第六章 ~大地に還る命と、近づく心~(四)
「サリ、世界の果ての大滝を見に行こう!」
「えっ!?…ユウ、いきなりどうしたの?」
サリが、驚いたような表情で悠を見つめるが、それはすぐに嬉しさに変わった。
(ユウと二人で、マジマクウを見に行く…すごく素敵だわ……)
「これには目的が3つあるんだ」
悠は理由を説明しようとするが、すでにサリはその理由はどうでもよかった。悠と二人でいられることがサリにとっては喜びだった。
「まず一つ目。ミーアキャットの追跡を振り切ること。これから大滝に向かう間、彼らがどこまで追いかけてくるか。どのくらいの速度なら振り切れるか。また、使役者はわからないけど、どのくらいの距離まで使役者とミーアキャットのコントロールが効くのかを今後探っていきたいと思っているんだ」
悠はまず一つ目を一気に説明した。サリは、なるほどといった表情で深く頷いた。確かに、これから悠と二人で一緒に行動するというのに、ずっと覗かれている気分なのは不愉快以外の何物でもない。二人だけの時間を邪魔されたくはなかった。
「二つ目。相手を攪乱させること。ここから南には村も何もないから、当然、ミーアキャット達はきっと僕らがどこかで北の方へ方向を変えて、モリト族の村へ戻ると考えるだろう。もしかしたら、ルジナの村にも監視の目をつけるかもしれない。でも、僕たちはそのまま南の大滝へ行く。それにモリト族の村とルジナの村は距離があるからそんな遠く離れた所へずっとバヤンガンを配置していくことは無理だと思うんだ。そうすれば、彼らは僕らを見失うことになる。」
「フン、フン……」
サリは、頷いて答える。いつの間にか、悠の話を真剣に聞き入っていたのである。悠の説明は分かり易いし、本当に色々考えているのだなと改めて思わずにはいられなかった。
「三つめは、いったんミーアキャット達の追跡を振り切って、大滝という世界の果てを見た後は、ルジナの村に寄って迂回する形でモリト族の村へ戻ろうと思うんだ。かなり遠回りで時間もかかってしまうけどね」
「テボホ達の様子を見に行くのね!そして、ジャヒのことも」
「うん。ルジナのことだからきっと上手く彼らを受け入れてくれると思うんだけど、やっぱり気になるからね。そして最後に付け加えるなら……僕はその世界の果てというのを見てみたいんだよ。この目で。そのことは、きっと父さんと再会したときに役に立つはずだからね」
悠の目は、14歳の少年らしい好奇心と冒険心に輝いていた。未知のものに対する憧れが、悠の心の中で大きく膨れ上がっていたのである。
「シンね!この世界の謎を解くんだって言ってたから、きっと役に立つわ。そう言えば私、シンにはマジマクウを見たことは言ってなかったけど……でも、悠が直接見てお話ししてあげた方が、もっといい結果に繋がると思うわ!」
サリの目もまた輝いていた。二人の心はこれから始まる大冒険に、胸が躍るのを抑えきれなかった。
「…サリ。明日に備えて少しでも寝ておこうか?」
現代社会なら「深夜0時を回ったから、もう今日だけど」と付け加えるところだが、ここでは夜が明けたら明日だ。それ以上細かいことは気にしない。
「うん、ユウ!」
目と目を合わせて微笑みあう。悠とサリは自然に体を寄り合わせながら横になった。お互いの体温を感じたと思った時には、二人はもう軽い寝息を立てていた。
――翌朝。
昼間は暑いサバンナも、朝は爽やかな空気が流れていた。悠たちが昨日テボホが休んでいたところを訪れた時には、テボホ達の姿はもうなかった。
「テボホ達はもう、出発したみたいだね」
あたりを見渡しても争った形跡もないし、不穏な空気も感じない。やはりかなり早い時間に出立したようだ。
「ジャヒは、結局どうしたのかしらね」
それは悠も思っていたことだった。ジャヒのことは、現段階では何もわからないが、テボホ達が先に出発した理由には、悠の中に一つの仮説が浮かんだ。
「ジャヒのことはわからないけど、たぶん、昨日別れた後が、ミーアキャット達を振り切るチャンスだったのかもしれない」
「……どういうこと?」
サリが不思議そうに尋ねる。
「使役獣には使役者がいるということだよ。この場合、ペレレザということになるけど、彼だってずっと寝ないで起きているわけにはいかないからね。それにバヤンガンを使役している間は、何かしらの制限があるのかもしれない。聖盤との距離の問題とか、使用している時間とかね」
「そっかあ。つまり、ペレレザが休んでいる間にこの村を出て行った…というわけね」
「うん。今までの戦いを見てきた限りでは制限らしいものは見つからなかったから、やっぱりただ単に、ペレレザが休むタイミングを何かしらの形で計っていたのかもしれないけどね。今度テボホに会ったら聞いてみたいと思っているよ」
ロボの耳がピクッとした。何かが起こった気配に、悠たちの視線がロボの視線の先に注がれると、そこにミーアキャットが立っていた。
「やれやれ…。それじゃあ、サリ。作戦通りに行こうか」
「ええ、ユウ!」
サリが手を差し出してくる。悠は、もしかして…と思いながらサリの顔を見ると、その表情はどうやっても『手を繋ごう!』と言っているようにしか見えなかった。
(…まあ、いいか。相手はミーアキャットだし)
悠とサリは手を繋ぐと、堂々と水飲み場(市場)の入り口から出て行く。ミーアキャット達は一定の距離を保ちながら監視を続けている。だが、悠たちが目指すのはモリト族の村ではなく、南の方だった。自ら考えることをせず、ただ命令に従うだけのミーアキャットは、悠たちの後を追うようについていく。
(さて、ここからだ…)
「サリ」
悠が目配せして、サリに合図を送る。サリは頷き、二人は歩く速度を速めた。ちょうど馬の速足くらいの速度であろうか。ミーアキャット達は何とかついてくるが、徐々に水飲み場から離れるのを不安がっているようにも見えた。二人はさらに速度を速め、馬の駆け足くらいの速度で移動すると、あるところからミーアキャットの姿はピタリと止まってオロオロするばかりだった。
「……なるほどね。このくらいが限界ってわけだ」
悠の言葉を合図に、二人はゆっくりとした歩みにスピードを戻した。手はずっと握られたままだ。
(ある程度限られた範囲では、ミーアキャット達は厄介だが、広い場所にさえ出てしまえば振り切るのはさほど難しくないことはわかったぞ。あとは、僕たちのいる場所をなるべく予測させないことだ……)
「ああ、やっとスッキリした!ずっと誰かに覗き見されているみたいで、本当に嫌な感じだったんだもの!」
「あはは、そうだね。たぶん、この後はどこかに罠を張って監視をするんだろうけど、これから僕たちは世界の果てにあるという大滝を見に行くから、彼らの苦労は無駄に終わりそうだね」
「…でも……フィティナ達はまた、私たちの村に襲い掛かってこないかしら?」
先ほどまで悠と二人だけの旅に舞い上がっていたサリだったが、ふと思い出したように悠に問いかけた。今から引き返すことはとても残念なことではあったが、村やアディリの安全には変えられなかった。
「…たぶんだけど、すぐには襲ってこないと思うよ。なぜなら、聖盤破壊のことを知ってしまったからね。彼らはこれまで以上に慎重に行動すると思う」
サリが、なるほど!といった表情を浮かべる。
「それに、僕たちを見失ったことも彼らにとっては、不安材料に繋がると思うんだ。たぶんペレレザは、聖盤破壊の情報を得た功績と、僕たちを見失った罪の両方を問われると思う。功績の恩恵に十分にあやかるには、僕たちを探すことの方に注力すると思うんだ。まあ、これらはただの希望的観測でしかないんだけどね」
「ううん、ユウ。確かにユウの言う通りかもしれない。良かった……これで安心して、マジマクウに行けるわね!」
大いなる心配から解き放たれたサリの表情は輝き、心はすでにマジマクウへと飛んでいるかのようだった。ましてや、手を繋いだ隣には悠がいる。サリの乙女心は最高潮に達していた。
二人は、夜はアカシアの木の下でリンバを枕にしながら体を寄せ合って眠り、昼間はのんびりと会話を楽しんだり景色を楽しんだりしながら歩いた。
「ねえ、ユウが元居た世界ってどんなところなの?」
「……ああ、そうだなあ。この世界とは全然違うよ。あ……違うと言っても、それぞれ似たような場所はあるんだ。モリト族の村のような場所や、ルジナの村のような場所。だけど、僕たちの世界は、この世界よりももっともっと大きくてね。空を飛ぶ飛行機……って言ってもわからないか。つまり、空を飛ぶ大きな道具で何時間もかけていくような場所に点在しているんだ」
「全然、想像つかない……。ねえねえ。それで、ユウが住んでいる村は、どこに似ているの?」
サリが興味深そうな目で、食い入るように尋ねる。悠の住んでいた村が、少しでも自分の村に似ていてくれたら、どんなに嬉しいだろう……そんな心の声が聞こえてきそうだった。
「僕の住んでいたところは、どの村とも全然違うんだ。村じゃなくて街……いや都市と言っていいけど、そもそも街や都市という名前が初めてだろうね」
「うん……。それって、水飲み場のようなところ?」
「水飲み場よりもっともっと大きくて、大勢の人が住んでいるんだ。石みたいなもので出来た、たくさんの建物が並んでいて……」
悠は、元の世界の風景を頭に思い浮かべた。サリに何と伝えたら分かり易いかと言葉を探っているうちに、思い出されるもののほとんどは無機質なものばかりで、自分はどうやって普通にその世界で暮らすことができていたんだろうと感じ始めていた。
(空へ向かって競い合うように伸びるビルの群れ……地面はコンクリートで覆われ、土の感触を足裏に感じることもない。車や電車が絶え間なく行き交い、街にも家の中にも機械が溢れかえっている。空気には排気ガスが混じり、夜になっても街の明かりが途切れることはなく、星もほとんど見えない……)
「そうだな……もっと分かり易く言うと、僕の住んでいたところは、星が良く見えないし、人が星を見ることもほとんどない」
街を歩けば、広告や看板に車の騒音、いろんなものが目や耳に飛び込んでくる。目に見えるものも、耳に聞こえるものも……まるで、お互いに大声で叫びあっているかのようだ。
「そう……なのね。悠が住んでいたところって、あまり豊かなところじゃなかったのかもね……」
「豊かさか……本当だね」
(僕たちの世界には何でもあった……それこそ、テレビにパソコン、食料品から衣料品、生活に関係ない娯楽用のものからスマホまで……)
悠は、クレアが元の世界に戻ることを躊躇している気持ちが、少しわかった気がした。クレアと一緒にアースオーブンで食事を作った時もそうだが、この大地は色んな恵みを与えてくれていた。
「ユウ……聞こえる?」
つい、深い思考に入り込んでしまっていた悠がハッと顔をあげると、遠くから地鳴りのような重低音が響いてくるのが分かった。
「ふふっ、わかったのね。すごいでしょう?これが世界の果ての大滝の音……でも、まだあと一日くらいの距離があるのよ。まあ、私たちなら全力で駆ければあっという間についちゃうけどね」
まだ空気に大きな変化は感じられないものの、心なしか、足裏に感じる土が湿り気を帯び、ところどころ岩盤のようなものが混じり始めていた。
「……向こうにちょっとした山のような崖があるでしょう?あの上からの景色が最高なの。行きましょう!」
二日目の夜もまた、二人で寄り添うようにリンバにもたれかかりながら、星空を見上げていた。大滝の地鳴りのような音が微かに聞こえていた。
(明日はとうとう、世界の果てをこの目で見ることになるんだ……)
悠の心は、未知への探求心でワクワクするのを抑えられなかった。
「……ユウの世界では、こんなに綺麗な星が見えないのね……」
悠がまだ起きているのに気付いているように、サリがポツリと呟くように問いかけた。
「…うん。全く見えないわけではないんだけどね。だけど、星が良く見えたとしても、それをわざわざ見る人は少ないんだよ」
「……どうして?」
サリが不思議そうに尋ねた。夜に星を眺めるのは、サリにとってはごく自然なことだったからだ。
「僕も元の世界ではそうだったんだ……。その時の僕には、星を見ることより、面白いことや楽しいこと、やらなければならないこと、そんなことがいっぱいあったんだ」
「大事なことって、お祭りとか?」
「ううん。…そうだな、サリにはちょっと説明が難しいかもしれない。とにかく、そのくらい僕たちの世界とここでは違うってことなんだ」
「そうなのね……私もユウの住んでいた世界を見てみたいな……」
そんなサリの言葉に、悠が横を振り向くと、サリは空を見上げながら無邪気な目をしていた。それは、ただただ純粋に悠への想いが、そう発言させたのだろう。悠はそんな乙女心の機微を知ることはなかったが、サリのそんな横顔がとても美しく、眩しく映った。
「はは……そんなに良いところじゃないと思うよ。今の僕には、この世界の方がよっぽど素晴らしい世界のように感じるんだ。……サリ?」
悠が再びサリの方を向いたときには、サリは軽い寝息を立てていた。悠の言葉をサリがどこまで聞いていたかはわからない。悠は、星を見上げながら、自然にある言葉が漏れていた。
「…なんて、美しいんだろう……」
それが星のことなのか、サリのことなのか、それともこの世界全体のことなのか……悠にもわからなかった。
――3日目の朝。
悠はサリと一緒に小高い山の上を登りながら、少し前から空気がしっとりと湿り気を帯びているのを感じていた。地鳴りのような重低音がどんどん大きくなって、会話をするのも難しくなってきていた。
「もうすぐよ、ユウ!!」
サリが声を張り上げるようにしながら声をかけた。悠が頷く。
(もうすぐ僕は……、世界の果てをこの目で見るんだ!)
悠の脚が、早く見たいという誘惑と、真実を知ることの畏れのような気持ちの間で揺れていた。
「見てっ、虹!」
サリが指さす先に、滝のしぶきが作り上げているかのような白い霧に混じって、大きな虹が遠くに見えていた。おそらくあの白い霧こそが世界を隔てる壁なのだろう。滝の音は、もはや会話が不可能なほどに大きなものになっていた。悠はサリが指さした最後の崖を登ると、突然視界が開けた――。
悠の目に飛び込んできたのは――大地の唐突な、そして絶対的な『断絶』だった。
地平線の遥か彼方まで、まるで世界の縁を埋め尽くす海のように、膨大な水が広がっている。そしてその先端から、すべての水が底の知れない虚無へと一気に流れ落ちていた。轟音と共に立ち上る圧倒的な白い霧。霧と空の境界は曖昧になり、滝の底がどうなっているのかすらも見えない。ただ、その見えない奈落の底から、巨大な虹の橋が天へと向かって鮮やかに昇っていた。
これが世界の果て『マジマクウ』だった。




