第五章 ~名を持たぬ翼と、毒を纏う聖女~(四)
体長わずか30cmほどのシオンの脚は、165cmの身長をもつ悠の脚へと変化した。鷹と蛇、古来からの本能と本能のぶつかり合いだった。
「引け、バヤンガン!」
勝負を避けたのは意外なことにフィティナだった。未知の能力に闇雲に突っ込んでいくのは博打であると同時に、バヤンガンを失うことは幹部としての失墜を意味していた。
「…クレアもそうだけど……まさかその少年がメタモルフォーゼ(獣人化)の力を持っていたなんてね。しかも2体のホダムを持つ?そんなの聞いたことがないわ」
「えっ…メタモルフォーゼ?」
(メタモルフォーゼって僕たちの世界の言葉じゃないのか?しかも、黒の信徒がその言葉を知っていただなんて…)
悠の一瞬の呟きと表情を見て、フィティナの目が怪しく笑った。
「あら…余計なことを言ってしまったかしら?もしかしてだけど、あなたたちは知らなかったのね」
(…そうやって、なにかにつけさりげなくマウントを取るんだな、この女の人は…。確かに気にはなるけど、彼女の言葉からわかるのは僕たちが無意識に使っている力は、ある程度体系化されてるってことだ)
悠はその発想にいたると、微笑んだ。
「なに?その笑い。なんだか気に障るわね」
「聖女に気にかけてもらえるなんて光栄だなあ。もっと色々ご教授願いたいところだけど」
「…私があなたに何か教えたと?」
フィティナの表情が優しい微笑みに変わるが、笑っている口元とは裏腹に目は怒りに満ちていた。
「…まあ、いいわ。とにかく、証人を匿うというのなら、モリト族は黒の信徒の敵になるということね」
「……その言い方は少し違うかの。モリト族は、ルジナの村に次いで証人の味方になるということじゃ」
「いいこと言うじゃん、おじじ!!私たちはユウとクレアの味方だよ!!」
「アディリ!サリ!!」
悠とクレアが同時に叫んだ。
「やれやれ……あちこち移動するには老体にはきついわい。のう、サリ。フォッフォッフォ」
何気ないアディリの言葉が、急速に戦いの空気と聖女の狂った思考を雲散霧消していく。
「……で?その女の人、何言ってんの?私たちの仲間を殺しておいて、今更、敵も何もないじゃん?あんたたちが一方的に私たちの敵になったのよ!」
アディリとサリの登場によって、淀んでいた空気が澄み渡ったように軽くなったのを感じる。むしろ今はフィティナだけが浮いたような存在になっていた。
「アディリのホダム、テナン……戦わない守護獣。ほんっと厄介ね。まあ、いいわ。いずれにしても、あなたたちが『古の聖盤』について、何かしら関わりがあるってことはわかったわ。ムワンパとラヤが聖盤は捨ててきただなんて……言ってることがおかしいもの。一体何を隠しているのかしらねえ?」
「一つ確認したいんだけど、ムワンパとラヤを処刑したのはなぜ?」
悠の言葉は断定の響きを持ち、そこには押し隠された激しい怒りが籠もっていた。フィティナはすぐに答えようとしたが、一瞬、考えを巡らすようにしたかと思うとニヤリと嗤いながら言った。
「裏切ったから」
(ブラフだ!)
悠が、そう思った時には遅かった。一瞬の表情の変化から、フィティナは悠が『二人の生存と、彼らが秘密を守ったこと』を知っていると確信し、にやあっと嗤いながら付け加えた。
「ウフフ……馬鹿ねえ、あの二人。殺しておいてホントに良かったわ。まさか証人に肩入れするなんて…」
「フォッフォッフォ。それも証人の『力』なのではないのかの?のう、聖女フィティナよ」
フィティナの声に被せるように、アディリの声が響き渡った。ハッとした表情で悠はアディリを見つめる。
「黒の信徒をも、改心させる。それこそが『証人の力』だとは思わぬか?」
フィティナに反論の余地を与えぬほどの、アディリの説得力のある言葉に、フィティナは引き際だと悟ったようだ。
「まあ、いいわ。十分収穫は得たものね。一つ。モリト族の村が証人を匿っていた。二つ。証人は古の聖盤について何か隠している。次は、偵察程度では済まないわ。覚悟することね」
「それは儂たちも同じじゃよ。もうこれ以上仲間をやらせはせん。モリト族の長としてな」
聖女フィティナは一瞬、感情をあらわにしたような目でアディリを睨みつけたが、さっと身を翻すと大蛇のバヤンガンと共に去っていった。ザザーッと大蛇が移動するときに出す不気味な音が遠くなっていくと、その場にホッと安堵の空気が流れた。悠は彼らを見送りながら、残る口惜しさと共に今のやり取りを頭の中で分析していた。
(…感想戦に例えるなら……)
悠が例えた『感想戦』…それは将棋や囲碁における、独特の作法だった。対局の内容を終了直後に、お互いに検討しあうのである。「勝った者は、負けた者のために」…そういった矜持をもって行う棋士も少なくない。悠の頭の中で、戦闘の様子や、やり取りした会話が反省と共に再現されていった。
(…はっきり言って今回の内容は、正直、褒められたものじゃなかった。こちらも有益な情報は得ている。メタモルフォーゼという言葉からは、僕たちの力がある程度体系化されているということが予測できる。でも、フィティナにも同じだけ情報を渡してしまった。聖盤について何か隠していること、そして僕が二体のホダムを持ち、獣人化の力を得たということ……。悪い意味で相性が噛み合いすぎた。最後も「裏切ったから」という彼女の言葉で、一瞬、表情が出てしまったし…)
戦いの中で特に顕著だったのは、悠がフィティナの言葉に意識を誘導されてしまった場面だった。言葉の中に意味を探ろうとしたことが危機察知の空白を呼んでしまった。あれで完全に大蛇のバヤンガンから死角に入られてしまったのだ。
(……メタモルフォーゼを得て窮地を脱したのは完全に偶然だ。あんな形で力が発現するなんて、自分でも予測できなかった。運に頼った勝負は、悪手を指したも同じ。僕の負けだった。……そして、アディリの言葉。テナンの力もあるかもしれないとは言え、「黒の信徒をも改心させる。それこそが証人の力」という切り返しは、見事すぎた。あれは僕には咄嗟に出てこない言葉だ……)
悠は心の中でフィティナに礼をしていた。たとえ大事な勝負で負けたとしても、感想戦の後にもまた必ずお互いに礼を行う。それが悠なりのけじめだった。悠はアディリの元へ歩み寄ると、彼の正面に立って真っすぐに目を見つめ、お辞儀をしながらお礼の気持ちを伝えた。
「……ありがとうございます、アディリ。本当に助かりましたし、勉強になりました」
「ほほ、なんの。こちらもユウのおかげで村人たちが助かったわい。…それより気になることがあるんじゃろ?こちらは気にせん良いからサリに聞くといい」
(本当に、アディリは、人の心の機微を読んでいるんだな…)
ほんの小さな意識の流れ、それをすら見られているようだと思った。悠はアディリにもう一度軽く頭を下げると、サリの元へ向かった。
「サリ!水飲み場の様子はどうだった?もしかして、男女の遺体が晒されてなかった!?」
「…うん、晒されてた。酷いことするよ、あいつ等。あの二人、魂が縛り付けられたままで、今もどんなに苦しんでいるか……」
「遺体は土に埋めてやらなかったの?」
「…それが、黒の信徒たちが遺体の前に立っていて、手が出せなかったのよ。それは、リンバがいれば彼らを倒すのは簡単だけど……それじゃ、新たな諍いの種になるわ」
「…そうか。……サリ、僕をそこへ連れて行ってくれるかい?彼らの遺体を大地に還してやりたいんだ!」
「ユウが?でも、それじゃあユウが狙われてしまうかも……」
「それでも良いんだ。どのみち、ここにいたままではアディリやサリ達にも迷惑がかかるし、僕たちが実際にその存在をアピールすることで、賛同者を増やしていきたいんだよ。それ以前に、僕はその二人……ムワンパとラヤをどうしても大地に還してあげたいんだよ」
(フィティナは言ってた。「ムワンパとラヤは、聖盤を捨ててきた」と)
その言葉が示しているのは一つだった。悠の心の中で熱いものがじわじわと滲み出てくるようだった。
(ムワンパ、ラヤ……僕たちのために聖盤破壊のことを黙っていてくれたんだね…)
悠の頭の中に、夕日の中で二人と別れた時のことを思い出していた。まさか、あんな一方的な会話の後に、大事な情報を秘密にするなど思いもよらないことだった。二人の表情は、悠の言葉にただ戸惑っているだけの様だったからだ。
(こんなことがあるなんて……なんだろう、この気持ち。もしかしたら、僕たちはいい友人になれたかもしれないのに…)
悠の気持ちは、早くも水飲み場へと向いていた。
「わかったわ、ユウ。どうする?これからすぐ出発する?」
「うん。一刻も早く二人を埋葬してあげたい。サリは今着いたばかりで疲れていると思うけど……大丈夫?」
「もちろんよ。全力で駆ければ夕方には着くと思うわ。クレアは?」
途中から会話を聞いていたクレアは、静かに首を横に振った。
「私はいかない方がいいと思うわ。かえって大騒ぎになってしまうと思うし……ユウとサリが一緒なら、きっと大丈夫だと思うわ」
二人はクレアの言葉に頷き、悠はしゃがんでロボを撫でながら話しかけた。
「行くよ、ロボ。また力を貸しておくれ。シオン、準備はいいかい?」
「行くわよ。リンバ!!」
サリを肩に乗せたリンバが猛烈な勢いで走り出した。悠の隣ではロボが銀色の光を描きながら、肩に乗ったシオンは飛行体制を取りながらその疾走を愉しんでいる。
「すごいじゃない、ユウ!!完全にホダムの力を自分のものにしているのね!!走る雰囲気がロボとそっくり!」
「サリこそ、まだまだ色んな力をリンバから授けられているみたいだね!」
「ふふっ、まあ、使わなくて済むならそれに越したことはないけどねえ。そう言えば、その子。鳥のホダムはどうしたの?モリト族のホダム使いと同じホダムみたいだけど…」
シオンは飛行体制を取りながら、ちらっとサリの方を見た。ただ、それだけの視線だけで、サリは何か悟ったようだった。
「そう……、その子は本当はユウの元に現れるはずのホダムだったのね。名前は何て言うの?」
「シオンだよ」
「シオン……なんだか、不思議な響きね。ユウの世界の言葉かしら?とっても素敵。よろしくシオン」
「キィキィッ」
シオンがサリの目を見ながら答えた。そんな会話をしているうちに、足の裏が伝える感触が、森からサバンナへと戻ってきたことを告げていた。視界が大きく開け、背の高くとがった草と、悠々とした草原の中をゆっくり練り歩く動物たちの姿が目に飛び込んでくる。
「懐かしいなあ…。たった数日離れただけなのに」
そう呟く悠たちのスピードは、おそらくこのサバンナたちのどの動物よりも早かったに違いない。同じサバンナと言っても、このあたりは悠にとっては初めて見る光景に感じられた。足裏の感覚も、土が乾いている中にもややしっとりとした感触があるし、前方から何となく湿った空気が風に乗って漂ってきている感じがした。
「水飲み場はもうすぐよ。黒の信徒たちに気を付けて!」
大きな村の入り口のようなものが遠くに見えた。そこから少し近づいたところで、悠たちは速度を緩めた。ゆっくりとあたりを見回しながら村へと近づいていく。
「にぎわっているって聞いてたけど、あんまり人の気配が感じられないなあ」
「そうね。広場の遺体の件が落ち着くまでは、市場に人も集まらないかもね」
悠は入り口を見上げた。
アカシアの木を組み合わせて作られた、粗削りだが力強い門構え。その両脇には、見張りを兼ねているのだろうか、槍を持った黒い肌のダナ族が無言で立っていた。どうやら雰囲気的には黒の信徒ではないらしい。悠を見て、怪訝そうな表情を浮かべている。
「こんにちは。市場は開いてるの?」
サリが堂々と見張りに声をかけた。後ろに従えているのは明らかにモリト族のホダムらしいと悟った見張りは、警戒を解きながら答えた。
「ああ…いや。あれがある間はどうしようもないだろうな」
見張りのダナ族は、親指で奥を指差した。門をくぐった先に悠が視線を送ると、奥に一本のアカシアの木が立っていた。二つの人影が、そこに吊るされていた。
(ムワンパ……ラヤ……)




