第八章 ~花の残り香と、心の翼~(四)
悠たちは、モリト族の村へ向かってひた走った。サバンナの風景がすさまじい勢いで通り過ぎていく。半分を過ぎたあたりで、悠がルジナを気遣うように声をかけた。
「ルジナ。大丈夫?疲れてない?」
「ええ、大丈夫よ。この子たちのお陰でね」
ルジナを見ると、植物がロボに絡まりながらちょうど手綱を握れるようにしっかり固定されていた。それだけでなくお尻の下と腰のところには植物が編み込まれたように絡み合い、クッションのようになって上手く衝撃を吸収してくれている。植物のホダムが便利…というよりも、そうしたルジナの豊かな発想が、植物の力を活かし切っているといった方が良いだろう。
クレアはと言えば、走りながらも以前、この道を悠と一緒に旅した時の会話を一人思い出していた。遠くに巨大なアカシアの木を見つけた時は、
(あそこで、アースオーブンを使って調理したんだったわ……悠が、土を掘ってくれて…)
と、懐かしい気持ちで振り返っていた。
(モリト族の村からルジナの村の谷へ戻るときは、何も目に入っていなかった……。サリが心配なこんな時に、こんな事を思い出してしまうなんて…)
そうは思いながらも、やはりこうして悠と一緒にいるということが、クレアには嬉しかったのだ。
足裏に感じる土の感触が徐々に湿り気を帯びてくると、遠くにモリト族の森が見えてくる。走りながら悠が尋ねた。
「クレア……村の様子、どう思う?」
「そうね…静かだわ。もう、黒の信徒との戦闘は終わっているのかもしれない」
「うん。僕もそう思う……このまま村の中心まで行こう!」
夕暮れが迫っていた。悠たちは森の中へ入ると速度を落とした。
モリト族の村は、一見すると平穏な夕暮れの光景だった。高床式の家々から夕食の匂いが漂い、子供たちが橋のような通路を走り回っている。遠くからゴンドランの音が低く聞こえてくる。だが、よく見ると村人たちの表情には普段とは違う緊張の色が残っていた。互いに声を潜めて話し合っている大人たちの姿が目についた。
悠たちの姿を見つけた見張りの男が、驚いた様子で駆け寄ってきた。
「ユウ!クレア!……それにルジナ様まで!」
「サリは無事!?」
悠が切迫した声で尋ねると、男は驚いた表情をし、すぐに険しい表情になりながら答えた。
「なぜそれを!?…アディリ様のところに。サリ様とリンバが……」
それだけで十分だった。悠はルジナを乗せたロボを促して、アディリの住まいへと急いだ。
アディリの部屋の前には、村の男と女たちが数人、心配そうに外で控えていた。その中にアディリの姿があった。いつもの穏やかな目に、深い憂いの色が宿っていた。
「アディリ!」
悠の声にアディリが振り向くと、その後ろに意外な人物を見つけて目を見開いた。
「おおっ、ルジナ!……どうしてここに!?」
「お久しぶりね、アディリ。ユウがお孫さんの危機を察知して連れてきてくれたのよ」
アディリは奇跡でも見るような表情で、悠を見つめた。
「アディリ……サリは?」
「この中に。かろうじて意識はあるが……どうやらリンバの力で毒の進行を抑えているようなのじゃが、そのせいかリンバが先に限界を迎えそうでな」
アディリの声が、珍しく僅かに揺れていた。テナンが、アディリに寄り添うようにその巨体を静かに押し付けている。
アディリがそう洞察したのには、理由があった。元々こうした熱帯雨林には様々な毒素を持つ植物が自生しているため、マレーバクのテナンもまた1種類の植物を大量に食べることを避け、様々な植物を少しずつ食べて毒の効果を無力化していることを知っていたからであった。こうした独自の生態系適応能力にたいする知識というのも、森に生きる人々の観察による知恵であった。
「すぐに診せてちょうだい」
ルジナは緊迫した面持ちで告げると、アディリに促されて部屋の中へと入っていった。中では、女が一人、甲斐甲斐しくサリの汗を拭いてやっている。
「これは……!?」
悠やルジナが驚くのも無理はなかった。サリは獣人化したままの姿で、リンバと共に横になっていたのである。
「なるほど……アディリが、このホダムの力で進行を抑えているという意味がわかったわ。噛まれた傷跡は…これね」
ルジナはサリの腕を見ると、すぐにあらかじめ用意しておいた花を取り出し傷口に当てた。花の根がみるみる長く伸びてサリの傷口に入り込んでいく。悠とクレアはバラカ達からルジナの毒治療の話は聞いていたが、実際に治療の様子を見ているとまるで不思議な魔法を見せられているような気分だった。
「花が……」
誰かが声をあげた。サリの体の中に張り巡らされた根が、ゆっくりと毒や汚れた血を吸い上げていくに従って、茎や花びらがどす黒い赤に染まっていく。ルジナの時よりも血の色が混じっているのは、手当に入る時間が遅くなったせいであろう。それだけ毒に血が侵されてしまっていたのである。
「クレア。もう一本、花を取ってくれる?」
ルジナがクレアに指示をしながら当てていた花を引き抜くと、サリの身体から長い根が出てくる様子が少しグロテスクに見えた。ルジナは気にもかけない様子で二本目の花を当てた。再び根がサリの体の中に入っていき、毒と汚れた血を吸い上げていく。
「あ……メタモルフォーゼが解けていく…」
サリから生えていた牙が普通の犬歯の大きさに戻り、身体も元の状態へ戻っていく。荒かった呼吸は落ち着き、静かな寝息へ変わっていった。サリが危機を脱したことにホッとすると、悠は慌てて気づいたように言った。
「そう言えば、アディリはリンバの方が先に限界を迎えそうって言ってたけど……」
「大丈夫よ。このホダムはサリのことを助けようとして力を分け与えている状態だったの。その負担が減れば少し持ち直すわ。とは言え、こちらも急がないといけないのは確かですけどね。クレア、サリにこの薬を飲ませておいて」
ここでもルジナはテキパキと指示を出したり、皆を安心させるように説明をしながら処置をしていく。こうしてサリとリンバは危機を脱したのであった。
サリが目を覚ましたのは夜半過ぎだった。部屋にはアディリの姿はなく、サリの傍には悠とクレアがお互いに寄りかかるようにしながら眠っていた。
「う……ん……ユウ?クレア……」
サリは、うっすらと目を開けると呟いた。微かな声ではあったが、サリの声に反応して悠とクレアが目を覚ました。二人はすぐにサリの元に近寄ると、サリの顔を覗き込んだ。
「ユウ……クレアを見つけたのね……良かった…」
サリは、霞む目で白い肌と金髪の輪郭を認めると、うっすらと優しい微笑みを浮かべた。
「サリ…、具合はどう?」
クレアは、サリの言葉と表情に申し訳なさと感謝の気持ちを覚えながら尋ねる。
「ええ…だいぶ体が楽になったわ……」
その言葉を聞いた悠はそっとサリの手に自分の手を添えて、安心させるように言った。
「サリ、ルジナが手当てしてくれたんだ。もう大丈夫だよ」
「え……ルジナが?どうして…?」
「シオンのお陰だよ。ちょうどルジナのところで話をしていた時に、シオンの『精神の翼』で一瞬だけどサリが倒れている姿が見えたんだ。その時、黒の信徒の身体に蛇が巻き付いているのを見て、もしかしたらルジナを襲った人物と同じじゃないかと思ったんだよ」
「……そうだったのね。シオンが……おかげで助かったわ」
悠とサリが見つめあう。そんな二人の様子を、クレアが隣でそっと見守る。その表情は微かに笑みを浮かべていた。今のクレアにとってサリは妹のようなものであり、三人の関係はもはや家族のような信頼関係を築き上げていた。
「サリ、ユウ。もう休んだ方がいいわ。話は明日あらためてすることにして、今はゆっくりと体を休めることにしましょう」
頃合いを見計らってクレアが声をかけた。ユウとサリは、普段と変わらない……いや、どこか以前よりも柔らかで優し気な印象のクレアに思わず微笑みを浮かべながら頷き、それぞれの場所で横になって目を閉じた。
翌朝。悠が目を覚ますとルジナがサリの様子を見ていた。クレアも少し前に身を起こしていたようで、座ったままルジナを見ている。
「おはよう、ルジナ」
ルジナは悠を振り返ると、『静かに』というように、そっと唇に人差し指を当てた。サリはまだ眠っているようだ。
「……おはよう、ユウ。サリはすっかり良くなったようね。呼吸も安定しているわ。もう少しこのままにしておいてあげてね」
ルジナは小声でそう言うと、悠とクレアを手招きしながら部屋の外へ出る。部屋の外にはアディリとテナンも控えていた。
「アディリ!おはようございます」
悠とクレアが口々に挨拶をすると、アディリは頷いて挨拶を返した。
「おはよう、ユウ、クレア。実は二人と話がしたくての」
「話?」
「うむ。ユウのお父さんと、この世界のことについてな」
悠は一瞬驚いた表情をし、すぐに真剣な目になって頷いた。
「……ここではなんじゃから、場所を移そうかのう。ルジナ、せっかく来てくれたのじゃ。村の様子でも見ていくとよかろう」
「ええ。アディリ。こんな機会はめったにありませんから、楽しみだわ」
アディリとルジナが先頭に立ち、悠とクレアがそのあとに続く。村の中を歩き始めると、すぐに村人たちが気づいて集まってきた。
「おおっ、アディリの隣にいるのはルジナ様じゃないか!?」
「あれが、ルジナ様!?」
「ルジナ様がいらっしゃった!」
子供たちが真っ先に駆け寄り、ルジナの手を取ろうとする。ルジナは一人ひとりに優しく目を向けながら、その小さな手を握り返した。
「まあ、元気そうな子たちね。皆が無事でよかったわ」
ルジナの目は慈しみの光を湛えながら、子供たちを見つめる。
「この村は……本当に森と一体になっているのね」
ルジナは足を止めて、木々の間に吊り下がるように建てられた家々を見上げた。高床式の家と家を繋ぐ橋のような通路を、子供たちが笑いながら駆け回り、大人たちはその樹と一体になったような家でそれぞれの日常を送っている。
「ダナ族の村とはずいぶん雰囲気が違うのじゃろうな」
アディリが穏やかに言った。
「ええ……でも、同じものを感じるわ。生命と共に生きている……そう、それこそ私たちの本来あるべき姿なのだわ」
全身で生命の息吹を感じるように、ルジナは両手を広げた。アディリは深い共感を示すように頷く。緑溢れる村の中で、二人の長老は、互いに微笑みを交わした。長い年月を経た者同士にしかわからない、言葉の少ない会話だった。悠とクレアはそんな二人の様子を眺めながら、心の奥底から畏敬の念が湧き上がるのを感じていた。
(やっぱりこの二人はすごい……)
植物の守護獣を持つルジナと、争わない守護獣をもつアディリ。
村を一通り歩いた後、アディリは皆を村のはずれへと案内した。木々が徐々に低くなり、視界が開けていく。やがて小高い丘の上に出ると、そこからは遠くまで見渡せる景色が広がっていた。
「おお……」
アディリと共に先を歩いていたルジナが思わず声を上げた。悠とクレアの目もまた、その景色に惹きつけられた。
サバンナの大地が果てしなく広がり、その遥か北の方角に、雲を突き抜けるように連なる山々のシルエットが浮かんでいた。朝の光を受けて、山肌はうっすらと青みがかった紫色に染まっている。
「あれが……ルガ族の山…」
悠が、息を呑むように呟いた。
「そうじゃ。この世界の果ての一つ……北の世界の果てよ」
アディリは静かに言った。悠はまるで引き寄せられるように、アディリとルジナの前に立ってその山々を見つめた。




