第六十九話 歴史の証明
「5年前、私がお前の建白書を読んだ時と——今の幕府は、別物だ」
川路が言った。
二人で机の前に座っていた。目の前に書類が積まれていた。幕府の現状を整理した記録。数字と事実が並んでいた。
「まだ道の途中です」俺は言った。
「そうだな。しかし確かに変わった」川路が書類を見ながら言った。「海軍——史実より早い段階で洋式小艦隊を保有している。財政——貿易関税収入の確保で赤字が縮小した。政治——改革派が主流に返り咲いた。外交——条約の最悪の部分をいくつか回避できた」
(史実の幕府は今頃どこにいたか。安政の大獄の残骸の中で、権威を失いながら漂っていた。それに比べれば——確かに変わっている)
「全部、まだ不十分です」俺は言った。「しかし出発点が違います。5年前の出発点とは、全く違う」
「出発点が違えば、どこに着くかも違う」川路が言った。
「はい」
「お前が来なければ、ここにはいなかった」川路が静かに言った。「俺も、岩瀬も」
「川路様と岩瀬殿が動いてくれたからです」
「俺はお前を過小評価させない」川路が少し笑った。「そういう話をしているんじゃない」
その夕方、岩瀬が一人で来た。
「神田、一つ聞いていいか」岩瀬が言った。
「何でしょう」
「お前はここが——幸せか」
俺は少し考えた。
(幸せか。その問いは、難しい。幕末の江戸で幕府を守ろうとして、毎日綱渡りをして——それが幸せかと聞かれたら)
「……幸せかどうかは分かりません」俺は言った。「でも——意味があります」
「意味がある」岩瀬が繰り返した。
「自分がここにいることに、意味があります。俺が動いたことが、川路様を守りました。岩瀬殿を守りました。阿部様が言った三人を——何とか守れた。それが意味です」
「幸せより意味か」岩瀬が言った。
「俺には——そちらの方が分かりやすい」
岩瀬がしばらく俺を見た。
「それで十分だ」岩瀬が言った。「幸せでなくても、意味があれば——人間は動ける」
「はい」
「俺も——そう思うことにした」岩瀬が言った。「地方にいた間に、考えた。戻ってきた時に何をするか。幸せになりに来たのではない。意味のあることをしに来た」
「それで十分です」俺は言った。
(改変の証拠が積み重なっている。本当に変わった。まだ第一部に過ぎないかもしれない。薩長との問題も、朝廷との問題も、内政の課題も——全部まだある。しかし出発点が違う。それが全てだ)
「次の問題は見えています」俺は川路に後で言った。
「薩長か」
「はい。しかし——今度は準備がある。人材がある。仕組みがある。史実の幕府にはなかったものが、今の幕府には少しある」
「少しだが」川路が言った。
「少しですが——確かにある」
それが証明だった。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




