第五章 ~名を持たぬ翼と、毒を纏う聖女~(一)
木々の間から漏れていた細く温かい光はやがて大きく広がり、視界が開けた。
「ここが私たちの村よ!」
サリが、悠たちを歓迎するように両手を広げながら、言った。
巨大なフタバガキの木々が天蓋のように枝を広げる中、高床式の小さな家が、まるで木の実がなるように木々の間に吊り下がっている。地上から数メートルの高さに設けられた家々の床には柔らかな草が敷き詰められ、建物からは、友人を迎え入れるかのように細い縄梯子が垂れ下がっていた。
家と家との間には、細い橋のような通路が木々の間を縫うように空中を繋いでいる。まるでアスレチック・ランドのようだ、と悠は思った。家と木と空が幾重にも重なり合い、村と森とが混然一体となっていた。
「すごい……森がそのまま村になってる…」
悠が呟くと、サリが誇らしげに胸を張った。
「そうでしょう?私たちは森の木を切ったりしないの。森と共に暮らすのよ」
サリの言葉を優しく肯定するかのように……聞こえてくるのは、鳥の声、虫の声、遠くを流れる川のせせらぎ。そしてその全てに溶け込むように、ゴンドランの音が低く響いている。湿った空気には、腐葉土と花粉と、どこか甘い果実の香りが混じり合っていた。
(……鳥の声や虫の音まで、歌っているみたいだ…。そう……自然が奏でるヒーリングミュージック……)
悠はしばし目をつぶって、自然とゴンドランのハーモニーに感覚をあずけた。森林浴の効果で知られるフィトンチッドを浴びながら、悠は体の中の細胞が爽やかな緑でリフレッシュされていくような感覚を覚えた。悠の足元に、銀色オオカミのロボが静かに身を寄り添っている。
村人たちが姿を現し始めた。茶褐色の肌に、鮮やかな植物染めの布を纏っている。それと共に、ゴンドランの音が変わった。
「……音が、変わった」
「そう。歓迎の合図よ」
サリがそっと教えてくれた。
「モリト族は、音楽で伝えるの。あの音は『ようこそ、我らの森へ』という意味よ」
「おおぉ……証人…」
「証人だ……」
人々が口々に、感嘆に似た声をあげる。その表情は、黒の信徒たちのような目で悠たちを見るのではなく、ルジナ達と同じように友愛と、少しの畏怖を感じているような目で見ていた。
悠は自分の腕を見た。陽に焼けて茶色になっているとはいえ、彼らに比べると色は薄いしどこか雰囲気が違う。…かといって証人のように白い肌というには少し無理があった。
(きっと、クレアの肌の色が珍しいんだろうな……。何といっても伝承に出てくる人物だもの)
ふとクレアの方を振り返ると、クレアは生い茂った樹々の木漏れ日から差す光に照らされて、金色の髪は光り輝いていた。
その様子は、深い森の緑の中に浮かび上がる白い肌と相まって、古いヨーロッパの絵本に描かれた一シーンのようだ。
(クレア……まるで『森の妖精』みたいだ……)
悠の視線に気づいたクレアが、どうしたんだろうという目で悠を見つめた。その青い瞳は、まるで森の中にひっそりと佇む澄んだ泉を思わせた。
「ユウ。…どうかした?」
クレアの素直な質問に、悠は咄嗟に何と答えて良いものかと焦った。いつもの将棋で鍛えた論理的思考も、今は、意味をなさなかった。
「い、いや。なんでもないんだ。ちょっとぼーっとしちゃっただけ」
その時、奥の方から一人の老人が、後ろに従者を従えて歩いてくるのが見えた。
年齢は七十代だろうか。深く刻まれた皺、茶褐色の肌。腰には藍色と緑色の植物染めの布を幾重にも巻き、首や手首には木の実や獣の骨を連ねた装飾品が重なり合っている。その装飾品が微かな音を立てているのが、どこかルジナが歩く時の音を思い起こさせた。
何より印象的だったのは、その目だった。ルジナの穏やかで慈愛のこもった瞳とは違った、別の『温かさ』。そう…「穏やか」というより「おおらか」。「慈愛」というより「癒し」を感じさせる温かさだ。雰囲気から察するに、どうやら村の長老かそれに相当する人物なのだろう。何より悠の目を引いたのはその老人の隣に付き添う大きな動物の姿だった。
(マレーバク!……あれはきっとホダムだ…。するとやはりこの人が村の長老…)
「おじじ、帰ったよ!!証人をつれてきた。シンの子供も一緒だよ!!」
「おお……、この子がシンの…」
(シン…?…ああ、父さんの名前。真一郎だから「シン」か。この感じだと、ずいぶん村に溶け込んでた雰囲気だな)
「ようこそ、証人たちよ。儂はこの村の長、アディリじゃ。どうやら、孫娘が、世話になったようじゃの」
「いいえ、賢者アディリ。お噂はかねがね……それに、私たちが、サリに案内いただいたんですわ。お心遣い感謝いたします」
クレアが淀みなくそう答える。悠は、クレアがこんなに流暢に人と会話をしている姿に、少し驚きを覚えた。
(…そういえば、クレアは元の世界ではイギリスに住んでいたと言っていたんだった……もしかして立派な家のお嬢様だったのかな…)
「私はクレア。こちらはユウ。出来れば、色々とお話を伺わせていただければと思うのですが…」
「ちょうど良い。儂もルジナの村の様子を聞きたいと思っていたところじゃ。しばらくこの村に滞在してゆっくりしていくといい。それにその子…ユウは、シンの息子だそうだな。話はシンから聞いておるよ」
アディリはユウに視線を移すと、諭すように言った。
「シンは言っておったぞ。自分が息子を探せば、かえって黒の信徒に情報を与えて、危険に晒すことになる。だから自分は、いつか息子と再会したときのために、元の世界に戻れる方法を探すのだと」
「父さんがそんなことを……」
(きっと、サリから僕のことを聞いて、無事だと分かって安心したんだろう。でも、まさかそんなことを考えていたなんて…)
アディリのその短い言葉は、悠が一番知りたかったことを、ずばり与えてくれていた。
「…さあ、まずは休みなさい。二人とも色々あったんじゃろ?詳しい話はそれからじゃ。サリ、お客様を部屋の方へお連れしなさい」
「わかったわ、おじじ。さっ。ユウ、クレア。行きましょう。こっちよ」
サリに導かれながら、悠とクレアは目的の建物へと案内されていく。悠は、アディリの言葉で、心が穏やかになっているのを感じていた。急ぐ必要はない。父さんのことは後でゆっくり聞けばいい。そんな心の余裕が生まれていたのである。
「長老アディリは、サリのお爺さんなんだね。偉い人なのに…なんだろう。緊張するどころか、こちらの気持ちがすごく落ち着いた感じがするよ」
「ふっふー。それはね、ホダムの力でもあるのよ。あのホダム…テナンは、戦わない守護獣なの。その代わりに人に落ち着きや癒しを与えるのよ。だからこそ、おじじの言葉は、人の心に響くのだと言われているわ」
「戦わない、ホダム……そんなホダムもいるんだね」
(確かに守護獣が戦いを前提にしかしていない存在なら……、ある意味、ホダムは兵器みたいな存在になってしまう。でも、ホダムは戦いだけの存在じゃないんだな。ルジナも、植物の力を利用して薬とかに役立てていたし、長老という立場で考えれば、村人たちがいかに安心して穏やかに暮らせるかが大事なのは当然なのかもしれない)
やがて、サリが立ち止まった。
「ここよ。今日はゆっくり休んでね。ユウ、また明日ね!クレアも!」
縄梯子を登った先にある小さな部屋。草の敷かれた床は柔らかく、木々の隙間から差し込む夕暮れの光が、室内をオレンジ色に染めていた。
悠は窓の外を見た。梢の向こうに、山々のシルエットが遠く連なっている。
(あの山々のどこかに、ルガ族がいる。そして父さんが…)
「あの山のどこかに、ユウのお父さんがいるのね」
ふいに声がして振り向くと、クレアがいつの間にか悠を見つめていた。
「うん。まさか、こんなにすぐに父さんの手がかりがつかめるなんて思ってなかったけど、これも『時が至れば、自ずと道は開ける』というやつかなあ」
(…本当に、不思議なくらいにこの言葉がしっくりくる)
「ふふっ、ユウは、難しい言葉をたくさん知っているのね」
「将棋の先生も、柔術の先生も、よくこういう言葉やことわざを使ってたんだよ。それで自然に覚えちゃっただけなんだ。前はそんなに特別には思わなかったんだけど、この世界に来てからは、思い出すことが多いんだ」
「時が至れば……私が、ユウに出会ったのも『時が至った』からなのかしら?」
悠は、なんとなくクレアの考えがわかった。おそらく、この間の「元の世界へ帰る」という話のことを言ってるのだろう。
(アディリが、父さんは「元の世界に戻れる方法を探す」と言っていたのも、気にしているのかもしれない。もし僕たちが本当に元の世界へ帰れるとなったら…クレアはどうするんだろうか?クレアの両親はわからないし、中学や高校にも行ってないんだ…)
「どうかなあ…。でも、そういう時ってきっと、『ああ、そうなのかも』って感覚があると思うんだ。今、僕が感じているように」
「ユウと出会った時……わからない。何も考えてなかった気もする…」
「そ……、そうだよね」
(それもちょっと寂しいかも……。って、考えてみれば、いきなりレイラで僕を鍛えようとしてくれたくらいだからなあ…)
悠は、出会ってすぐのことを思い出しながら、胸の中で苦笑した。そんな悠を、クレアが少し首を傾けながら見つめなおすようにすると、金色の髪がさらっと横に滑り落ちた。
「でも、今はちょっと逞しくなったって思うわ」
「え?」
「あと二年もすれば……ユウもすっかり大人の仲間入りね」
どうやら、元の世界へ戻ることについて気にしているのではないか?という考えは杞憂だったらしい。
「そ、そうかな。だと良いんだけど。あはは」
(あと二年したら…僕は高校二年生か。……でもこの世界では、もう立派な大人として扱われる年齢なんだ。その時…クレアは僕のことを、ただの守るべき子供じゃなくて、一人の男として見てくれるだろうか……)
「クレアは……」
そう言いかけてあらためてクレアを見ると、悠は思わず言葉を失った。18歳になったクレアはすっかり大人の女性を感じさせた。初めて会った16歳の時と比べると、顔立ちはさらに大人びて、体つきの雰囲気も変わっている。
(天使が、いつの間にか女神になっていたって感じだ……)
「……ううん、やっぱり何でもない。ちょっと夜風に当たってくるよ」




