13.ルーファスの過去
「少し無理をさせたか……」
ルーファスの隣で、エミリアが気絶したように横たわっている。
疲れ果て、ばたりと倒れ伏すように眠ったらしい。エミリアの反応はルーファスを概ね満足させた。でも、まだ足りない。
あの助けられた日からずっと欲しいと願っていた。
ようやく、彼女を手に入れられたのだ。眠っているエミリアの髪を撫で、胸に去来する物を想い返す。
あの日も、ルーファスは暗殺未遂により命を狙われ、そして一番手酷い裏切りを受けたのだった。
***
物心ついた時には、既に王妃である母は亡くなっていた。
父である王は政治に無関心なだけでなく、何に対しても興味の薄い人だった。勿論ルーファスにも関心は無く、父王に声をかけられるのはごく稀に気まぐれで、という状況だった。
それでも、王子たれという躾はされていた。
厳しい教育係は冷たく、いきすぎるほどの罰をルーファスに与えた。勉学が出来なかったという理由で、木の指し棒で何度手を打たれたか分からない。今から思えば、ルーファスの施政者としての心を折る為の刺客だったのかもしれない。庇う者は誰もおらず、無味乾燥の宮廷生活。物質的に不足は無かったが、冷めた食事と冷たい部屋というおよそ温かみの無い少年時代を過ごした。
ある時、そこに少しの変化が起こった。ルーファスを取り巻く状況を哀れに思い、新しく入ったメイドである世話係があれこれ面倒を見てくれたのだ。そのメイド、ベリンダの事を思い出すとルーファスは心の中が灼熱したように熱く痛くなる。
彼女は、優しかった。随分大人のお姉さんと思っていたが、まだ二十歳やそこらだったと思う。
ベリンダがルーファスに親身になってくれるのは弟が居るからだと言う。
『畏れ多くも弟に重ね合わせてしまうのです』
教育係に棒で打たれた手を手当てし温めてくれたり、こっそり甘いお菓子をくれたり、優しくしてくれた。
ある時……、そう、あれはルーファスが十二歳の時だった。国境近い別邸で静養していたルーファスに、付き添っていたベリンダが
『気分転換にピクニックに行こう』
と誘ってきた。護衛や教育係に反対されるやも、と思ったがベリンダは笑って言う。
『大丈夫です、私がお許しを願い出ましたから。たまには皆さんも休暇を楽しみたいようです』
現在、近衛騎士団の団長であるヒューゴーの父も護衛長として来ていたが、自他共に厳しい彼が休暇を楽しみたいなどと言うだろうか、とちらりと思った。
しかしルーファスはピクニックという物をしてみたかった。ベリンダがサンドイッチと特製のレモネードを作ってくれるというのも楽しみだった。それでも、表立ってルーファスが別邸を堂々と出るのは良くないと、二人は裏口からこっそりピクニックに出掛けた。
ベリンダはルーファスの手を引っ張り、どんどんどんどん歩いていく。ピクニックに適した丘を越え、鬱蒼とした森に入ってもまだ足を止めず、奥深くまで入って行った。
『ベリンダ、どこへ……』
『黙って歩いてください、行かなければならないのです』
その口調は厳しく、ベリンダの顔は見たことが無い恐ろしい形相になっていた。握られた手は強すぎて痛く、引き摺られるように歩いて行く。
何かがおかしい、異変は起こっている。そう思ったが、ベリンダを信じ切っていたルーファスは、もしや別邸に危険が迫って、自分を逃がす為に連れて行ってくれているのではないか、と思った。
彼女を信頼し、ルーファスは導かれるままに黙って着いて行ったのだった。
『此処でいいでしょう』
『………………』
道も無いような木々が生い茂った森の中で、ベリンダはそう言った。此処で一体何をするのか。ベリンダは持っていたバスケットを地面に置き、後ずさりながら言った。
『私はちょっと行かなければ。このまま此処で待っていてください』
そう言ってきびすを返し、振り返りもせず去って行く。ルーファスは言われた通り、しゃがみこんでじっとしていた。それでもずっと待っていると薄暗い森の中は寒いし、お腹が減ってくる。
ベリンダが持っていたバスケットがふと目に着いた。この中にはサンドイッチと飲み物が入っている筈だ。ルーファスはバスケットの上にかぶさっていた布を取り除き、中身を見て絶句した。
中には、小鳥が羽を毟られ肉となった状態で何羽も入っていた。それに、卵。サンドイッチやレモネードはどこにも無い。一体これは、どういう事だろう。鶏の死骸に生卵なんて……立ち尽くすルーファスの足元近くに、しゅるしゅると動く影があり、ハッとして見下ろす。
蛇だ。
すぐにルーファスは察した。このバスケットの中身は、蛇の好物だと。きっと、人間には感じないが蛇を引き寄せる香りも付けられているのだろう。蛇がバスケットに次々群がっていく。
ルーファスはすぐその場を離れようとした、が、暗くて足元が見えない。運悪く蛇の近くを通ってしまったようで、足に何か触れた。その次の瞬間、ふくらはぎに焼いた鉄を押し付けられたような熱い痛みが襲った。
『痛いっ……』
不味い、噛まれた。そう分かっても脚を止める事は出来ない。毒の周りが早くなると思いながらも、何とか足を引き摺ってその場を去る。
奥深い場所から開けた所に抜け出せたのは幸運だった。そして、更に幸運だった事に、人が居たのだ。ルーファスはそれでも身分を明かさず、助けを求めた。
『足を蛇に噛まれた、治療出来る所まで連れて行って欲しい』
『まあ、それは大変。ここに座って。噛まれたのは何処かしら?』
その人は、まだ少女の幼い口調というのにやけにテキパキしていた。金色の髪がハート形の顔を縁取っている。緑の瞳が少し垂れていて、優しそうに見える。
しかし、優しそうに見える人がその通りではないというのは、ルーファスは身を持って叩きこまれたところだった。この少女には安心させる雰囲気というか、人を落ち着かせるような空気を纏っていたがそれが本物かどうか、ルーファスには分からない。
ルーファスが何も答えず立ち尽くしていると、彼女はハンカチを草の上に敷いて彼の手を引いて座るよう促した。それは柔らかな力で、何ら強制する物がない優しい手の引き方だった。そこで、ぐっとルーファスの胸に来る物があった。
先ほど、ベリンダは容赦ない力で手を引いたのを思い出したからだ。自分は、何より信頼していた近しい侍女に裏切られたのだ。そう思いながらも、何とか口を開いて噛まれた場所を告げる。
『……右の、ふくらはぎ』
『じゃあ裾を捲って、患部を出して。ジェシカー! ジェシカ、どこー?』
少女はルーファスに指示したかと思うと、別の女性の名を呼んだ。すぐに、近くに居たらしいジェシカと呼ばれた中年女性が現れる。
『どうしたんですか、お嬢さま。あっ、どうしたんですか? まあ、大変!』
顔色が悪く座り込んでいるルーファスを見ると、ジェシカはたちまち動揺してばたばたし始めた。少女はジェシカにもすぐ指示をする。
『家にある毒の分解液を、取ってきて頂戴。この間、モーガンさんが噛まれたからお父さまは多く買っていたでしょう。早く! 走って! ついでに、お父さまにもこの事を伝えて。森で毒蛇に噛まれた子がいるって』
『は、はい!』
ジェシカは言われた通り、走って去って行った。
少女はすぐにルーファスに向き直った。
『噛まれたの、ここね?』
『そうだ……』
ルーファスの傷口を見る為に、少女は迷いなく土の上に膝をついた。服が泥で汚れるのも気にしないようだ。そして、ルーファスの足に触れて言った。
『少し痛いかもしれないから、我慢してね』
そしてルーファスの足に唇を寄せて、思いきりちゅーっと吸った。
「っ!」
それは甘美な体験だった。
少女のふわふわとした髪が、ルーファスの足に触れている。ルーファスの足を少し持ち上げ、這いつくばった格好で毒を吸いだして、ぺっと下に吐き出している。
少女のそれはお世辞にも上手ではなく、吸ってもあまり血も毒も吸いだせないようだし、吐き出すのも勢いよく出来ないので顎や胸元に唾液が零れ落ちる。でも、必死にしてくれるのはよく分かった。
ルーファスの胸の中が、熱い物で満たされた。
出来るならば、この少女を思い切り抱きしめたかった。その衝動は何というのか分からない。けれど確実に言えることは、ルーファスはこの少女に触れられ足を吸われ、興奮していた。
少女はまさか助けている相手がそんな邪な気持ちで見ているとは知らず、懸命に毒を吸い出していた。
やがて、ジェシカが戻ってきた。
『こっちです、助けてあげてください!』
見ると使用人らしい男を引き連れて戻ってきている。それからは大人たちに手当され、ルーファスは少女と引き離されてしまった。
解毒の薬の副作用として、その夜、ルーファスは高熱が出たが少女が見舞ってくれると引き留めるよう手を握った。そして、少しでも話をしようとする。
『君の名前は?』
『エミリアよ』
『どうして僕をそんなに一生懸命助けてくれたの』
ルーファスの問いに、エミリアはぱちくりと目を開いて驚いたようだった。
『どうしてって。噛まれたままだと死んじゃうかもしれないでしょう。当たり前じゃない。この間も、モーガンさんが噛まれてみんな大騒ぎでね。でも、みんなで助けたから大丈夫だったの』
ルーファスの周囲では、そんな事は絶対に起きない。
ルーファスの身分を知らせても利や保身を考え、何か得られる物が大きくないと助けない人間ばかりだろう。それを、身分も立場も知らない筈なのに、ルーファス自身を見て助けてくれたのだ。こんな風に屈託なく笑えるエミリアを、傍に置きたかった。
どうしても、彼女が欲しい。エミリアの他愛のない話をずっと聞いていたい。
しかし、彼女を欲したところで邪魔しか入らず、現実的に手に入れるのは無理だろう。ルーファスが力を振るえる立場にならない限りは。
現実的に、将来を見据え動く時が来たのかもしれない。ルーファスがじっと耐え凌いでいた時期は、エミリアが切欠で変わろうとしていた。
だが、エミリアだってただ傍に置くだけではいつ裏切られるか分からない。彼女の事を把握し、傍に居たくなるよう望みを知るなり弱みを握るなりしよう。
彼女が逃げないように。
翌日、それでもルーファスの派閥に属している護衛騎士団たちはルーファスの居所を突き止め、迎えに来た。ルーファスはエミリアと手紙でのやりとりを約束し、また会いたいと告げてから彼女の荘園を後にした。
別邸に戻ると、なんとルーファスが出て行ったのは彼が我儘を言ってベリンダに命じて、無理矢理外出したという事になっていた。
ベリンダはそう釈明し、いけしゃあしゃあとルーファスにもそう口裏を合わすよう強要した。ルーファスに便宜を図る忠臣は居ないから、彼女に頼るしか無いと踏んでいるのだろう。甘く見られているのだ。
ルーファスはそれを否定し、彼女の背後を徹底的に洗うよう数少ない配下たちに指示した。
詳しく調べると、後ろ暗い何かが出るかもしれない。命じた者たちのやる気は無さそうだった。しかし、今回はあからさまに殺されかけたのだ。ルーファスも容赦は出来ない。幸いにも、忠信篤い配下であった護衛長、ヒューゴーの父が調査を決行してくれた。結果、彼女はやはり叔父上が放った刺客であり、信用させた後ルーファスを暗殺する予定だったらしい。
彼女の言っていた事は、全てが嘘だった。
ベリンダは金で雇われた、舞台役者崩れだったしお金を貰って裕福に暮らしたいだけだった。弟だって居なかった。
しかも、ベリンダは捕えられた後、ルーファスを糾弾し始めたのだ。あんな王子に国は任せられない、自分は国の為に正しい事をしようとしただけだ、と。
ルーファスは心折れることもなく、粛々と手続きを進めベリンダを処刑した。
ベリンダの背後には叔父が居ることは確実だったが、しかしそこまでは捜査の手を回すことは出来なかった。権力も、人材も、資金力も、全てが向こうの方が上手なのだ。今まともに対抗など出来ない。
ルーファスは少しずつ成長し、そして力を蓄えていった。周囲の誰をも信じられないが、しかし王家の一族、王位継承者第一位の王子として人を使うことは出来る。そして、成人するまで叔父の企みをかわしながら、やがて立太子の儀直前までこぎつけた。
この儀式が終わると、先ずはひと段落だ。ルーファスが死なない限りは叔父が王位に立つことは無い。その日に、きっと向こうは何か仕掛けてくるだろう。
だが、それを跳ね返す。その為に心の拠り所でもあるエミリアは手中に入れてある。あの日から、逃げず裏切らないように傍に置きたいと、ずっと監視を付けていた。エミリアへの関心はもはや執着と言って良いだろう。
それでも。
「エミリア、俺のこの気持ちは何と言えば良いのだろう。愛と言うには重すぎて、君への想いは一方的だ。俺は、君が嫌がろうと拒否しようと、俺の傍から離さない。逃がすつもりは無い」
眠り込んでいるエミリアに、ルーファスは寄り添い抱きしめた。
この優しい温もりを、絶対に手放したくは無かった。




