第九章 ~風の調べと、旅人の背中~(三)
――悠とクレアが旅立った日の午後。
悠とクレアがこの村を去ったことがわかると、サリに声をかけてくる若者たちが後を絶たなかった。
「サリ。もうすぐ成人の儀式だろ?お祭りで、誰と一緒に踊るかは決めたのかい?」
「サリ。祭りの後は少し俺と一緒に過ごさないか?」
モリト族では、15歳になると成人の儀式が行われ、一人の一人前の大人として認められるのだ。そのあとにお祭りを開いて成人したことを皆で祝うのである。皆がサリに誘いをかけるということは、サリが村でどれだけ人気が高いかを示していた。若者たちは祭りが近づいていることに浮かれている。とてもそんな気分ではないサリはやんわりと誘いを断り続けていたが、今は皆から離れて隠れるように、悠とキスを交わした場所と同じところに座って景色を眺めていた。
遠くを見つめながら、「もしかしたら悠もクレアもシンも…もう、戻っては来ないかもしれない」――そんな想いが微かに浮かんでは消えていく。
「ユウ……」
無事を祈るような表情と共に、どこか寂しさを含ませた声でそう呟いた時だった。
「やれやれ。…いつまでそんな顔をしておる」
いつの間に傍に来ていたのか。サリが声のした方に視線を向けると、木の下でアディリがマレーバクのテナンとともにサリを見上げていた。
「おじじ……」
今のサリの表情は、例えるなら、まるで行き先を見失った子供のような表情をしていた。
「そうじゃな……こんな言葉があるぞ。モリト族が一つになる前の、ある部族が大切にしていた言葉に『パグババリク・ロオブ』というものがあっての。『バリク』は『戻る』、『ロオブ』は『魂』。つまり、魂が本来あるべき場所へ還るという意味なのじゃ」
「……魂が、還る場所?」
「うむ。サリの魂が本来あるべき場所は、どこかな?」
「……私の魂が、本来あるべき場所……」
アディリの問いかけに、サリはしばらく黙り込んだ。やがてゆっくりと、サリの目が輝きを取り戻していく。
「おじじ……、私、行ってもいいのかな?」
サリのシンプルな問いかけに、アディリは優しく頷いた。
「行っておいで、サリ。お前が本来いるべきと思うところに」
サリの両親はすでに他界していた。つまりサリは、アディリにとっては残された大事な一粒種だったのだ。
「リンバッ!!」
そう叫んだサリの目には、もう迷いはなかった。近くからどこともなく現れたリンバの背中に飛び乗ると、オレンジ色の巨体の体を揺らしながら一気に駆けだした。
「いってきます、おじじ!!」
アディリに向かって手を振りながら小さくなっていくサリを、アディリはいつまでも見つめていた。
――ちょうどその頃、黒の信徒たちの幹部もまた、大きく動こうとしていた
ダナ族のテリトリーの外れ、南南東側にある砂漠に近い乾いた土地。そこに黒の信徒たちの本拠地が位置していた。どの部族の領域にも完全には属さない中立地帯に近い場所である水飲み場へのアクセスを確保しながら、三種族全てに圧力をかけやすい位置でもあり、ルジナの村とは対角線上に位置している。
「集まったわね」
集会用の大きめの建物……と言っても、現代人の目からすればただのあばら家に過ぎない建物の中。フィティナを中心に、首から古の聖盤をぶら下げた幹部たちが、左右に並んでいた。その数4名。うち二人は、マウアとペレレザ。あとの二人は初めて見る顔であった。一人は精悍な顔つきに均整の取れた体を誇っている。もう一人は、いかにも筋肉が発達した巨漢であった。
「おいおい、幹部がこれだけとはどういうことだ?俺たち以外は、何の役にも立ちそうにねえ小物が二人だけじゃねえか」
「……ムワンパとラヤの件は知っているが、ジャヒはどうした?それになぜ、新たなバヤンガン使いを立てないのだ?」
巨漢の男がマウアとペレレザを見下したような目で見降ろしながら尋ねると、もう一人の男もまた疑問を呈した。巨漢の発言にマウアの目が細くなるが、ペレレザは聞こえないふりをして流している。
「ゼイン。古の聖盤はここにあるもので全てよ。もう新たなバヤンガン使いを見つけるのは不可能なの」
「それはどういうことだ、聖女。まさか聖盤を失くしたとでもいうのか?」
「いいえ、もっと最悪な状態よ。どうやら証人は、聖盤の壊し方を知っているみたいなの」
ゼインと呼ばれた男と、巨漢の男の目が見開かれた。
「まさか、聖盤が!?石で殴っても傷一つつかぬこの聖盤を、本当に奴らが壊したというのか!!?」
「ええ。忌々しいけど本当よ。残りの聖盤は、ここにある五つだけ」
「……だとすればだ。誰が言い始めたともわからぬ『我々ブラックこそが至上の存在である』というのは、根底から覆るのではないか?古の聖盤は、それを証明する『力』として、我々に与えられたものだと聞く。それが今、『予言の証人』の手によって破壊されているということは、我々が誤っているということにはならないか?」
ゼインは極めて理知的な思考の持ち主であった。彼が、幹部の中でも黒の信徒たちから一目置かれた存在なのは、そうした理由によるものだろう。
「いいえ。これは試練よ。戦いはまだ終わっていない。私たちは試されているのよ」
フィティナがきっぱりと言い放った。一体、何が彼女を支えているというのだろう?だが、それこそがフィティナが聖女と呼ばれる所以でもあった。フィティナの脳裏に、薄汚い男の笑顔が浮かんだ。
「へへへ、フィティナよ。これがあれば俺たちはもう、馬鹿にされることはねえ。…見ろ、この輝きを。ルガ族の奴らだって、この遺跡にこんなお宝が眠っているとは思いもしなかっただろうよ」
幼いフィティナの横で、マウアが眠っていた。男はダナ族の中でもつまはじき者だった。なぜなら、彼の妻はモリト族ともルガ族ともつかぬ、中途半端な血の人間だったからだ。この時すでに、一部のダナ族の間では、『ブラックこそ至上』という話が蔓延し始めていた。
「見ろよ……、こいつらは、見た目は完璧なブラックじゃねえか。俺と何ら変わりゃしねえ。だけど周りの奴らは、俺の妻を嘲り、混じり物の子供を作ったって馬鹿にしやがった。見た目がブラックなのは黒の血が優秀なせいだ。だが、お前の子供はあくまで純血のブラックじゃないって言ってな」
男の言葉に理解を示すものはいなかった。当時はそれだけ何の根拠もない話が勢いをもってルガ族の間に浸透し、男は黒い肌を持つ人間たちの裏切り者か恥さらしのような存在であった。どこにも居場所のない彼の妻は、ある日姿を消した。その後の行方を知るものは誰もいなかった。
やがて男は偶然、聖盤の力で最初のバヤンガンを生み出した。その時、全ては必然に思えた。なぜならバヤンガンを呼び出した時、男がしたことと言えば腹立ちまぎれに聖盤を叩いて音を出しただけだったのである。だが、その振動こそが空間を歪めて使役獣を呼び出すトリガーとなった。呼び出された獣が自分の言うことに従う存在だということがわかると、男はフィティナにも聖盤を叩かせた。アナコンダの大蛇はこの時に生まれ、以降、フィティナが中心となって様々な実験を行ったのである。
バヤンガンという強力な力を得た男は仲間を集め、黒の信徒という組織の礎を作り上げた。もっとも、作り上げた教義の大部分をアドバイスをしたのはフィティナだった。フィティナという幼いブレインがいたからこそ、上手く時流に乗ることができただけだ。
「そうか、お前は天才だなあ!!……フィティナ……そうだ、お前の名前はフィティナ(陰謀)にしよう!!」
フィティナはその時、初めて名前を与えられた。マウアはフィティナの名前を陰で馬鹿にしていたが、マウア(花々)という名前をつけてくれたのは、実はフィティナその人だったのである。せめて妹には誰からも愛されるような綺麗な名前をつけてあげたいという、フィティナの姉心だった。
フィティナが物心ついた時には、すでに父親とも呼べないその男は死んでいた。残されたのは聖盤と、半分以上自分が作り上げた歪んだ教義だけだった。父親が褒めてくれた……ただそれだけの思い出のものだ。
「試練か……なるほどな。最後は自らの力で答えを出せということか」
ゼインの言葉で、フィティナは現実に引き戻された。
「そうね。我々は勝つ。それだけよ」
フィティナが断言するのに水を差すように、巨漢の男が口を挟んだ。
「だとしたらよう、この使えなさそうな小物を一新するってのはどうだ?聖女の大蛇はともかく、ちっちゃな蛇に、ミーアキャットのバヤンガンって、馬鹿にされやしないか?」
その瞬間、マウアが視界から消えた。
「小物って誰?」
巨漢の男のすぐ目の前にマウアが立って質問したときには、パフアダーが男の首を噛んでいた。問答無用の容赦ない仕打ちであった。
「ぎゃああああ!!!!」
男がパニックになりながら、パフアダーを掴んで放り投げた。首には不気味な紫色の小さな穴が4つ空いて、真っ赤な血が小さく滴っている。
「まあ、綺麗。まるで4つの可愛いお花が咲いているみたい」
マウアはねめあげるような視線から一転、花がほころんだような笑顔になるとすっと間合いを切るように後ずさった。フィティナはそんな妹の姿を見ながら、「どうしてこんな風に育ってしまったのだろう?」と、ふと思った。マウアの異常性は、姉のフィティナから見てもどこかタガが外れているような危うさがあった。
「やめなさい、マウア!」
「ふふっ。大丈夫よ、お姉さま。いえ、聖女。毒は皮膚の周りにほんの少し付けただけ。命に影響はありませんわ。……本当は改良した毒を試したかったのですけど」
マウアが微笑みながら説明するのを聞いて、誰にも悟られぬようほっと安堵の息を漏らすのと同時に、巨漢の男にピシャリと警告した。
「クワシ。これに懲りたら言葉には気を付けることね。なにより、私たちは今、このタイミングで幹部を失うわけにはいかないのだから」
「は、はい。聖女。……これ、本当に大丈夫なんでしょうか?」
すっかり態度を改めた様子で、巨漢の男・クワシは、不安げな表情で噛まれた首を指差した。
「マウアが大丈夫というなら、大丈夫でしょう。それより、本題に入るわ。……私たちはこれからルガ族の遺跡へ向かうことにする。そこには聖盤の秘密がある。きっと証人たちもそこへ向かうはずよ」
「聖盤の秘密……初耳ですね。それにルガ族が代々守ってきたという、幻の天空遺跡……。聖女は何か知っていらっしゃるのですか?」
ゼインが尋ねる。
「……ええ。私が、そこで古の聖盤を見つけたのよ。ある人物と一緒にね」
「聖女。もしかしてそのある人物というのは、今や伝説となった指導者セフのことでしょうか?」
ゼインの目は期待と尊敬に輝いていた。
(伝説…ね。伝説にしたのよ……あのろくでもない男を、私がね…。不慮の事故であっさり死んでしまったおかげで、教義と信徒たちだけが残った)
普段は理知的な好青年でありながらも、人を信頼し過ぎるがあまりに、時として理想のために道から外れたことも断固としてやり抜いてしまう。フィティナにとってこれほど扱いやすい便利な男はいなかったが、ゼインにしろ、マウアにしろ、どうして自分の周りにはこんな危うい人間しかいないのかという考えがよぎる。
「そうね。私はセフと共に遺跡に辿り着いたことがある。だから場所は知っているわ。そこには巨大な聖盤があるの。あの力を使うことが出来たら……状況は一変するわ。そこで今度こそ、証人を祭壇に捧げ、予言を成就させるのよ」
今のフィティナに何か具体的な勝算があるわけではない。バヤンガンの力をもってすれば一大勢力となってこの忌まわしい世界を支配下に置けるだろうと思っていたが、そうは上手くいかなかった。ただ、それだけだ。以前に見た巨大な聖盤をどう使うかなど見当もつかなかった。
(もう一度あそこに行けば……きっと何かがある。セフと私に聖盤をもたらしてくれたように……)
フィティナは何か…自分の中で何かが綻びかけているのを感じていた。あのろくでもない男に褒められるまま……自分がでっち上げた教義に、いつのまにかがんじがらめにされてしまったようだ。自分は……何のために黒の信徒を導いているのかすらもわからなくなっていた。




