14.護衛騎士
「本日もエミリアさまは屋上の展望塔に出向いた程度で、離宮から一歩も出ずに過ごしていらっしゃいました」
ヒューゴーはエミリア付きの侍女であるホリーの報告を聞き、頷いてから更に問うた。
「それで、心持ちはどうなんだ。王妃となりたがっているのか、そうでないのか」
ルーファス付の近衛騎士団のうち、護衛長を担っているヒューゴーにとって今一番の悩みの種は、突然現れた王妃候補への対応だった。
無視する訳にもいかず、さりとてどのような娘で何を望んでいるのかも全く分からない。
ルーファスからは、丁重に扱い傷一つ付けずに護衛するよう、とのみ指示を与えられている。
手がかりを得ようと尋ねている相手、ホリーはいつものように無表情に答えた。
「私が見た限りでは、王妃への望みという物は無さそうです。それどころか、王宮で暮らすおつもりもなく、帰りたいと願っていらっしゃるようです」
「そうか」
ヒューゴーははあ、と溜息を吐いてしまった。
一体何を考えているんだ、とルーファスに尋ねたくもなる。
だが、彼の主は無駄な質問を嫌う性質だった。聞いても答えはしないどころか、不興を買うだけだろう。
此処は離宮の中の、騎士団長に与えられる一室だ。ヒューゴーは父の代からルーファスに付き従い、この一室を与えられるまでには重用されている。
ヒューゴーは、主の思惑なら大抵の事は理解出来ていると思っていた。ルーファスは己にも他人にも厳しく、目的の為には何を犠牲にしようが邁進するタイプだった。
また、事細かに説明など情報を漏えいしてくれと言っているような物だと、例え重臣やヒューゴーのような側仕えにも命令しか下さない。今までの任務で、事情の説明や詳細など教えてもらった事は無かった。
どうしてこの指示があったのだろう、なんて事は考えるだけ無駄だし、もし尋ねても聞く必要は無いとにべもなく言われるだけだろう。ヒューゴーたち側付きの近衛騎士たちも、それが常のルーファスだと思っている。それが、当たり前なのだ。
だが、突如国境を越え隣国エルトワに行くと言い出してからは、ルーファスはいつもの彼では無くなった。
ただし、それはエミリアの前でのみに限られる。
彼女の前では蕩けるような笑顔で優しげな様子を崩さない。心底から気遣って、エミリアに優しくしようとしているし、それは使用人たちにも厳命している。エミリアに失礼な態度を取った者は、すぐにこの王宮から放り出されるだろう。
だが、ルーファスのエミリアへの優しさは、彼女が帰国したいと言い出さない限りではないかと見ている。ヒューゴーが同席したあの時、エミリアを帰すつもりもないのに短期の観光旅行だと偽り誘い出していたからだ。
エミリアを連れ帰る旅程も大変だった。
ルーファスがエルトワに向かったのも情報が漏れないよう突如だったし、馬の替えなど手配しようがない。だが、護衛が手薄な旅先で命を狙われると一たまりもないのも事実。急ぎ帰る一団にとっては、苦難の道となった。
その時も、ルーファスはエミリアにだけは優しく気遣って、いつもの冷淡な様子はまるで見せなかった。普段は、ヒューゴーたちや王城関係者だけでなく、王子に色目を使う令嬢にもまるで寄せ付けない氷のような態度なのに。
彼の変わり様に、騎士や使用人一同も内心驚いている。
一体、あのエミリアという娘には何があるのか。ルーファスにそれだけの事をさせる特別な女なのだろうか。
彼女は若い娘らしく、それなりに可愛らしくは見える。だが、王都の貴族にはそれ以上に美しく賢い、優しく気遣いも出来る令嬢などいくらでもいるだろう。
エミリアに身分も生家の後ろ盾も無い以上、二人が共に居ることでルーファスの益となるのは彼への癒しだとか、愛情だとか、そんな精神面にしか期待出来ない。
愛情だって、いつかは冷める。ルーファスなら、不確かな物に頼らず、己の利となる名家の支援を得る為に政略結婚でもしそうな物だと思っていたのに。
考え込むヒューゴーに、ホリーは少し迷ったように言った。
「ただ、エミリアさまは良い方とは思います。その、性根が優しいというだけではなく、周囲に気を回し円滑に動かそうとしているように見受けられるのです」
「使用人に気を使う必要は無いと、殿下ならそうおっしゃるがな」
ヒューゴーは言いながらも、ホリーの言わんとする事は何となく分かっていた。
それは、エミリアの実家の雰囲気に理由があると見ている。
彼女の実家の荘園は、豊かで大らかな空気が流れていた。家族仲も良好で、その振る舞いにも余裕が伺えた。だからだろう、エミリアにはルーファスを落ち着かせ、柔らかな雰囲気にさせる物があるような気がする。
だが家臣一同にとっては、ルーファスにのんびり落ち着かれ柔らかになってもらっても困るのだ。彼にはこれから、最大の山場であり戦いが待ち受けている。
女を求めて腑抜けになるより、鋭利な牙を隠し持っていて欲しい。ヒューゴーのように考える家臣は少なくは無い筈だ。
ヒューゴーは目の前に居る、いつもは冷静で仕事の出来る侍女を見つめた。
彼女もルーファスに選りすぐられた侍女だけあって、騎士やどこぞの貴族の子息に言い寄られようとすげなく断り、危うい事は一切しでかさない。安心出来る離宮の使用人だ。
その彼女が、珍しくエミリアに肩入れするような事を言っている。このホリーも、エミリアに誑かされた一人なのだろうか。
ヒューゴーの視線の意味に気付いたであろう、敏い彼女は内心の苛々を隠すようにすっと無表情になって口を開いた。
「話が終わったなら、失礼します」
「ああ、また何かあれば頼む」
ホリーがイラついた事が何だか少し可笑しくなったが、笑いは堪えて真顔を保った。いつもは取り澄ました血統書付の長毛猫が、毛を逆立てているように見えたのだ。
ホリーの退室を見守り、扉が閉まると執務机に着いて事務仕事に戻ろうとするが、思考はルーファスとエミリアに戻ってしまう。
ヒューゴーの父曰く、エミリアはルーファスの命を助け手厚く保護したらしい。それ以来ルーファスは一途にエミリアを想っていた、と聞く。
だがそれを言うなら、ヒューゴーたち配下の騎士も、ルーファスの命を護り続けてきたではないか。
主を護る事こそ騎士の誉れ。ルーファスからはその分手厚い報酬を得ている。だが、金の為だけに仕えている訳では無い、とヒューゴーは思う。金が目当てというなら、宰相一派に与した方が、今以上の収入を得られるだろう。
これ以上考えると、主への不満になりそうなので頭を振って切り替えることにした。
自分でも、何を求めているのかよく分からない。
再び仕事に向き合おうとすると、呼び出しがかかった。
主であるルーファスからだった。
「少し、いつもとは毛色の違う任務だが、エミリアについて尋ねられた時に流言して欲しい内容がある」
「ハッ!」
ヒューゴーは、ルーファスの前では「はい」以外の返事は求められていないとは分かっている。そして教えられた内容は、いつものルーファスらしいと思える物だった。
それなのに、ヒューゴーはどうしても尋ねたくなってしまった。
「それは真実なのですか」
叱責は受けなかったし、無視はされなかった。
だが、ルーファスはふふっと笑って言ったのだ。
「さあな」
全くもって、ルーファスらしくない言動であった。
ヒューゴーは、簡単にはぐらかされた事に心にさざ波が立って居た。しかし、それを表立って言える立場では無い。
ただ、黙って頭を下げ退室する。騎士は主の剣であり盾であり、動かされるべき駒なのだ。駒は、何かを求めたり考えたりする必要は無い。
主に忠実な騎士であるヒューゴーは、どんな命令にでも従うだけだった。




