10.疑念
書斎の中は整然としたデスクと椅子、それにソファセットがあった。特筆すべき物は何も置いていない。しかし更に扉がある。エミリアは書斎を突っ切り、その扉も開けてみた。
奥の部屋は、突き当りの小部屋のようだった。少し淀んだ空気だが、換気はされているようで埃も溜まっていない。
先ほどの書斎よりは雑然と、書類や色んな物が机の上に置かれている。この離宮の中で一番、人の気配を感じる部屋だ。
部屋の主はきっとルーファスだろう。そう思いながら机の横の壁の、やけに立派な額が飾ってあるのを覗きこむ。小ぶりの豪華な額には、それには不釣り合いな一輪のスミレの押し花が飾ってあった。
スミレの可憐な姿を見ると、以前、ルーファスに押し花を送ろうとした事を思い出す。一番出来が良い物を選ぶため、その辺りに生えていた花々を狩り尽くす勢いで摘んで片っ端から押し花にしたのだった。結局、どの花を送ったかは何年も前の話で覚えていないが。
それから机の上に目を移した。様々な書類や冊子、書簡が積まれている。その内容まで見るのは悪いと目を逸らすが、どうしても一番上に置いてあって隠されていない物の文字は目に入る。そこには、近々行われる立太子の儀についての詳細が書かれていた。
(立太子の儀。それなら、王太子であるルーファスのことよね)
そんな儀式が直近にあるなら、それは忙しい筈だ。エミリアは納得したが、それを直接彼から聞かずに知ってしまったことが少々後ろめたい。その書類にはあえて焦点を合さず机の上を見ると、なんだか見覚えのある便箋の縁が見えた。
おや、と思って上に積み上げてある物を退かして見ると、それはエミリアが送った手紙だった。どうりで見覚えのある便箋の筈だ。
そこにはありし日のエミリアの日常や荘園の事なんかが書かれてあった。三年か四年ほど前の手紙だ。読み返すと懐かしい。
(まだ、持っていてくれたんだわ)
確か、エミリアも箱に入れて自室の戸棚の奥かどこかに仕舞ってある筈だが、日常的に使う机の上になんかは置いていない。
ひょっとして、他の手紙もその辺りにあるんじゃないかと好奇心のままに机の上を探してみると、たくさんの手紙が出てきた。こんなにたくさん文通していたのか、という気持ちと大切にしてもらって嬉しいようなくすぐったい気持ちになる。
しかし、その温かな気持ちもそれまでだった。好奇心に唆され、隣の戸棚に置いてあった小箱を手に取ったエミリアは、それを見てゾッとした。中には、包帯が大切に仕舞われていた。正確には、遥か以前にエミリアがルーファスに巻いた薄汚れた包帯だ。
エミリアはそれを巻いた事も、今まで忘れていた。
しかし幼いエミリアの字で『早く良くなりますように』と書かれていては思い出さずにいられない。わざわざ、こんな物を小箱にまで入れて保管する必要はあるのだろうか。
エミリアはドキドキしながら、引き出しを開けてみた。そこにも手紙が入っていて、何気なく見るとエミリアの文字で
『今日は押し花を送るね。いっぱい作ったけど、一番きれいに出来たのはスミレだったよ』
と書いてある。とすれば、額に飾られている押し花もエミリアが送った物だろう。
(どうしてここまで……)
ただ助けられただけにしては、大袈裟というか偏執的な気さえする。
エミリアは戸惑いながら、その隣の引き出しも開けて見た。そこには、二つ折りの皮の台紙が置かれていた。鞣した皮の、やけに重厚な飾りのある台紙だ。
エミリアの心のどこかで(これは見てはいけない)と警告する声がする。平穏のまま、事実を見て見ぬふりをするにはそれがいいだろう。
しかし、エミリアは今までに感じたルーファスへの違和感を明確にしたいという想いで、震える手で台紙を開けてみた。
それは、肖像画だった。
つい最近の、エミリアの肖像画。この服は先月におろしたばかりだからそれは確かだ。
思い返してみると、先月、旅の絵師と名乗る人物が一夜の宿を求めてきた事があった。
先に金も払うし、どうか休ませてほしいと頼まれ、父は了承したのだった。その代償に、家族の肖像を描きましょうかと簡単な似顔絵のような物を描いてくれたのを思い出す。
さらさらと軽いタッチで素早く描いたのに、素晴らしい出来で特に母が喜んだものだ。
その絵描きは練習と称して、エミリアをモデルにラフな下書きもしていた。椅子に座ったままのポーズを頼まれ、その時の恰好と同じ物がこの肖像画のようだ。
つまり、絵師はその後ルーファスの元に行って絵を売った。これは、絵師は先にルーファスに頼まれ、そしてエミリアの家に潜入したと考えるのが普通だろう。
一体、どうして。ルーファスの何がそこまで駆り立てるのか。
エミリアはぞっとして、震える手でぱたんと台紙を閉じて元の場所に仕舞った。
ルーファスは、どこかおかしい。
でも、何が普通でどれが普通ではないのか、エミリアにはきっちりと線引きする事が出来ない。ルーファスに指摘することも出来ず、エミリアはその場を追い立てられるように去ったのだった。
「今晩はもう出掛けることもない。久々にゆっくり出来る」
夕食の際にルーファスがそう言った事に、エミリアはぴくりと反応した。
先ほどから気詰りな食事会だった。エミリアは後ろめたさと不信感から彼の顔を見られず、会話も弾まない。
ちゃんと話をして、帰りたいと伝えたいがそれを許してもらえるのか、不安でいっぱいだ。
先日、無理矢理抱かれた件は、帰してくれるならもう不問にしようと思っていた。王子という身分の人に求められたのだ。自分には縁の無い世界だが、此処ではこういう物なのかもしれない。
「ええ。では、お話をしたいです」
「では後程、寝室で」
含みを持って言われたようで、エミリアの胸がどきりと跳ねる。
あれ以来、そういう触れあいは無かったが、彼はそのつもりなのかもしれない。
でも、エミリアの心は以前とは違う。きちんと話を聞いて、自分の意見も主張して、彼の気まぐれにこれ以上は付き合えないと、そう言おうと決心している。
来たばかりの時は、何がどうなっているのかも分からず彼の言いなりになってしまった。
恐らくだが、彼はこれから国を背負って立つという立場上、清く正しく生きなければならないのではないだろうか。だから立太子の儀の前、最後にハメをはずすとしたら今のタイミングでしかないとか?
エミリアはそんな疑いを抱いていた。
立太子となれば、人の目も厳しくなって王妃となる人の選出もしなければいけないだろう。いや、もう決まっているかもしれない。だが、今ならまだ遊ぶ余裕もあるだろう。それまでのお遊びの相手に、後腐れない他国出身の自分が選ばれてしまったのではないかと、そう推測したのだ。
恐らく、ルーファスは何らかの執着をエミリアに抱いている。助けられた幼少期の想い出は美化され、大人になった今、エミリアを手元に留める事で満足しているのではないか。
でも、あの時とは違うのだ。少女が少年を助け、献身的に看病しただけで終わった当時とは違う。
エミリアにだって家を継がなければいけないという使命がある。ルーファスがいくら王子で後々国を背負う尊い御方だとしても、全て彼の言いなりにはなれない。
心を強く持とう。
そう思いながらエミリアは日課の湯浴みとマッサージを侍女たちに施され、寝室で彼を待った。




