第六十五話 海軍の夜明け
「来い」
勝の書状に書いてあったのは、それだけだった。場所と時刻だけが続いていた。
江戸湾の岸辺に行くと、勝がいた。そして沖に——。
三隻の西洋式蒸気船が、江戸湾を進んでいた。
白い煙を吐きながら、整然と動く三隻。帆ではない。蒸気の力で。
(これが——本物の艦隊だ)
「どうだ」勝が隣に来て言った。
「……すごい」それしか出なかった。
「すごいだろ」勝が言った。笑っていた。子どものような笑い方だった。「あの三隻が幕府のものだ。これが始まりだ。これから増やす」
「勝殿が——作ったんですか」
「俺と、お前が最初に種を蒔いた」勝が言った。「建白書を覚えてるか」
「覚えています」
「あの時、誰もあれを真剣に聞かなかった。お前だけが、川路様のところに繋いでくれた。そこから始まった」
三隻が向きを変えた。波の上で、重厚な動きで。
「これが俺たちが作ったものだ」勝が言った。
「あなたが作ったものです」俺は言った。
「俺だけではない」
「でも、勝殿が動かなければ——船は動きません。制度があっても、それを実際に形にできる人間がいなければ意味がない。この船は、あなたが作った」
勝が少し黙った。
「……お前、阿部老中に会ったことがあるだろう」勝が言った。
「はい」
「あの方はどんな人だった」
「重かった人です」俺は言った。「一人で幕府を背負っていた。それが、体を壊した原因でもある」
「俺はほとんど会ったことがない」勝が言った。「でも——お前から話を聞いていると、そういう人だったんだろうと思う」
「はい」
「こういうもの、見せたかったな」
俺は、その言葉を口にする前に気がついた。自分の中に、ずっとあった感情に。
「阿部様に見せたかった」俺は言った。
静かに言えた。
「そうだな」勝が言った。「……見せたかったな」
二人でしばらく、船を見ていた。
江戸湾の風が冷たかった。しかし清かった。
「お前が最初に来た時」勝が言った。「こうなるとは思わなかったか?」
「自信はなかった」俺は言った。
「嘘をつけ」勝が笑った。
「……少しは自信がありました」
「そうだろ」
(これが阿部様の言った、勝——三人の一人。この人が今、本物の艦隊を作った)
「まだ道は長いです」俺は言った。
「分かってる」勝が言った。「しかし——始まった」
「はい」
「薩摩が独自に洋式船を買い入れているという情報がある」勝が続けた。「奴らも止まらない」
「知っています」
「どうする」
「考えます」
「俺も考える」勝が言った。「一緒に」
それが一番、頼もしかった。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




