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第4話 無理だね、やめよう

「まず、健太にもう一度聞く」


理沙は歌い終わるなり、マイクをテーブルへ置いた。


拍手をする暇もなかった。


「絶対言わないって」


彩香が言う。


「前回は、彩香が一人で聞いた」

「彼女なんだから一番聞きやすいでしょ」


「今回は、聞き方を変える」

「どう変えるの?」


理沙は少し考えた。


「中身を教えて、ではなく、私たちを連れていって、と頼む」

「悪化してるじゃん」


彩香は即答した。


「中身を言わなくて済む」

「連れていったら全部見えるでしょ」


「そうね」

「今気づいたの?」


理沙は眼鏡を押し上げた。


「では、場所だけ」

「場所はだいたい聞いたよ。旧技術室の近くの男子トイレ」


「入口まで案内してもらう」


「健太が?」

「そう」


「女子四人を?」

「そう」


「男子トイレへ?」

「そう」


彩香は両手で顔を覆った。


「絶対無理」

「頼んでみないと分からない」


「分かるよ!」

「健太、彩香には弱いんじゃない?」


私が言うと、彩香は顔から手を離した。


「そういう弱さじゃない」

「どういう弱さ?」


「アイス買って、とかなら買ってくれるけど」

「じゃあ、男子トイレへ連れていって」


「アイスと同じにしないで」


真帆はスケッチブックへ何か描きながら言った。


「健太は断る」

「真帆まで」


「中身を言わなかったから」

「そこは意外と固かったんだよね」


彩香は少しだけ感心したような顔をした。


「何回聞いても、俺だけのことじゃないって」


理沙が腕を組む。


「なら、健太を説得するのは難しい」

「最初から言ってる」


「確認しただけ」

「何を?」


「役に立たないことを」

「彼氏に対してひどくない?」


私は笑った。


「じゃあ、案一は却下?」

「却下」


彩香が言った。


「次」


理沙が言う。


「別の男子に頼む」

「誰に?」


私が聞いた。


四人とも黙った。


画面では、誰も歌っていないのに、海辺を走る男女の映像が流れていた。


「由佳」


理沙が言った。


「何?」


「男子の知り合い」

「いない」


「同じクラスにはいるでしょう」

「知り合いと、男子トイレへ連れていってくれる男子は別だよ」


「では、真帆」

「いない」


「即答」


「話す男子はいるけど、頼まない」

「なぜ?」


「嫌だから」


真帆はそれ以上説明しなかった。


理沙が彩香を見る。


「健太以外」

「バレー部つながりで何人かは話すけど、そんなこと頼んだ瞬間、絶対広まるよ」


「何が?」

「女子が旧校舎の男子トイレを見たがってるって」


私たちは想像した。


かなり嫌だった。


実際に行くより前に、学校中へ話が広まる。

理由を聞かれる。

秘密を知っていることも知られる。


健太が漏らしたと気づかれるかもしれない。


「それはまずい」


私が言うと、彩香が大きくうなずいた。


「でしょ?」


理沙も認めた。


「依頼した時点で失敗する可能性が高い」

「だから、誰にも頼めないって」


「案二、却下」

「早いね」


「続けても人材が増えない」


人材。


男子をそう呼ぶと、急に作戦会議らしくなった。


「じゃあ、色仕掛け」


私が言った。


三人がこちらを見る。


「何?」


私は笑った。


「冗談」

「アホ」


理沙が言った。


「ひどい」

「誰がやるの?」


彩香が聞いた。


「言い出した由佳」

「無理」


「即答じゃん」

「じゃあ真帆」


彩香が言う。


真帆は鉛筆を止めた。


「やらない」

「理沙」


「効率が悪い」

「効くかどうかじゃないんだ」


「成功率が分からない」

「やる気ある?」


「ない」


三人の視線が、自然に彩香へ集まった。


「何で私を見るの」

「一番向いてる」


私が言う。


「何に?」

「色仕掛け」


「絶対嫌!」

「美人だし」


「そういう問題じゃない!」

「男子には人気ある」


理沙が付け足す。


「理沙まで!」

「合理的に考えれば、候補は彩香」


「合理的に考えないで!」


彩香は両腕で自分を抱えた。


「そんなの健太に悪いでしょ!」

「別の男子へ色仕掛けするんだ」


「そこを確認しないで!」

「なら、健太へ」


「いつもと同じじゃん!」


真帆が小さく笑った。


彩香がそちらを見る。


「真帆、今笑った?」

「少し」


「助けてよ!」

「それは描かない」


「描く話じゃない!」


私は笑いながら手を上げた。


「分かった。色仕掛けはなし」

「当たり前!」


「案三、却下」


理沙が言った。


「理沙がまとめるんだ」

「進まないから」


「次は?」


彩香が警戒した顔で聞いた。


私は、さっきから真帆が描いているものを覗いた。


短い髪。

襟のあるシャツ。

細いネクタイ。


顔立ちは、どう見ても彩香だった。


「男装」


私が言った。


彩香も絵を見た。


「ちょっと待って」


真帆は描き続けている。


「彩香なら、髪を短く見せればいけるんじゃない?」


私が言う。


「いけるわけないでしょ」

「背も高いし」


「女子バレー部のエースとして知られてるんだけど」

「遠くからなら」


「学校の中だよ?」

「男子制服があれば」


理沙が言った。


「ないよ」

「借りる」


「誰から?」


また黙った。


結局、男子が必要だった。


「私服なら?」


私は言った。


「夏休みだし、男子も私服かもしれない」

「学校に入るのに?」


彩香が聞く。


「補習とか部活なら制服じゃない?」

「それに、私一人だけ男子に見えても意味ないでしょ」


「三人は少し離れてついていく」

「怪しすぎる」


理沙が言った。


「男子一人のあとを女子三人が尾行することになる」

「尾行じゃなくて」


「十分尾行」


真帆が絵をこちらへ向けた。


描かれた彩香は、少し長めの前髪に、男子制服らしいシャツとネクタイ姿だった。


すごく似合っていた。


「格好いい」


私が言った。


「それ、最高じゃん!」


彩香も一瞬だけ喜んだ。


「待って。違う」

「似合うよ」


「絵ではね!」


理沙が絵を見る。


「現実でも、黙っていれば可能性はある」

「黙ってても顔で分かるでしょ」


「姿勢を変える」

「どうやって?」


「少し猫背にする」

「バレー部の先生に見られたら、姿勢を注意される」


「声を低くする」

「何の訓練なの?」


私は笑いながら、彩香の男装絵を見た。


「この人、絶対モテるね」

「男装してもスパダリ」


彩香が言う。


「自分で言う?」

「真帆の絵の話!」


「相手は?」


私が聞く。


真帆は首を振った。


「描かない」

「どうして?」


「男装した彩香になったから」

「じゃあ、可愛い男子を隣に」


彩香が言った。


「それは描かない」

「即答!」


「現実の知り合いに似せた絵ではやらない」

「そこは真面目なんだ」


「絵は別」


真帆はスケッチブックを閉じた。


男装案の検討まで終わったらしい。


「案四も無理ね」


理沙が言う。


「現実にはね」


私は言った。


「絵はよかった」


彩香も言う。


「持って帰っていい?」

「だめ」


「なんで?」

「途中だから」


「完成させるの?」

「考える」


彩香は嬉しそうだった。


作戦としては完全に失敗している。


でも、男装した自分の絵は気に入ったらしい。


理沙はテーブルの上に置かれた伝票の裏へ、ボールペンで線を引いた。


一、健太に聞く。

二、ほかの男子へ頼む。

三、色仕掛け。

四、男装。


全部の横に、ばつがついている。


「終わった」


理沙が言った。


「何も始まってないけど」


私が返す。


「実行可能な案がない」

「じゃあ、無理だね」


彩香がソファの背へ寄りかかった。


さっきまでの勢いが、少ししぼんでいた。


「やめよう」


真帆が言った。


その声は、いつもと変わらず静かだった。


私は、閉じられたスケッチブックを見た。


彩香は同人誌をもう一度開いている。


理沙は伝票の裏を見ていた。


誰も、次の曲を入れなかった。


「まあ、男子トイレだしね」


私が言った。


自分で言うと、急に現実的になった。


私たちは、夏休みに学校へ忍び込んで宝物を探そうとしていたわけではない。


男子トイレを見たがっていた。

しかも、中に何があるかも分からない。


「そうだよ」


彩香が言った。


「男子トイレだよ」

「衛生的にも勧めない」


理沙が言う。


「今さらそこ?」

「重要」


真帆が同意する。


「壁も汚いかもしれない」

「真帆、それずっと気にしてるよね」


「絵にしたくない」

「見たいとは言ったのに」


「見るのと描くのは別」


そのあたりから、また曲を入れ始めた。


彩香が明るい曲を歌い、私がその次を入れた。


理沙は途中で同人誌へ戻り、真帆は閉じたはずのスケッチブックをもう一度開いた。


男装した彩香の続きを描いていた。


帰る頃には、作戦会議をしたこと自体が、少し恥ずかしくなっていた。


****


店を出ると、外はまだ明るかった。


駅前の歩道には、買い物帰りの人や、部活帰りの高校生がいた。


「じゃあ、またね」


彩香が言う。


「お姉さんには聞くの?」


理沙が尋ねた。


「あ」


彩香が止まる。


忘れていたらしい。


「聞くだけ聞いてみる」

「不自然にならないように」


「分かってる!」

「健太の名前は出さない」


「出さないって!」

「旧技術室の近くと言わない」


「どこまでなら言っていいの?」

「旧校舎に、男子だけが知っている場所があったか」


「それが一番怪しくない?」


私が言うと、理沙は黙った。


「普通に聞くよ」


彩香は言った。


「そういえば学校に変な噂なかった、くらいで」

「それがいい」


私は答えた。


「聞いたらメールして」

「うん」


それぞれ別の方向へ帰った。


真帆と私は途中まで同じ道だった。

しばらく並んで歩いてから、真帆が言った。


「本当にやめるの?」

「無理でしょ」


「そうだけど」

「真帆、行きたかった?」


「少し」

「私も」


私たちはそこで笑った。


だからといって、何かいい案が出るわけではなかった。


「まあ、なんとかなるでしょ」


私は言った。


「何が?」

「分からない」


「適当」

「いつものことじゃん」


分かれ道で真帆と別れた。


****


家へ帰って夕食を食べ、風呂へ入り、部屋で借りていた漫画を読んでいると、机の上の携帯電話が震えた。


彩香からだった。


件名は、〈聞いた〉。


本文は短かった。


〈お姉ちゃん、そんな噂聞いたことないって〉


私は体を起こした。


聞いたことがない。


青葉高校を卒業した彩香の姉も知らない。


それなら、噂そのものが健太の作り話だった可能性もある。


けれど、そのときの私たちは、反対に考えた。


本当に男子だけの秘密なのではないか。


すぐに理沙から返信が来た。


四人へ一斉に送られたメールだった。


〈女子の卒業生にも伝わっていないなら、情報管理はかなり厳しい〉


その次に彩香。


〈やっぱり何かあるよ!〉


真帆。


〈見たい〉


私はベッドの上で笑った。


やめようと言ったのは、つい数時間前だった。


誰も諦めていない。


私は返信した。


〈でも、方法がないよ〉


少し間が空いた。


理沙から届いたメールは、それまでより長かった。


〈夏休み中も、生徒会と一部の部活は学校へ入れる。旧校舎は長く使っていない教室が多い。衛生確認と清掃を生徒会から提案すれば、正式に立ち入り許可を取れるかもしれない〉


私は二度読んだ。


続けて、もう一通届く。


〈男子トイレも清掃対象に入れる〉


さらに一通。


〈掃除道具は本当に持っていく〉


理沙は、エロの話と作戦を立てるときだけ、妙に仕事が早かった。


彩香から、すぐに返信が来た。


〈理沙、天才!〉


真帆からも来る。


〈それなら入れる〉


私は携帯電話の小さな画面を見ながら、さっきまでの四つの案を思い出した。


健太。

ほかの男子。

色仕掛け。

男装。


どれも必要なかった。


学校へ入る許可を、正面から取ればいい。


もちろん、清掃の許可が出ても、男子たちの秘密を見る許可まで出るわけではない。


けれど、その違いは、そのときの私たちにはかなり小さく見えた。


私は返信した。


〈それ、ありじゃない?〉


少しして、彩香から届く。


〈いつ先生に言う?〉


理沙の返事は早かった。


〈明日〉


やめようという話は、完全になくなっていた。


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