30.帰省
懐かしい森林の匂いに、エミリアの胸は躍っていた。
わざわざ騎士団に馬車で送ってもらうのは申し訳ないが、これも安全の為だと諭され、エミリアは護衛騎士たちと共に帰郷の途についていた。
ルーファスと離れて寂しいとはいえ、それはそれ。生まれ育った実家に帰れるというのは嬉しいものだ。喜びながらも、エミリアはちらりと思う。
(テレンスと話をしたら、ルーファスは嫌がるかしら)
二人きりにならずに、必要最低限の事だけを話すようにし、先に父と打ち合わせておくようにしようと考える。結果的に、そんな事を考える必要は無かったのだが。
ルーファスが帰省を許したという事は、全てを織り込み済みなのだった。
やがて、荘園が見えてきた。先に文で知らせてあったので、馬車が着いた時には皆が出迎えていてくれた。
今まで日常的に会えていた、けれど今では滅多に会えない面々が揃っているのが嬉しい。
「ただいま! お父さま、お母さま」
「エミリア、おかえり」
「おかえりなさいませ、お嬢さま!」
父母もジェシカも、代々荘園に住みこんでいる皆も再会を喜んだ。一しきり懐かしんでから、屋敷に入ろうとすると、先導したのはカデルだった。
「エミリアさま、どうぞ此方へ。食事までお茶でも如何ですか?」
「そうよ、食事もお茶菓子も、エミリアの好物を揃えておいたわ」
家族水入らずということで、母が手ずからお茶を淹れてくれるがその用意をするのはカデルだった。ジェシカでさえ遠慮をして家族の居間には入室していないというのに。
カデルがそういった家向きの事をするのを、母は当然と受け止めているようだ。
それに、先ほどからテレンスの姿が見えない。こういう時はいつも部屋の中心に居た筈なのに、外出でもしているのだろうか。
エミリアのもの問いたげな視線に気付いたのだろう、カデルが答えた。
「テレンスさんは王都で働くとの事で、荘園を出られました」
「えっ! そうなの」
驚くエミリアに、父も頷く。
「そうなんだ。やはり、彼を婿養子して継いでもらうという事は出来ないとなると、此処は縁戚の者の土地と統合される事になるだろう。勿論、今は私もまだまだ元気ですぐに隠居するつもりはないんだが」
「そうよね、やっぱり。ごめんなさい」
「お前が謝る事は無い。とても名誉な事なのだから。それでテレンスだが、このままだと此処には居られないからはっきりさせて欲しいとの事だったので、惜しい事だが王都に出向くのを見送ったよ」
「そうだったの。初耳だったから、驚いたわ」
母が荘園の様子を手紙で教えていてくれたが、そんな事は書かれていなかった。
母にとってはテレンスの行く末より、花の咲き具合や収穫の出来だったり、家の修繕についての事の方が重要だったらしい。
「そういえば、手紙には書いてなかったわね」
ふふっと屈託なく笑っている母を見て、皆が良いならそれでいいのだが、と思う。それに、テレンスも王都で彼らしく働ける方が此処に居るより幸せかもしれない。
すると、今度はカデルの事が気になった。元はと言えばルーファスの従者だ。王族に仕えていた人をいつまでも荘園で頼りにするのは良くないだろう。
「カデルは此処に居ても大丈夫なの?」
すると彼は姿勢を正して頷いた。
「はい。私は此処に置いて頂き、王太子妃さまとこの荘園の架け橋になりたいと思っています」
確かに、元従者であれば本国への連絡も勝手知ったる物だろう。ルーファスも言っていた。この荘園に何かあれば、鳥によって急報が国境近くの離宮にもたらされる手はずになっていると。それは有難い話だが。
「でも、それはルーファスに命じられたからでしょう? 本当は王宮でお勤めしたかったのに、この荘園に行くよう無理に言われたなら、申し訳ないわ」
華やかな王宮生活と、田舎の荘園暮らしでは雲泥の差だ。都会で暮らしたい人が命令によって此処に居るのなら辛いだろう。
エミリアはそう思って言ったのだが、カデルは首を横に振った。
「いいえ。実は、私には王城勤めは合わないのではないかと、そう思っていた所なのです」
「そうなの?」
ルーファスも彼の事を、目端の利く者だと言っていた。エミリアも、少し接しただけでそうだと思った。カデルなら王城でも楽に勤められそうだと見える。
だが、彼は苦い笑いを浮かべた。
「はい。個人的な話になりますが、私は孤児で身よりも無く、ある貴族に拾われ下僕として仕えておりました」
「まあ」
それで、若いのにこんなに気遣いが出来て上手く立ち回りが出来ているんだろうか。皆の気遣う視線に、カデルは淡々と続けた。
「そこから色々ありまして、偶然ですが、ルーファスさまの従僕として勤めるようなりました。ルーファスさまには何くれなく面倒を見て頂き、取り立てて頂きましたが、やはり後ろ盾の無い下僕出身の身です。朋輩から辛い目に合されることも、一度や二度ではありませんでした」
「カデル、家で良かったらいつまでも居ていいのよ」
「そうだぞ、もしそんな事があればすぐに言ってくれ」
エミリアの母と父はすっかりカデルに親身になっている。
カデルはぺこりと頭を下げて言った。
「ありがとうございます。此処は良い所です。けれど王城では、何度も逃げ出そうかと考えていました。それをルーファスさまは気付かれたようです。私に、エミリアさまが王城に居る間、代わりに此処に残るよう言われました。その期間が延びるうち、すっかり居心地が良くなってしまい、今では離れがたくなっています」
そうまで言われると、エミリアもこの人事は良かったのだと思う。
「それなら、丁度良かったのね」
「はい」
父母はやはりカデルに此処に居てもらいたいと頼りにしているようだ。すっかりカデルがこの荘園を切り盛りしているらしい。
リビングで談笑した後、エミリアは懐かしの自分の部屋に行ってみた。もう、ここで暮らす事もないのだと少し感傷に浸る。
すると、ノックの音もそこそこにジェシカが入って来た。エミリアを追いかけて来たのだ。どうしても話をしたかったらしく、エミリアが口を開く前に捲したてる。
「お嬢さま! もー、まさかあの方が王子さまだったなんて! それに、お嬢さまをお迎えに来て、そのまま王太子妃にだなんてっ! すごいですわねー、まさか、あのすぐ服を泥まみれにしていたお嬢さまがゆくゆくは王妃さまになるだなんて、信じられないですわ」
「も、もう、ジェシカったら……」
使用人とはいえ、自分が生まれる前から居るジェシカに敵う筈がない。諌めようとする間もなく、ジェシカは次の話題に移った。
「そうそう! お嬢さま、聞きました? あのテレンスが出て言ったこと!」
「ええ、聞いたわ。王都で彼らしく過ごせる方が、きっと良いでしょうね。お父さまもそうおっしゃっていたわ」
「あははっ、まさか。そんなんじゃありませんよ。あの人、あんな性格でうるさくて、皆に慕われていなかったでしょう? けど、あのカデルさんは流石でねぇ。荘園の皆の方が先輩ですからって、やり方には口出しをせず、でも締める所は締めるで。みんな、一目置いてたんですよ」
「そうなの」
ジェシカはお喋りで大体話が長い。エミリアは部屋の中に仕舞ってあったルーファスの手紙は何処にあったかしら、と探しながら適当な相槌を打った。
ジェシカは続ける。
「そうなんですよ。だからね、あの人、段々居場所が無くなってきて。旦那様に、もっと仕事を任せて実権を寄越すか、此処を出て王都に行くかのどっちかだって迫ったらしいんですよ」
「えっ、そうだったの?」
先ほど、父母から聞いた話とは少し違うようでエミリアの手は止まった。ジェシカを見ると、丸顔の侍女は深く頷いている。
「それも、自分を引き留めると思い込んで言ったんでしょうけどね。おあいにく様でした、旦那さまは『それなら王都に出る方が君の幸せだろう』ってどうぞどうぞって見送ったんですよ。それも、結構なお代を今までのお礼だってまとめて払ったんですよ! 賃金はちゃんと払ってたのに!」
ジェシカの声が大きくなる。なるほど、まとまったお金を払ったことに腹立たしく思っているらしい。
しかしエミリアにとっては、彼が此処に居たいにも関わらず、父母を試すような事をして出て行ったと聞いたのが残念でならなかった。もっと素直になって欲しかった。
けれど、この荘園に居た誰もがテレンスとは上手く付き合えなかったのだ。エミリア自身も、苦手意識が先立って本音でぶつかれなかった。もしエミリアが心から話そうとしても、それをテレンスが真面目に受け取るとも思えなかった。
今はもう居ない人を、どうか違う場所では上手くやれるようにと願うしかなかった。
実家での滞在は二泊にし、その間、エミリアは心置きなく寛いだり、行きたい場所に向かったりもした。
あのルーファスと最初に出会った森の中も、その一つだった。
此処で、彼と出会えなかったら今の二人は無いのだから。
父母とゆっくり話すと、彼らはやはりカデルを頼りとし、出来ればずっと此処に居て欲しいようだった。親戚たちとの話し合いと、カデルの希望が合致し上手くいけば、彼を養子として縁戚の娘を嫁にして跡を継いでもらえるかも、という事まで話していた。
それはカデルの将来についての考えもあるだろうし、結婚ともなると嫌がるかもしれない。これから一緒に暮らしてもらって、おいおい考えていこうという結論になった。
こんな風に、未来への展望があればエミリアも安心出来た。
出発の朝、エミリアは皆に深々と頭を下げた。
「これからは気軽には帰れないかもしれないけれど、私の故郷は此処で、いつもこの風景が胸にあるから。お父さま、お母さま、今までお世話になりました。皆、お父さまとお母さまのこと、よろしくね」
最後は涙で見送られ、エミリアはルーファスの待つ王宮へと戻った。
部屋から見つけ出した、彼の手紙と共に。




