第六十六話 薩長の反応
薩摩の使者は、若い武士だった。
川路の執務室で、俺は少し離れた場所に座っていた。使者は川路と岩瀬の前で、丁寧に言葉を並べた。
「幕府の最近の動きについて、薩摩藩として確認したいことがございます」
(確認したい。その言葉の裏を読む)
使者が聞いてきたのは、海軍の整備状況だった。次に、財政改革の方向。そして松平慶永の幕政参与について。
(探りを入れている。幕府が本当に変わったかどうかを、薩摩は見ている)
面会が終わった後、三人で話した。
「どう見た」川路が俺に聞いた。
「薩摩は脅威と感じています」俺は言った。「幕府が変わったことを、歓迎しているわけではない」
「なぜだ」川路が眉を寄せた。「幕府が変われば、対話ができるのでは」
「薩摩が倒幕を考えるとしたら——その大義名分は『幕府が腐敗しているから』です。しかし幕府が変われば——その大義名分が消える。それは薩摩にとって、計算が狂う話です」
「つまり、改革が進むほど、薩摩は困るということか」
「一つの面ではそうです」俺は言った。「しかし別の面では——幕府が軍事力をつければ、それ自体が薩摩への脅威になります。大義名分で動けなくなった藩が、今度は純粋な軍事的計算で動く可能性がある」
岩瀬が静かに言った。「どちらに向かうかは、分からないということか」
「はい。今の俺には分かりません」
「では長州は」川路が聞いた。
「長州から届いた文書を見ました。より攻撃的な内容でした。薩摩が様子見なら、長州は——まだ戦う方向を向いています」
「つまり敵が消えたわけではない」川路が言った。「形が変わっただけだ」
「その通りです」
「では次の手は」岩瀬が問うた。
俺は少し考えた。
「まだ分かりません」俺は正直に言った。「しかし今の幕府は——かつてより強い。制度が変わり始めた。海軍が生まれた。人材が残った。それが出発点です」
「弱い出発点だな」岩瀬が言った。
「しかし出発点はある。以前は出発点すらなかった」
川路が頷いた。「そうだな」
「史実の地図なしで次の敵に向かう——という感覚が正直なところです」俺は言った。「しかし、ここまで来た。それは確かです」
岩瀬が「そうだな」と言った。珍しく柔らかい顔で。
「課題は多い」俺は続けた。「しかしその前に——一つだけ、やりたいことがあります」
「何だ」川路が聞いた。
「個人的なことです。少し時間をください」
川路が「分かった」と言った。
俺は席を立ちながら、澄のことを思った。
(「いつか教えてくれますか」という言葉に、まだ答えていない——その日が来た)
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




