第七章 ~月と太陽と、もう一つの世界の果て~(四)
(ルジナ…無事でいてくれ!)
悠は祈る思いで一気にサバンナを駆け抜けた。遠くにルジナの村が見えてきた!と、思ったその時だった。
「よう、お帰り。お二人さん」
悠とサリの耳元で、突然声がした。
「ルジナは無事だぜ」
(……これは獅子吼!?)
「ジャヒ!!」
そう、それは紛れもない、ジャヒの声だった。悠が近づくにつれて、ジャヒの背後に黄金の毛並みをしたライオンが控えているのがわかった。
「あれは…!?……バヤンガンじゃない。ホダム!」
悠の目が喜びに輝いた。悠は、彼がホダムを従え、穏やかな顔で村の入り口に立っているのを見て、すべてを察した。
「ジャヒ!何があったかわからないけど、村を助けてくれたんだね!」
彼の前に立つなり、悠は確信を込めた声で尋ねた。その真っすぐな瞳が、ジャヒの心には少しこそばゆかった
「相変わらずだなあ、お前は。…でも、俺は助けるどころか、そもそも俺たちのせいでルジナの村を巻き込んじまったんだ。ルジナ達には申し訳なく思っている」
「一体、何があったの?」
「フィティナさ。あいつが、黒の信徒たちを引き連れてやってきて、俺たちの身柄を要求したんだ。ルジナは…俺たちを仲間だと…家族だと言って、黒の信徒の裏切り者などいないときっぱりと言ってくれた」
悠は、ジャヒの口から語られるルジナの姿に、胸が熱くなった。
(やっぱりルジナはルジナだ……なんて崇高な魂なんだろう……)
「…この守護獣、アルタンは、その時に現れてくれたんだ。そのお陰で、一度は俺たちが有利になったかと思われたんだが、フィティナの妹マウアのバヤンガンのお陰で、ルジナはパフアダーに噛まれちまったってわけさ」
「ええっ!?パフアダーの毒って猛毒じゃない!!それでもルジナは無事だって言うの?」
サリが驚きの声をあげた。パフアダーの毒に対して有効な薬など聞いたことがなかった。
「俺も直接見たわけじゃないんだが、なんでもホダムの力を使って植物に毒を吸い取らせたらしい。さすがは天下に名の知られた植物使いのルジナってところだな」
悠はジャヒの説明を聞いて、ホッと胸をなでおろした。
「そうなんだ……本当に良かった。ジャヒ、ルジナのところに案内してもらってもいいかい?」
「もちろんだ。処置も完璧だったし、薬も効いているだろうから、そろそろ目を覚ましてもおかしくない頃だろう。さあ、行こう!」
白に近い肌をした悠と、黒い肌のジャヒ。白銀の体毛を持つロボと、黄金の鬣を揺らすアルタン。そこに茶褐色の肌をしたサリと、オレンジ色の巨体を持つリンバ。 彼らが並び立つ姿は、まるでルジナが理想とした『色とりどりの豊かな世界』そのものが、そこに映し出されているかのようだった。
「……んっ……ユウ?」
ルジナが目を覚ますと、まず最初に飛び込んできたのは悠の心配そうな表情であった。
「うん、ルジナ。僕だよ」
「……どうしてここへ?クレアも一緒なの?」
ルジナの表情に、嬉しさや安心感が広がっていた。当分会えることはないと思っていた矢先――いざ、こうして顔をみると、いかに自分の中にぽっかりと穴が開いてしまった状態だったのかということを思わずにはいられなかった。
「ううん。クレアはモリト族の村にいるよ」
「…そう。あなたのことはジャヒやテボホから聞いていたわ。悠は相変わらずね」
ルジナは微笑んだ。まだ完全に体が回復しているわけではなさそうだが、悠と会話しながら笑顔になるたびに、その声や手の動きが力強さを取り戻しているかの様だった。
「とにかく、ルジナが無事であることがわかって安心したよ。クレアにも伝えておくね」
「ええ。それにしても…どうしてこの村へ?…隣にいるのはモリト族のお嬢さんね」
ルジナが先ほどからその存在に気づいていたように、視線を移した。
「うん。アディリのお孫さんでサリって言うんだ。僕がこの世界に来たばかりの時に、黒の信徒から助けてくれたんだよ」
「まあ……アディリの……。よろしくね、サリ。このような姿で見苦しいところを見せてしまって恥ずかしいのですけれど…」
「いいえ、ルジナ。ジャヒたちから話は聞きましたわ。尊敬いたします、慈悲の人ルジナ」
そう答えるサリの真っすぐで澄んだ瞳に、ルジナは深い笑みを浮かべた。サリの素直な言葉の中に、どこかアディリの面影を感じていた。
「おじい様……アディリはお元気にされているのかしら?」
「ええ。おじじ…アディリは相変わらず、テナンと一緒にのんびり過ごしていますわ。アディリも、ルジナのことを気にかけていました」
「そう。私からもアディリによろしくね」
二人の会話がひと段落するのを待って、悠が改めてルジナに向かって話し始めた。
「それでね、さっきのルジナの質問なんだけど、僕たちは、世界の果て……マジマクウを見てきたんだ」
「おお……そうだったのね。悠は世界の果ての姿を見て……どんなふうに感じたの?」
そのルジナの深く問いかけるような目に、悠はルジナもまたあの壮大な景色を見たひとりなのだということを確信した。
(ルジナも……あの景色をみたんだ……。その時、ルジナの様子はどんな感じだったんだろう?やはり僕と同じようにこの世界の真実に圧倒されたのだろうか?)
「……あまりの壮大さに、言葉を失ったよ。自分の中で何かが大きく変わった気がした……」
「ふふっ、悠の目を見ればわかるわ。そちらのサリの目もね。そう……あの景色を見た時、私もユウと同じだった。言葉を失ったわ……」
ルジナの表情は、まるで目の前にマジマクウの壮大な景色が広がっているかのように夢見心地な微笑みを浮かべており、若々しい冒険心が彼女の中で甦っているかのようであった。
「もちろん、誰もが同じように感じるわけではないでしょう。……意外と、世界の真実に触れるということは、そんなものかもしれませんね。ふふ…久しぶりにワクワクしたわ、ユウ。私はもう少しだけ休ませてもらいますね。……今日は、あの谷に泊っていくのですか?」
ルジナが尋ねた。悠は思わずハッとしながら、なんだか罪悪感に似た感情が微かによぎるのを感じた。
(クレアと二人で過ごした谷に、サリを連れて行く……。別に大げさに考えることはないはずなのに、どこか後ろめたい感じがしてしまうのはなぜだろう……)
「…うん。今日はもう少しジャヒやテボホと話をした後、谷に泊ることにするよ。明日の朝には出発して、モリト族の村へ戻ろうと思う。水飲み場に行くと言ったままだいぶ日にちが過ぎちゃったから、アディリやクレアも心配してるだろうしね」
悠たちがルジナの住まいを後にし、あらためてバラカやジャヒ、テボホ達との話がひとしきり弾んで、谷へ戻った時にはもう夕暮れになっていた。
「……ここだよ、サリ。僕はここでクレアと一緒に住んでたんだ」
悠がサリを案内する。久しぶりに見る谷の様子は、まだそれほど時間がたっていないというのに、懐かしいというよりはどことなく寂しげに映った。
「へえ。周りは岩に囲まれているのね。私の村とは雰囲気が全然違うね」
サリに言われてみれば、この谷はルジナが出入りしていた出入り口を除けば花や植物もほとんどなくがらんとしていて、なぜか無表情だったころのクレアの顔が浮かんだ。
(あの頃は、どうしてこの場所をあんなに華やかに感じていたんだろう……)
そんな岩場だけの過去の住処には、悠のいろんな想い出が詰まっていた。クレアがいつも座っていたところから下を見れば、レイラに追い回されていた自分の姿が浮かんだ。
(あの姿は僕……あの時、クレアは、いきなり僕を鍛えてくれようとしたんだ……不器用なクレアらしいなあ。……そうそう、ここに座って瞑想していたクレアをびっくりさせてやろうと思ったこともあった……)
悠は、どこか自分が感傷的になってしまうのを感じながら、それを振り払うようにサリに声をかけた。
「……サリ、この上に眺めのいい場所があるんだ。……マジマクウを見た後では、見劣りしてしまうかもしれないけど」
悠とサリは、造作もなく崖を登っていく。久しぶりにその眺めを見た時……なぜか悠の目に涙が溢れそうになった。
「素敵……ここは、悠にとってとても大切な場所なのね」
サリは悠の傍に並んで立って、サバンナの夕日を見つめた。その言葉には、お世辞でも何でもない、真実の響きがあった。
「うん……」
悠はそれ以上、何も言うことが出来なかった。確かに、素晴らしい夕日とサバンナを一望する眺めではあったが、この世界ではありふれた夕日の姿でもあった。
「……悠は、クレアのことが好きなのね」
ふいに、サリの声が聞こえた。悠はサリの方をハッとした表情で振り向くが、言葉が出なかった。
「ここに来た時から…、ユウから寂しさが伝わってくる……。私は、そんなユウも好きよ」
あまりにも真っすぐなサリの言葉であった。悠はなんと答えたらいいのかわからなかった。自分がサリに特別な感情を抱いていることは自覚していた。クレアに対して憧れを抱いていたことも自覚している。だが、こんな時……自分はどうしたらよいのだろう?
「気にしないで、ユウ。自分の中の美しい音楽の響きを、消すことはないわ」
悠の心の葛藤を見透かすかのように、そう微笑みかけると、サリは悠に向かって手を差し出した。悠は戸惑いながらサリの手を握った。サリは悠の手を引いて、リンバの元へ行くと、いつものように一緒に寝るように促した。悠のすぐ目の前に、サリの顔があった。息がかかりそうなこの距離の中、サリは目を閉じて耳を澄ませるような仕草をした。
「私には、聞こえる…。ユウの中で今、二つの音楽が鳴っているの……きっとそれはいつか、お互いを打ち消し合うことなく重なり合って、より重層的な、素敵な音楽になってこの世界中に響き渡るんだわ」
サリの言葉は抽象的で、今の悠にそのイメージを推し量る心の余裕はなかった。ただ、わかることは、自分がクレアにおそらく憧れ以上の気持ちを持っていることと、サリがそんな悠のことを受け入れてくれており、こうして二人で寄り添いながら寝ていることは、決して文化の違いからではなかったという事実だった。
――次の日の朝。
村の前を通りかかると、ジャヒにテボホ。そしてバラカにルジナが悠の見送りに出てきてくれていた。
「じゃあな。気を付けて戻れよ」
ジャヒが獅子吼で、悠とサリの二人に声をかけてくれた。悠とサリはみんなに向かって大きく手を振って別れを告げると、モリト族の村へと足を進めた。悠は早くモリト族の村へ戻ってクレアに会いたいという気持ちはあるものの、クレアに会ったらどんな顔をすればいいんだろうと気後れする気持ちが交差して、足取りは重くなりがちだった。
「ユウ」
サリは、そんな悠を包み込むように、変わらぬ微笑みと共に手を差し伸べた。
「サリ……。ありがとう…」
悠は、サリと手を繋いで歩き出した。サリの温かな気持ちが掌を通して流れ込んでくるのが分かった。
急げば今日か明日の午前中にはついてしまう距離だったが、悠はシオンの『精神の翼』の検証を理由に自分を納得させながら、今夜は野宿することにした。
昼間、サリとの会話はほとんどなかったが、二人の心の中で、今まで以上にお互いの手を繋ぎあうことに特別な意味を感じていた。それは一言で言うなら『信頼』だった。無理に答えを出す必要はない。サリにも葛藤がないと言えば嘘になるだろう。それでも二人は……14歳の少年と少女は、前を向いて歩きだした。
夜。悠はサリが寝たのを見計らって、そっと起き上がった。
「シオン……また協力してくれるかい?」
ロボの上で丸くなっていたシオンは顔をあげると、いつものように腕を伝って悠の肩に飛び乗った。
空を見上げると、星空に混じって、細かった三日月がほんの少しだけ太くなっていた。
(クレア……)
悠は三日月を見ながら、クレアのことを思った。ルジナを『精神の翼』で視界共有したときとは、少し距離が離れていた。そのことに少し不安を感じながらも悠はシオンに指示を出した。もし届かないなら、一人でもう少し近くに行ってみるまでだ、そう思いながら。
「……シオン、頼む」
シオンと悠が目を閉じると同時に、懐かしいクレアの姿が映像に映った。
(クレア……)
悠の胸が高鳴る。シオンの視点は、クレアの斜め後方から捉えていた。美しい金髪が、蒼い夜空に浮かび上がって神秘的な雰囲気を醸し出していた。クレアもまた月を眺めていたのだ!シオンの視点がゆっくりと回り込むように斜め後方からほぼ真横からの角度に移動したとき、ふいにクレアの口元が動いた。
「ユウ……」
その唇が、そう呟いているように見えた。




