙の姿そのものを現したものだって言ってたっけ)
「なあ、長老。難しい話ばっかりしてないで、そろそろ飯の準備にしようぜ。ユウ達を歓迎する軽い宴を開くんだろ?」
「何を言っておる。これらの話はシンも感心したように聞いておったのだぞ。……とは言え、確かにカタリの言う通りじゃな。チャスカ、頼まれてくれるか?」
「ええ、わかりましたわ。村の人にも手伝ってもらって、少し多めに食事を用意するとしましょうか」
夜になると、村人たちも何人か呼ばれて小さな宴会が開かれた。村人の一人が独特のリズムでボンボと呼ばれる太鼓を叩くと、カタリがそれに合わせて軽快な笛を吹いた。その音色は、サバンナのゴンドランとは全く異なる、乾いた山の空気の中で伸びやかに広がるような響きだった。
サリもまた歌や踊りを披露すると、ワイラ族の音楽とはまた違った趣の曲調に村人たちは感心したようにしながら、自然と笑顔が広がっていく。
そんなサリの様子を、悠はクレアの隣でぼんやりと眺めていた。食卓には、トウモロコシを蒸したものや、干し肉を戻して煮込んだ素朴な料理が並んでいた。口に含むと、塩気の中にほのかな香草の風味が広がる。
「もうすぐね」
クレアが静かに呟いた。
「うん」
悠も頷きながら、器を両手で包むように持った。温かかった。食事の温もりが、指先から胸の奥までじんわりと広がっていくような気がした。
――翌朝。
「さあ、出発するぜ」
荷物を背負ったカタリが声をかけると、悠達が頷く。
空は透き通るような青さで、雲一つなかった。アルトゥーラスの山肌は朝日を受けて、白い雪と岩肌が金色に輝いている。どこからか風が吹いてきて、悠のポンチョの裾をそっとなびかせた。クレアとサリの髪が風に舞い、二人の目もまた悠の視線を追っている。
出発前にトゥパクのもとへ挨拶に向かうと、トゥパクが寝床から身を起こして三人を待っていた。
「気をつけてな。…シンによろしく伝えてくれ」
「はい。ありがとうございました、トゥパク」
悠が深く頭を下げると、トゥパクは目を細めながら静かに頷いた。
(いよいよ……父さんに会えるんだ)
この世界に来て、生き別れとなった父親との再会がすぐ目の前に迫っている。悠は歩き出しながら、もう一度だけ振り返った。マリュックが大きな翼を広げて空へ舞い上がっていく。まるで道を示すかのように、コンドルは山の頂へ向かって悠々と飛んでいった。




