29.説得
王と王太子の新体制となって、ようやくエミリアたちの身辺も落ち着いてきた。
あの後、ルーファスは事後処理に忙殺され睡眠を取るのもままならず、エミリアとの時間が全く取れずに居た。それが漸く、二人で蜜のような時間を過ごせるようになりつつあった。
が、その前にエミリアにはどうしてもしておきたい事があった。
その為には、ルーファスを説得しなければならない。エミリアは粘り強く話しを続けていた。
「一度、帰りたいの。お父さまとお母さまに直接話したいし、結婚した後となると気軽には戻れないでしょうから」
「だから、それは俺の公務の折を見て、一緒に帰ろうと言っているじゃないか」
「でも、いつになるか分からないし、貴方は今、この国を離れるわけにはいかないでしょう?」
話は堂々巡りに陥っていた。エミリアを片時も離したくないルーファスとしては、短い間とはいえ別の国に離ればなれになるのが我慢出来ないのだ。折を見て、一緒に里帰りしようと何とか翻意させようとしている。
だが、それだといつ帰れるか分からない。挙式の前に帰っておきたいエミリアは、短い間で良いのでとりあえず顔を見せるだけでも荘園に一旦戻りたい。
それには今、事後処理も落ち着いてきた今が一番良いように思えた。一人での帰国になるが、家族水入らずで過ごせるのも最後かもしれない。
そんなエミリアに、ルーファスはじっとりとした視線を向ける。
「エミリアは俺と居られなくても平気なのか」
「そんな、大袈裟よ」
「俺と離れて、暫く二人で居られなくても良いから帰ると言うんだろう」
責める口調になっているが、これはきっと一人にされると拗ねているのだろう。
そう見てとったエミリアは、慌てず微笑んで告げた。
「焦らなくても私は逃げないわ。私たちの時間はまだまだこれからたくさんあるのだから。すぐに帰るから、その後ゆっくり過ごしましょう」
穏やかに宥めてくれるエミリアに、ルーファスは深い溜息を吐いた。
「不安なんだ。君は自らの意思で俺の傍に居てくれると言った。結婚もそうだ。けど、離れてしまえば気持ちが変わるかもしれない。もう俺の元に戻りたく無くなるかもしれない」
「大丈夫よ。戻ってくるからそんなに心配しなくても」
「俺だけが君と共に過ごしたいと願っているんじゃないかと、不安になるんだ。俺だけが、ずっと君に恋している」
それは大層素直な物言いで、エミリアは思わずふふっと笑ってしまった。
ルーファスは笑われたと思ってムッとした表情になるが、再会した当初の言動に比べると随分微笑ましい。以前のルーファスなら、有無を言わさずエミリアを閉じ込めていたのだから。
エミリアは嘲笑しているんじゃないと弁明するように、にっこりして彼の手を取ってから言った。
「私にとっても、ルーファスは初恋の人よ」
「……!」
驚いて目を見張る彼に、エミリアは続ける。
「私は、出会ってすぐでは無かったけれど、再会するまでは、どうしているだろうって度々話をしていたし、会いに来てくれた時は何て素敵な人だろうって思ったもの」
「では、俺以外の人に恋したことも……、他の男に好意を持ったことも無いと?」
「ええ、そうよ」
思わずエミリアをぎゅっと抱きしめるルーファス。吐息混じりに言葉にする。
「知らなかった」
「今まで、恋ってどんなのだろうって思っていたの。好きな人と結婚出来たらいいなって思っていたんだけれど、でも、テレンスと結婚するしか無いのかな、とも」
「なるほど。それで、今は?」
ルーファスがエミリアの顎をくすぐるように触れて、上向きにさせる。エミリアは照れたように笑って言った。
「勿論、好きになった人と結婚出来ることになって、とても幸せよ。私たちの間には八年の空白があるけれど」
「手紙は送っていた」
「そうね。とにかく、今からもっと仲良くなれると思っているの。お互い、知らないこともあるはずよ。それで、ゆっくり分かり合いたいの」
「ああ」
「その為にも、一度帰って気になる事を全部精算しなきゃいけないと思っているの」
話を元に戻すと、ルーファスの表情が苦々しい物となった。甘いだけの話かと思いきや、終着点はそこだったかと腹立たしいのだろう。
それでも、可愛い婚約者の言う事なので一応は聞いてやろうという姿勢になったようだ。
「気になる事とは?」
「先ず、第一にお父さまとお母さま会って話をしたいわ」
手紙で報告はしているが、家族には直接結婚の話をしたい。父母にとっては
『ちょっと旅行に行ってくる』
そう言ったきり、そのまま他国に滞在してその国の王妃になると結果報告しかしていないのだ。これは両親にとっては心配事にしかならない。
普通の家族という物が分からないルーファスだが、これは渋々受け入れるようだ。これについて反対はされなかった。だが、それだけで素直に認める彼でも無かった。重ねて尋ねられる。
「その他には?」
「一応、テレンスに謝らないと。彼には婿養子になってもらうつもりで荘園に来てもらっていたから」
「フン」
テレンスの名を聞いて、ルーファスは鼻で笑った。
エミリアが思い返すに、ルーファスはテレンスをまるで見ず、直接口も利いていないような気がする。存在自体を無視するほど、最初から気にくわなかったようだ。
実はエミリアはあずかり知らない事だが、あの訪問の日、ルーファスはわざとテレンスに贈り物を受け取らせ同席させないように仕向けていた。それにカデルに対応させ、宴席で酔わせて早々に眠らせ、翌朝も見送りに来ないよう深酒をさせていた。エミリアとテレンスを引き離す為の策だった。
何も知らないエミリアは、ルーファスが気を悪くしたのではないかと気遣う視線を投げかけた。
「私と結婚出来ないから、荘園の事はお父さまと話をしてもらわなきゃいけないけれど、でももう何か決まっているかもしれないし。とにかく、荘園の事もどうなるか話を聞いておかないと、気になって前に進めないの」
「……分かった」
エミリアの説得に折れる形で、ルーファスは渋々ながらも認めてくれたようだ。エミリアは安堵したようにお礼を言った。
「ありがとう、ルーファス」
「ただし、用が済んだらすぐに帰ってきてほしい」
「勿論よ」
エミリアは彼が分かってくれたのだとにっこりと笑う。
ルーファスもその笑顔を見て、ふっと笑った。確かに、彼がエミリアの帰省を認めたのは恋情に他ならなかった。
今までのルーファスなら、エミリアを手放す事になるかもしれない里帰りなど絶対に許さなかっただろう。だが、エミリアは縛りつけなくてもルーファスの傍に居ると自ら選んだのだ。それは彼に信じられないほどの喜びをもたらした。
それは、愛し愛されるという実感だった。一方的に欲望を押し付けるだけの言動では得られない、心が満たされる喜びという物を、エミリアはルーファスに知らず知らずのうちに与えていたのだ。その度にルーファスは少しずつ変わっていき、激情で傍から離さない、という期間は終わっていたのだった。
勿論、エミリアがやはり実家から出たくない、とでも心変わりすればすぐにその猶予は終わってしまうだろうが。
こうして、エミリアは何とか帰省する運びとなったのだった。




